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旧第一銀行京都支店

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旧第一銀行京都支店
(後の第一勧業銀行京都支店、現・みずほ銀行京都中央支店(復元))

所在地 京都市中京区烏丸通三条

設計 辰野葛西建築事務所(辰野金吾・葛西萬司)
施工 清水組
竣工 1906年(明治39)

増築 1919年(大正8)
増築設計 田辺淳吉(清水組)

解体 1999年
復元 2003年




上の写真は、辰野金吾さんが設計された旧第一銀行京都支店の写真です。
竣工は明治時代、辰野さんの作品の中でも特に初期のものでした。
辰野さんがそれまで勉学を重ねられた、すべての経験と智恵と知識の結晶である渾身の作だったと思います。
清水組の偉大な技師、田辺淳吉さんもその建設を助けるため東京から京都に来られ、また増築にもかかわられました。

はじめは「第一銀行」という名前でしたが、後に「第一勧業銀行」となり、1999年に解体されてしまいました。




しかし私たちは、今その姿を見ることができます。
解体された4年後に、同じ姿で復元されたのです。
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明治以来ずっと大切にされてきた、京都の街になじんだ建物を壊すことへの疑問がわきおこり、解体に反対する声が高まりました。そして全く同じ外観で復元されることの意味が問われました。

それでも私は、姿が残っていることが貴いと思いました。
この建物をきっかけにこの銀行に出会い、辰野さんに出会い、近代建築に出会って、新しい素敵な世界を知る人もいると思うからです。


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実際、私も初めはこの建物を辰野さんの建物だと思い込んでいました。その頃は渡辺節さんのプラッツ近鉄をきっかけに近代建築に出会ったころで、プラッツがなくなった同じ烏丸通界隈で、残っている建物がうらやましくてしかたがありませんでした。この建物、少し南の北國銀行、三条通を東へ行くと文化博物館、辰野さんの建物だらけのこの界隈を通る時、感じるのは羨望と哀しみだけでした。すぐにレプリカだと知りましたが、なおさらうらやましいだけでした。解体されても、そのまま復元されるなんて…

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しかしだんだんと、辰野さんのすばらしさを感じることができ、旧日本生命京都支店や旧北國銀行京都支店のレストランでかけがえのない、大きな安らぎもいただくようになってきた頃、…もう2年ほども前になりますが、…振込みをしなければならない用事があり、ぜひ辰野さんの銀行で…と、この建物を訪れました。
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すると、銀行の中には旧建物の一部の煉瓦と棟札などがガラスケースの中に展示されていました。
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私は、その前に立つと雷に打たれたような感動を覚えました。
煉瓦から辰野さんの情熱がほとばしっていました。
私はそこで初めて辰野さんの煉瓦のすばらしさに出会いました。
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何が、どうすばらしいのか、ことばで言い表すことが難しいです。ただ、情熱のようなもの、建物に込めたあたたかい心のようなもの、ふたつと無い貴いもの、それをこの一片の煉瓦が必死で語りかけているように思えるのでした。


「これが、私の建物ではない」
振込みを終えて外に出ると、そうおっしゃる辰野さんの声が聞こえてきたような気がしました。
「わたしは、ここにいるのだ」
煉瓦を指して、そうおっしゃっているように思えました。
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建物を建て替えるということはどういうことか。
生きていくために、どうしても必要かもしれません。
この銀行も、そうだったのかも知れません。

でも、少なくとも辰野さんやつくられた方々は、この建物の本当の姿を知ってほしい、伝統と技、美を打ち壊すことで本当に美しい街は生まれない…真に美しい街こそが人々の心にとって必要であるということを、訴えかけていることは確かだと思います。

その訴えが、たくさんの人に届いてほしいと思います。
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               2011年10月13日 辰野金吾さんの生誕157年を記念して





冒頭写真出典
高橋弘「京都市電最後の日々」(ネコ・パブリッシング、2009年)

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