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初めてデレク・シバースを見たのは1992年の大阪城ホール、坂本龍一の大阪公演でのこと。このツアーのバンドはのちに彼が「最強」だったと語る豪華メンバー。スティングのサポートでも知られたドラマーのマヌ・カチェ、ハウス界のカリスマ, サトシ・トミイエ、そんなビッグネームに混じってクレジットされていたのが、唯一オーディションで選ばれたギタリスト、当時21歳のデレク・シバースだった。

 

世界のスーパー坂本スター龍一に選ばれて世界を回るのはどんな気分だろう。おそらく同世代の彼の心持ちを想像しながら、当時鳥取大学の医学生だったぼくは、山陰本線の夜行列車(!)で米子への帰路についた。

 

ふたたび彼の名を聞くのは20年後、ネットで見たTEDカンファレンス。3分間に満たない彼のプレゼンはシンプルで説得力があり、喝采に応える姿には茶目っ気もあった。見事なものだなあと思いながら同時に、欧米にも「同姓同名」っているんだなあと感じていた。まさか、このスキンヘッドの起業家と、20年前に大阪城ホールで見た金髪の初々しい青年が同一人物とは思えなかったのだ。

 

彼のサイトでギタリストとしての経歴を見つけてすぐ、本人に尋ねてみようと思った。もしかして貴方は坂本龍一JAPAN TOUR HEART BEATで、デヴィッド・シルヴィアンの横でギターソロを弾いてみせた、あのデレクですか?

 

返信は30分ほどでやってきた。「君もあの夜大阪城ホールにいたのか?」

 

それ以来、彼からは時々メールマガジンが送られてくるようになった。ちょっとしたビジネスアイディアがまとまると、彼はそれをプレゼンテーションファイルにして多くのファンに送っているようだ。彼のTEDでのプレゼンはすでに世界中で話題になっており、もちろん日本でも多くのファンを獲得するに至っていた。ぼくは常勤の麻酔科医だったから、まさかいっしょに仕事が出来るなんてことは思わず、おもしろいやつだな…ギタリストで居続けることは考えなかったのかな、くらいの感じでそのメールを受け取り続けた。

 

2013年になって転機らしきものが来た。新しいプロジェクトでスタッフを日本からも募集するという。ただ、賃金面の記載がない。そういうことは「後で決めよう」と。それ以外の要件はとても魅力的だった。彼のプロジェクトに加わることで、非採用者は莫大な利益を得ることになる。デレクが持つネットワークと、ビジネスインタビューの経験、がそれだ。確かに彼のネットワークはかなり魅力的だ。いまやTEDカンファレンスは天下のNHKも採りあげるほどだし、彼のネットワークのその先には、あの坂本龍一だっている。

 

彼のサイトに返信し、募集に応じる意志を示した。ほどなくDerek自身から、レポートのお題が送られて来た。「シンガポールについて書いてみて。」とてもカジュアルな聞き方だったけど、大事な局面だとすぐに感じた。たぶん、ここが勝負だ。

シンガポールはぼくが拠点にしたいと思っており、現在デレクも拠点にしている場所だ。おそらく彼は、シンガポールのことを知り尽くしている。通り一遍のレポートでは通じないはずだ。

 

シンガポールでは、正直楽しい思いをしていない。価値があるとは感じているが、まだ成功にたどり着けていない。その処遇と気持ちをなるべく率直に、そしてなるべくシンプルなかたちで書いてみた。ここのあたりは、TOEFLでトレーニングしておいてよかったと思う。一気に書き上げた後、いつものように近所に住むハンサムな英国人、スチュアートにチェックとお墨付きをもらい、それを送った。

 

そこから約1週間、なんとなく落ち着かない時間を過ごした。

ダメならダメだったと、結果は教えてくれるのか?それとも放っとかれるのか。

ダメだった場合のこともあるから、このチャレンジについては家族を含め誰にも言うまい。

ダメだった場合のことばかり考えていたら、次のメールが来た。

 
 

「応募してくれてありがとう。世界中から来たレポートの中から、君のレポートは最終選考に残りました」いつものように、カジュアルな文面だ。「最終選考についての、次回のメールを待っていてくれ。」

また、幾許かの落ち着かない時間を過ごした。

 

待望のメールは数日後に来た。送信元はDerekとは別の名前だ。Karolという送り主によれば「最終選考はskypeで行うから、指定された日時に立ち上げて待っていてくれ」

 

この時点で、家内に事情を打ち明けたが、何度説明しても十分な理解が得られなかったようだ。とにかく、ある日の深夜、いぶかしむ家族を前に遠くポーランドにいるプロジェクトマネージャー、キャロルならぬカロルから、英語でのインタビューを受けた。

 

いつまで経っても英語は苦手だ。前もってそのことは彼らに伝えてある。最大の弱点は、英語です、と。

それでも、あの夜のskypeのやり取りを思い出すだけで、

「恥ずっ…!」

と思わず声に出して毎日過ごした。

 

おそらく6月中には結果が出ると聞いていたが、日付が7月3日になってもメールが来ない。

楽しい夢を見させてもらった、とあきらめかけていた夜半になって、Derekからメールが届いた。

 

そのメールもまた、カジュアルかつシンプルだった。

 

Congratulations, then, Get started!

 

すべては2005年から6

さあお前のアイディアを話してみろ、と応接室に通されたこの日。

それまで「敵」にしか見えていなかった幹部が勢揃い、そしてこちらに耳を傾ける姿勢を見せてくれている。

唯一の誤算は、それまでこうした場合に姿を見せなかった「いちばん偉いひと」が同席していて、それが話し始める前に視野に入ってしまったことだ。

 

「手術室で使用しているスリッパは、今後いっさい撤廃すべきです。それには複数の根拠があります。まず、スリッパの使用が感染防御に無効であることをいくつかのエビデンスが示しています。さらに、スリッパさえ履いていれば衛生環境を守れるという誤った認識にも繋がっています。ふたつ、スリッパを維持することで予想外に大きなコストを削減することができます。そして最後に、スリッパを撤廃し土足履きを解放することで、搬入時のベッドおよび搬入人員の混雑を解消し、ひいては手術件数の増加にも貢献するはずです。」

 

滔々と語る予定だったが、自分でも聞いたことの無いうわずった声で、しかも思いもよらないワードで始まってしまった。

 

「コ、コストです…私が考えているのは…」

 

あえなく、ヘタレスピーチはすぐに遮られた。

声の主は、正面に鎮座する院長。

 

「で、準備にどれくらい欲しいね?」

 

え?

と聞き返す暇も与えず、声の主は続ける。


「麻酔科部長から、提案は直接聞いとったから。今週の会議で決定。君の方でどれくらい準備がいる?」

 

もう失態は見せられない。

「今月いっぱいで。」

即答した。たしか3月の初旬だった。

 
 

ことのからくりは簡単で、ぶっきらぼうな麻酔科部長が、渡しておいた資料をまとめて院長に直談判。その時点で方針は決定していたようだが、せっかくなので私にも弁説の機会を作って下さったということのようだ。

これが聞いていた「トップダウン」か。

 

もう10年近く前なので、当時の若く未熟な私が居並ぶ幹部のみな皆さま、そして部長先生にきちっとお礼を申し述べたかどうか憶えていない。

確か、焦りの気持ちを抱えながらいそいそと準備に入ったと思う。

 

手術室のスリッパがなくなるらしいよ、という生の噂を聞くようになり、賛成反対双方の声も直に届くようになった。結論は出ているのだが、反対意見を放置は出来ないし、ひとつひとつ取り合う気にもなれない。

思いついたのがイントラネットの活用だ。

まず部長名でスリッパ撤廃を宣言してもらい、期日を明確にしてもらった。また、それまでに届いていたいくつかの意見を集約して「FAQ」のかたちにまとめ、ひとつひとつに回答をつくり院内オールユーザー向けに発信した。それでもご意見がある方は、私のところまで直接どうぞ、とした。

 

少し身構えて「ご意見」が届くのを待ったが、私に届く質問は拍子抜けするほど少なかった。そして、ポジティブな驚きでもあったが、新たな気づきを提供してくれる建設的なものがほとんどだった。

ひとつは、手術室のハード面の衛生管理能力をこの時点で再度点検すべきではないのか?という意見。すぐ対応しなければと思い、エアーフィルター点検を依頼し、さらに落下浮遊塵埃数などもチェック、いずれも基準内であることを公表した。

 

次第に、身辺がみるみる騒がしくなった。お世話になっております!とスーツ姿のビジネスパーソンが増えた。直に入室する際に靴の汚染を防ぐシューズカバーが要る。シューズカバーを付ける際に腰掛けるベンチが必要になる。それまでベッドではなく歩いて来られる患者さんが増えるので待機スペースも必要だ。「どんな絵画を飾りましょう?」そんな相談も届くようになった。

医者として正しい医学を、確立されたエビデンスに沿って追求さえすればいいとしか考えてこなかったが、病院という組織は、それ以外の全く別の力学が絡み合って動いている。そういうことをこの頃感じ始めた。

 

それらの準備がなんとか終わるころ、期日の月替わりを迎えた。

じゃ、ぜんぶ廃棄しますねー、とお掃除のおじさんがスリッパを本当に引き揚げ、自分の手術室用のシューズとして履き古した赤いニューバランスを採用した。真っ赤なスニーカーで手術室に入るときのちょっとした罪悪感混じりの達成感はいまでも忘れない。

すべては2005年から5

先生が話して下さった「スリッパ撤廃成功例」は、新たな視点を幾つも提供してくれるものだった。

要点は2点。

まず「コスト」。使用したスリッパを洗浄するコスト、新規に購入するコスト、そして脱ぎ散らかされたものを回収し、新しく棚に並べるマンパワー。それらを算出した数値は、想像していたケタをひとつ越えるものだった。それだけの金額が浮くとなれば「撤廃したほうがいいことはわかっている」は「撤廃しなきゃ!」に変わるだろう。それまで一顧だにしなかったことだ。

二つ目は「話の通し方」。

委員会や会議を通していては、時間ばかりかかって決まらないことが多いですよね。

ついつい前のめりになって聴いていた。話を早く進めるには…?

「いちばん偉いひと」のところに行くことです。

目からウロコだった。前者がボトムアップといい、後者がトップダウンというらしい。聞いたことはあるぞ。

 

ボトムアップでうまく行かないときに、トップダウンで速やかに解決することは意外とあるんですよ。先生ご自身の経験に基づく話を、胸のすく思いで聞いた。

重要なヒントを下さった先生に丁重にお礼を述べ、すぐに自分の病院に戻ろうと思った。

 

自分にとっての「トップ」って誰だ?

先日手術室で「対決」したばかりの、幹部のお歴々の顔がすぐに浮かんだ。

スリッパを撤廃しても衛生環境は保たれるエビデンス、そして、削減出来るコスト、ベネフィットを彼らに直接示せば、うまく通るかもしれない。

 

見聞きしたことを部長に報告し、トップダウン案を話すと、なるほどそのほうが早いなとひと言、すぐに幹部との話し合いをアレンジしてくれた。

初めて訪れる病院の応接室の扉を開けると、以前手術室で「対決」した面々が立派な椅子に座ってお待ちかねだった。

失礼します、と入室するなり

 

「麻酔科のほうから訪ねて来るなんて、緊張するやないか。物騒な話じゃないんやろうね。」

 

見覚えのある顔から声が飛んだ。

2005年前後はメディアが「医療崩壊」を盛んに採りあげた時期でもあり、某科医師総辞職、などの文言をよく見かけた。そのことを彼はほのめかしている。

だが以前の緊張感は不思議なくらい、無い。少なくとも対決ではない。話を聴いてくれる準備が出来ている、そのことを強く感じながら、胸のうちを話してみた。

始まりは2005年4

手術室への搬入に関する新しいルールをつくる、このミッションに必要と思われたのは

土足の使用が手術室の衛生環境に及ぼす影響

「前投薬」の意義

これら2項目について学術的に調べ、確証=エビデンスを得ることだった。
難しい仕事ではなかった。①については当時既に、アメリカ疾病管理センターCDCが大規模調査で裏打ちされたガイドラインを発表しており、「履物の違いが感染症の増加に寄与しない」旨が明記されていた。②についても国内外の多くの論文でその効果を疑問視し、すでに廃止したとの報告も多数見つけた。

資料をまとめながら、勝算を感じた。エビデンスがこれだけ揃えば、反対意見など出ないだろう。すぐにも土足に出来るかも知れない。

 

しかし、そんな勝算など儚いことを思い知ることになる。手術関連部長会議で麻酔科より動議された「手術室スリッパおよび前投薬廃止案」は、外科系の複数の医師の反対に会い、敢え無く頓挫した。前投薬廃止は受け容れられるものの、スリッパだけは廃止できないという。

あれだけエビデンスを揃えてなお反対される根拠はなんだろう?反対を表明した外科医たちに恐る恐る、直撃してみた。

驚きだったのは、彼らの多くがガイドラインに「精通」していたことだ。つまり土足で手術室に進入しても影響が出ないことを知りつつ、反対を表明している。どうしてそういうことが起きるのか突き詰めたいと思った。

つまり、3つ目のプロセス
③既にスリッパ使用を廃止している施設の事例を集めること、が必要だ。

 

調べてみると、内科医の矢野邦夫という先生がおられ、手術室のスリッパ使用の是非に関して多くの著作がある。すぐにコンタクトを取ってみた。講演会でお会いした先生は、文章の雰囲気のままに柔和な方で、素人同然の質問にも丁寧にお答え頂いた。先生によれば、スリッパなど無意味であるということエビデンスはすでに揃っており、しかも多くの医療者に広く認知されている。問題は、長年の経験で染み付いてしまった固定観念を捨て去ることであり、どの施設もその過程で苦労をしている、とのお話だった。自分の施設の猛者たちの顔を思い出し、すこし弱気になったのがバレたのだろうか、先生はひとつ実例をお教えしましょうか、とヒントを下さった。

すべては2005年から3

2004年の終わり頃、医者キャリアでの青春時代ともいうべき時間を過ごしていたぼくが、「手術件数を増やせ」の命題を突きつけられて考えたことはこうだ。

 

いくら数を増やしたいからと言って、患者さんの体に直接手を下す行為を行う時間はぜったいに侵されたくない。点滴をとる、気管にチューブを入れる、心臓近くの大血管にカテーテルを挿入する、背中から脊髄の近くに針を進める、これらの行為は、どれも麻酔を行うには必要不可欠ながら、ひとつ間違えば取り返しのつかない事態にもつながり得る。その過程に口を挟ませるわけにはいかない。ならば、それらの直接的行為以外に目を向けるほかない。

すぐに思いついたのは、手術と手術の間の時間の使い方だ。

 

当時、手術と手術の間の待機時間はすでにスタッフ全体の悩みの種だった。

手術室へ患者さんをお呼びする、いわゆる「搬入」には現在より多いいくつかのプロセスがあった。時間が決まると、患者さんには「前投薬」といって不安を軽減するための鎮静薬が注射される。鎮静薬にはふらつきを生じさせる作用もあるので、原則としてすべての患者さんがベッドに寝た状態で手術室まで運ばれていた。また手術室では土足が禁じられており、病棟のベッドも進入することは出来ない。そこで患者さんは手術室内専用の簡易ベッドに載せ変えられた後、中に進んで行く。この移し替えの過程が、見た目以上の労力と時間を要する。また複数の搬入患者さんが同時刻に重なったり、退出する患者さんのベッドと鉢合わせたりすると、たちまち出入口付近に渋滞が生じ、予定を滞らせたりしていた。

 

スリッパやめて、土足にしちゃいませんか?

麻酔科部長に意見を求められて、最初に具申したのはこのアイディアだ。本気で手術件数を増やすには、省けるプロセスはすべてすっ飛ばしてしまいたい。

歩ける患者さんには、鎮静薬など使わずに歩いて来てもらう、手術室の中に入ったあとも自分の足で歩いて、手術台まで行ってもらう。そのためにも、手術室内でスリッパに履き替える習慣を撤廃してはどうでしょう?

 

聞いていた麻酔科部長から、例によってぶっきらぼうに返された。

お前、本腰入れてやってみるか?

手術室でのスリッパ使用は必須でない、そのことを実証して関係者を納得させ、患者搬入搬出の新しいルールをつくれ、部長はそういうことを言っている。

おれもなあ、そういうことは何年も前から考えてたぞ。でもなあ、頭で考えることを実行するとなると、必ずどっかから反対が来てなぁ、進まんのだ。

部長はあきらめた半分の表情で言う。

それでもいいならお前、やってみるか。

もしかしたら期待してくれているのかもしれない、やってみよう、と思うようにした。

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