人生は 旅

日本中の旅をしてみる

母の思い出

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

母の七回忌

 
“母の七回忌”
 
私の母が亡くなってから 6年がたちました
私の母と父の命日は 同日であって123日です
母は 父の命日を待つようにして無くなりました
 
はつゆきや
まいちる朝の ははごころ
夫婦のきずな
見せて去りゆく
 
母は 6人の子供たちに 夫婦は いつも仲良くするのだよ 
私達は 命日まで一緒なのだから と 言って雪の朝 去ったのです
 
19日の法事の朝も 千葉の田舎は 雪景色でした
又 優しかった母のことを 思い出しました
 
 
前日 家内と鋸南町(のこぎり山で有名な)の水仙を見に行きました
水仙は “凛”と言う言葉が 似合うのでしょうか?
この花を 見せてあげた 二人の方から“凛としていて美しい”
と 言う言葉が返ってきました
イメージ 1
 
この地区に群生するものは ニホンズイセンです
鋸南町は 越前 淡路と並ぶ 日本の水仙三大産地です
12月に入ると ちらほらと 咲き始める 可憐な水仙です
1月には最盛期を迎えます
イメージ 2
 
私達は 大崩(をくずれ)地区を 歩いてみました
あたりは ほのかな 水仙の匂いでいっぱいでした
イメージ 3
 
水仙の花を買ってきて 母の墓前に 捧げました
イメージ 4
 
日曜日(19日)の朝は 快晴で雪化粧でした
イメージ 5
 
 
ご訪問 ありがとうございました
 
 

私だけの母

“わが母の思い出”⑥
 
. 私だけの母
 私が小学校に入学するまでの幼少期のことは、殆ど思い出せない。そして幼少期の頃を兄、姉妹と話し合うと、色々のエピソードが出てくるが、確実に残っていることは少ない。
お盆やお正月に兄弟が集まった時の話の中にいつも「黄色い簡単服」のことが持ち出される。男の子である私が女の子用に薄い絹の生地で作られた「黄色いワンピース」を好んで着ていたという話である。このことは、私が太平洋戦争の終わった昭和二十年十月に生まれたこともあり、着るものが少なかった時代を象徴している出来事だと思う。季節を問わず「黄色い簡単服がいい」「黄色い簡単服がいい」と、要求したという。子供心にも質素な生活をしなければならないという様な気はなかったはずである。夏には、裾がひらひらとしていて涼しかったからだと思うが、冬でも言っていたという。そんなときに、母が、どう思っていたのか、どう言ったのか思い出せない。この様な話は、兄姉から聞いた話であって母から聞いた話では無かった。母は、朝早くから野良仕事に出かけていて、子供に着つけることは兄姉に任せていた様に記憶している。
 私の後頭部には、まばらに“はげ”の部分がある。小学校から高校までは丸坊主にしていて、自分では見ることができないが同級生から“はげ”とからかわれて嫌な思いをした。母は、まだ一才くらいの時に頭部に“おでき”ができ、自分なりの手当てをしてようやく治ったが、その跡が残ったと説明していた。今は、母の遺伝を受け継いで髪の毛は“真っ白”になり、父の遺伝を受けて“薄い”状態となってしまった。だから私は、兄弟の中で一番の父親似であると、田舎へ帰ると近所の人々から言われている。親に似ていると言われることは、嬉しい限りである。
 私は、小学生のころ病弱であった。終戦から十年経っていない時期であり、食料も十分とは言えず、栄養不足気味だったのだろう。今の様に近くにスーパーがあって、なんでも手に入るわけではなく、お肉やお魚を売っているお店は、近くに見たことも無かった。お肉を食べることは、父や兄が大晦日になるとお正月のお雑煮用に作った鶏肉と年に二度程の豚肉だったと思う。お魚は、房州から売りに来ていたようであり食べていたが、野菜を主として育ったことによる栄養不足は、私でだけでなく兄弟たちすべてに影響していた。
 私の病気は、修学中の日射病が多く、体育の時間やお昼休みになるとよく発病した。母は、学校から連絡を受けて、“おぶい紐”を携えて迎えに来てくれた。そして、帰り路には、宿原の店で、必ず“金平糖”や“森永キャラメル”を買ってくれた。これが私にとって、唯一、母に甘えることのできた時であり、兄弟たちから母を独占し“私だけの母”として優越感に浸っていた。
 
 
先日の雷雨時に久々に虹を見ました
京王線の堀之内駅を覆うほどのおおきさでした
イメージ 1
 
 
3月から育てていたアマリリスの花が咲きました
今、3輪であり、もう少しでもう1輪咲きます
イメージ 2
 
 
マンションの庭のチューリップ
毎年、花壇の手入れをしてくれる方がいます
イメージ 3
 
近くの公園のやまぶきの花です
この花が咲くと田舎の川遊びを思い出します
イメージ 4
 
きれいな お花たちを母に送ります
 
 
ご訪問ありがとうございました
 
 
 
 
 

母は永遠なり

“わが母の思い出”⑤
 
2.母の死(つづき)
 母は、三年前(二〇〇九年一月二十九日)の雪が降る寒い朝に逝去した
 仕事のために伺っていた木更津の会社からお昼休みに、再び兄と連絡をとって、母が亡くなったことを確信した。仕事は、十七時に終了し、仕事先の会社の社長が君津市方面に帰るからと言って、自宅まで送ってくれることになった。朝から降っていた雪交じりの雨がやみ、すっかり暗くなった国道を走った。君津市の中島、小糸、東日笠と走っていくにつれ、私を生み育ててくれた、在りし日の母への思いが募った。小学校の頃、学校で病気になった時、遠路を歩いて迎えに来てくれた暖かい母、悪さをしたときに私の背中にまたがって灸をすえた時の厳しい母、朝早くから農作業に出かけていつもいなかった母、年の暮れになると房州にみかんを買いに連れて行ってくれた優しさ、朝のお勝手掃除をしたらペンを買うためのお金を上げると言った母、多くの母の思い出が次から次へと湧いてきた。社長も気遣ってくれたようで、話しかけることが少なく、懐かしい故郷に着いた。国道から見える実家は、煌々と明かりが灯っていて、母の死が現実であるという実感がわき、一層、寂しくなってきた。
 田舎では、既に、親戚の人々が集まって明日の通夜及び告別式の日程等を打ち合わせていた。田舎の家は、六畳間、十畳間、十二畳間が続いているが、しきりとなる戸も取り払っていて、冬の寒さが身にしみてきた。母は、奥の六畳間に北向きに寝かされて、部屋には線香のにおいが漂っていた。つけた線香を消すと「すうっと」白い煙が目の前に立ち、懐かしい母の顔が更に思い出され、「お疲れ様でした。本当にお世話になりました。どうか安らかに眠ってください」と祈っていた。母の顔は、薄化粧をして、苦しみを感じさせない、安らかで穏やかな眠りであり、なぜか、安心した気持にもなった。
私の家内は、急な知らせを聞いて八王子市から駆けつけていた。親戚の人々が準備等であわただしい中、兄とも相談して、私達は、通夜、葬儀の用意をするために八王子に帰ることにした。君津の高速バス停留所までは、妹夫婦に車で送ってもらい高速バス、電車を乗り継いで帰宅することにした。車中では、妹たちと今日の出来事を繰り返し話し合い、明日からの母の最後の舞台を成功裏に終わらせようと約束した。
八王子に帰ってからも、今日一日のことが思い出され、寝付かなかった。床に入ってから、母には、何か贈り物をしなければならないと考えた。
 私は、母の葬礼に際して即興ではあるが、次の短歌を作り棺に納めることにした。
 
はつゆきや まいちる朝の 母ごころ
夫婦のきずな 見せて去りゆく
 
 母は、病床についてから今までに、私たち兄弟やその家族が取り組んだ多くの苦難やトラブルについて、知っていたが何も手を打てなかったことを申し訳なく感じて、せめてもの償いとして「夫婦のきずな」の大切さを”夫と命日を同じにした”ことによって、身を持って伝えてくれたのである。
 
 私たちは、この様な“母の心”を大切に受け止めなければならない。
 
 
足利フラワーパークの紫の藤です
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
ご訪問ありがとうございます
 
 
 

わが母の思い出

“わが母の思い出”④
 
2.母の死(つづき)
 長兄や兄嫁の話によれば、母は、やはり高齢者特有の認知症的なことがあった。ある時、近所の方から、お見舞いとして頂いた“シュークリーム”を五個ほど一人で食べてしまい、兄嫁が気付いた時には、口の周りがクリームで汚れていて、食べ残りが部屋中に散らばっていたそうだ。その上に、この様な場合に必ず起こる下痢で、部屋中が汚れていたそうである。兄嫁は、あの時は、後始末に大変だったと、それでも笑いながら話してくれた。
夜中に徘徊して離れ屋から兄嫁たちの住む母屋に“まだ、夕食を食べてないから食べたい”“もう、朝だから食事の支度をしろ”などとおしかけたことは何回もあった様である。母は、所謂“遠くまで歩く徘徊”は、しなかったようであり、それに対する心配はなかったようである。離れ屋といっても増築した田舎の家屋であるから、軒先が繋がっているので、暗い夜道を歩くわけでもなく、危ない箇所があるわけでもない。長兄は、父の後を継ぐようにして公務員になったので、明朝の出勤時間を気にして、母に説教したようであるが、兄嫁は“これが年寄りの病気なのよ、仕方ないでしょう”と、あっさりと答えて、実の子供より優しく対応していたことを知り、また、兄嫁の“母思う心”に、頭の下がる思いだった。
私の母が、こんなに優しい人に囲まれて、病床を過ごせたということは、生前の母の貢献に対するお礼だったのだろう。先にも述べたように、父が村役場の職員だったこともあり、片野家に嫁いだ当初から、一町歩程の水田と二反歩程の畑を耕すために主導的になる必要があった。稲の種まき、田植え、稲刈りの時期になると、伯父の常次さん、豊さん、終戦で疎開してきた筧田さん、近所の方々の手をかりて、農繁期を乗り切っていた。そんな時は、六人の子供達の世話をする暇などとてもなく、私が起きた頃には、田んぼの草刈りや牛、豚、鶏の世話に取りかかっていた。もちろん、中学校になった子供たちは、お手伝いの人達と一緒に行動した。
 私が小学六年生だった早春に、母から“高后山の近くに野生の猿が出てくるので見に行こう”と言われて付いていった。実は、農家の主婦五・六人で、牛の餌にする“アオキ”を採集するのであるが、少しでも多く背負って持ち帰るための母の策であった。一時間ほど歩いて山奥にはいるとスギ林の中に“アオキ”が密生していた。“アオキ”は、日本原産の常緑低木で北海道南部から沖縄までの森林に自生していて、秋に卵形の赤い実をつける。植物図鑑を見ても動物の食料にすることは、記述されていないが、私達の地方では、冬場の牛の餌として干し草に混ぜて食べさせた。みんなで昼食を挟んで四時間ほど採集し、それぞれの背負子に乗せて列を作って山を下った。結局、野生の猿は見当たらず、母に“前に来た時はあの崖を猿が上り下りしていたのだ”と言われてがっかりしていた。猿は、見ることができなかったが、山中に咲いていたピンクの桃の花を母が見つけてくれた時に、猿のことなど忘れて見入っていたことも懐かしい“母の思い出”となった。
 
 
お花の好きだった母に送る
神代植物園のスイレンとベコニア
イメージ 1
 
イメージ 4
 
我がマンションの庭のサクラソウとタチアオイ
イメージ 2
 
イメージ 3
 

わが母の思い出

“わが母の思い出”③
 
2.母の死(つづき)
一度、私達夫婦と看護師をしていた娘と孫の四人で、田舎の母をお見舞いに行ったことがある。東京の八王子から千葉までは、アクアラインを通って行っても三時間は必要である。当時、アクアラインは開通したばかりで片道で四千円(普通車)の通行料金であった。今では千葉県知事の意向で八百円になっていて、気楽に行ける料金である。又、最近になって袖ヶ浦の近辺にアウトレットができたので、通行料金安は経済効果が大であると好評を得ている。途中のアクアラインからの東京湾の眺めは、商船、漁船が行き交い、海と空の青さに心を癒すことができた。「海ほたる」は、土曜、日曜日、祝日には千葉方面への観光客が休憩するために大変混雑する。以前、メバル釣りの仕立船で、この近くの浅瀬で糸を垂れたことがある。私達は、海ほたるで休憩して、母へのお土産を買って家路を急いだ。
娘は、子供が泣いていることをさしおいて、兄嫁の勧めに従って、母の全身洗浄に取りかかった。手慣れたもので、布団の上で浴衣姿の母の体を自由に転がして、せっせと介護していたようだ。その間、一才に満たない孫の世話をしていた私たち夫婦は、孫を泣き止ますために、上ノ台の方までドライブして苦戦した。私達夫婦は、孫に、どこか痛いところでもあるのではないか、お腹がすいたのかと、我が子を育てたときのように色々と心配した。
優しかった母が、小学校時代に病弱であった私をこの様に心配してくれ、歩いて学校まで迎えに来てくれたことを思い出して、懐かしさが湧いてきた。孫もようやく泣き止み、嵐の後の静けさの様に寝てしまった。その間、母は、気持ち良さそうに娘の全身洗浄を受けていたと言う。さっぱりして良い気分になった母は、奈田沢の血統をひいた真っ白な頭髪もきれいになって、すがすがしい艶々した顔で私たちに微笑みかけていた。私は、母の血統をひいて総白髪になっているが、仕事柄からすれば貫禄があるとされていることを、母からの贈り物として自慢している。
兄嫁は、毎日が介護の繰り返しだったから、こんな私たちと娘の苦労は、日常茶飯事だっただろう。兄嫁は、母が無くなって三回忌が過ぎた今、会うたびに介護時の苦労話をする。私が田舎を離れて四十五年の間、お盆やお正月だけ当たり前のように田舎に帰っていた私達兄弟には、想像することができない様な苦労があったはずである。兄嫁は、“嫁として当たり前のことをしただけだ”と言うけれど、私たち、実の子供たちからみれば、できそうでできない苦労をしてもらっていたことになり、感謝するばかりである。
 
 
母は、島倉千代子さんが歌う”りんどう峠”が好きでした
たぶん、油屋に嫁いだ長女を連想していたのです
そして、兄弟は、懐かしい”りんどう峠”を合唱します
イメージ 1
”ガーデニングの総合百科”より
 
我が家の新築祝いに来た”在りし日の母”
イメージ 2
 
 
 
 
 
 

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事