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この小説は1970年ごろ書いた、原稿用紙100枚のものを20枚に詰め込んだものです。
日本女性と米兵との間に生まれたジョージという実在する一人の青年の、少し切ない物語です。
昭和40年代後半の、米軍キャンプに隣接する街が舞台の回想形式の小説。
これも、今は昔の物語です。。。
お時間のある方は、暇つぶしには、ちょうどいいかもです。
短編です。1〜3まで、一気に読めますです。(*^-^*)
「実家の周辺」 まえがき
“袖触れ合うも多生の縁”とは、昔から言われているなるほどと思う格言ですが、袖(袂)がなくなっ
て満員電車が当たり前になってしまうと、それに代わるのは“出会い頭も多少の縁”・・・。
とは、実につまらないこじつけをしたものですが、私とジョージ君との間に“多生”ならぬ“多少”の
縁が生じたのは、そんなきっかけなのでした。
輪廻転生などをにわかに信じかねる私には、あれはやはり多生の程ではなく、ありふれた多少の出来事
に過ぎなかったのかも知れません。
20年も前のその出来事を思い出したのは、ベランダで我が家の老犬スノーの真っ白い毛を梳いている
ときでした。生後2ヶ月で家族の一員となり、半年で雄の機能を奪われて、一度も“春”を知らずに逝こ
うとしているスノーを見ていて、不意にある言葉が甦ったのです。
「犬のようにやる・・・」
少々はしたない言葉ですが、幸い今では死語と言っても良いでしょう。けれどもある意味では、この言
葉がよく使われていた頃、犬が犬らしく自由にできた頃は実に長閑(のどか)で良い時代でした。
スノーのように、10階建てマンション7階の3LDKに飼われているような犬が増えた今では、「犬
のように」と言われては犬が迷惑で、今の人間は犬とは比較にならないくらい自由奔放で、節操がないの
ですから。
私はスノーに、「ごめんね」と呟いていた。人間の勝手で大切な機能を奪ってしまってと。
とそのとき、「犬のようにやる」と「ごめんね」のふたつの言葉が、私がジョージ君と呼んでいたひと
りの青年の像を思い起こさせていました。
20年前のそこには、米軍基地に隣接する町ならではの、今では決して珍しくはない光景があったので
す・・・。
その頃私は、新宿から私鉄に乗って50分、さらに5分ほどバスにも乗るという当時では若干辺鄙な新
興住宅地の一角に住んでいました。すぐ近くにはその頃走りのマンモス団地があって、ジョージ君はそこ
の5階の住人でした。
そして正に出会い頭に彼と会ったのは、バスの中でだったのです。
* * *
「実家の周辺」 1
その日、2ヵ月後の結婚を控えていた私は、大きな買い物袋を3つもぶら下げてバスに乗ろうとしてい
ました。
初夏を思わせる5月の光の中、土埃の舞うバスターミナルには日曜の午後の弛緩した顔の親子連れが目
出っていて、いつもなら定員オーバーのバスの中も、空席こそありませんでしたが、朝晩のラッシュが信
じられないほどの静寂に包まれていました。
発車寸前のバスに私が乗ると、動き出したバスはすぐにハンドルを右に大きく切ります。乗客が決まっ
て大きく揺さぶられるところです。
両手が塞がっている私は体のバランスを崩し、右にいた男性に体ごとぶつかってしまいました。その相
手が、ジョージ君だったのです。
「あっ、ごめんなさい」
私は即座にそう言うと、相手の顔を見ました。3秒ほど。
その間に、もっと何かを言わなければと咄嗟に思いました。
「私、あ、あなたを見たわ、シャトレで」
「僕も見た、昨日、君を」
「え?」
私はこの青年を、電車やバスの中でよく見かけていました。それが10日前、偶然にもシャトレという
喫茶店で働いているのを見ていたのです。
「昨日だけじゃない。おとといも、駅で」
この言葉がにわかには理解できなくて、しばらくしてようやく気づいたのは、どうやらお互いが相手の
存在を意識していたらしいことでした。
その時私の中に、淡い思いがふわりと湧いて出た気がしました。
ジョージ君の言葉は、さらにこう続いたのですから。
「君が僕を見ていたのを知っている。知っていて僕は横を向いていた。そして君が横を向いている時、
僕は君を見ていた」
さらりと言われた私の心臓が、ドクンとひとつ動きました。私が彼をなら解ります。けれども彼が私を
と意外に思えて、戸惑ったのです。
ジョージ君は、アメリカ人とのハーフです。波うつ褐色の髪に彫りの深いマスク、そして長身とくれ
ば、誰もが彼を見るでしょう。私はといえば22歳の平凡なOLで、容姿とてとりわけ目立つとは思って
いませんでした。
言葉を失っている私に、さらにジョージ君は耳元で囁きます。
「シャトレにはもういない。今は西口のコルシカって店にいるんだ」
「コルシカ?」
「そう、コルシカ。ナポレオンが生まれた島のコルシカ。今度、来ない?」
「そ、そうね。ありがとう」
5分はあっという間でした。『団地入り口』のバス停で私が先にバスを降ります。そこから少し戻ると
我が家ですが、その日は団地の中に消えていくバスをしばらく見送っていました。心なしか胸の動悸がは
やるのを感じたのを、今でも憶えています。
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