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陶芸を始めて12年余がたち、
そして仏像を作り始めて、早10年。
・・・・・ “まだまだ” です。
ついでに、骨壷 (舎利庫) も作って10年に。
これも “まだまだ” でございます。
けれども、作ったものは形となって存在している以上、
いつかそのときがくれば、
ちゃんと一人歩きしてくれるものらしい。。。
一ヶ月ほど前のこと。
13.5cmの小さなお地蔵さんと、かわいらしい舎利庫が私の手を離れました。
中学1年生くらいの男の子を伴ったお客さまが
お求めになってくださったのです。ご来店は、2度目の方。
「実は、犬が一週間前に死にましてね。
遺骨にしたんですけど、こいつが近くに置きたいって言うんで・・・」
「あ、はい・・・」
「ここにくれば、そういうのがあったでしょう」
「はい、舎利庫・・・」
「うちのは大型犬なんですが、かけらを残してあとは土に帰そうかと・・・。
で、そばにお地蔵さんをね。 そうだよな?」
男の子は父親を見上げると、黙ってうなずいて。。。
目が、少しだけ腫れている。
遺骨の一部を手元に置く。。。
人であれ、ペットであれ、いとおしいと思う心があれば
扱いは、同じです。
したいと思う供養のかたちが、その方の相応しいあり方ですから。
私の家には今、母の遺骨の一部と、15年以上共に暮らした愛犬の遺骨があります。
母には生前 「器用に生んでくれたから、手の一部をちょうだいね」 と話していました。
これが私の『手元供養』です。
ある和尚さまがこう仰っていました。
「人間は、二度死ぬんですよ。一度目は肉体が滅びたとき。
二度目は、遺族の方々の心から消えたときです。
死ぬのは、一度でいいんです。
ですから、どうぞいつまでも
亡くなった方をいとおしむ心を持ち続けてあげてください」
そういえば、寧々房って店に行けば、何かあったよな、そういうの。
それで、いいのです。
記憶の片隅に、そんな店が、都幾川に・・・・・って。。。 ・・・・・合掌
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