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4人兄弟の一番上の子供で育ち、母が途中からリュウマチを病みましたので、
女の子らしい可愛がられ方をされた事は殆ど記憶にありません。
幼い頃から、弟妹の世話をする事が当然でしたし、思えば、
それが私の基本の精神になっているように思います。
神様はちゃんと空から見ておられて、
私に女の子は授けませんでした。
お腹に宿った時から、息子二人、男の子だと確信できました。
その時から、必ずピアノを習わせると決めていたのです。
夫には反対もされましたが、泣いて頼んで、
少しづつ続けてきた積み立てで、電子ピアノからアップライトに変えました。
どうしてそんなに必死になったのか、今はわかります。
息子たちが産まれる前から、私を母にしようと思ったのは、
音楽をさせてくれるからと思ったのだと、そう思えるのです。
二人の練習の時間は、とても幸せな時間でした。
耳は全部彼らの奏でる音を聞いていました。
15年と16年程続けました。
彼らが習い始めた3歳4歳の頃はエレクトーンも流行っていましたが、
私は、初めからピアノ以外考えられませんでした。
息子二人、高校時代から音楽活動を始め、大学を卒業してからも切磋琢磨して
音楽を作り奏でて来て、30代半ばになりました。
女の子を育てていませんし、女の子らしい育ち方もしていませんが、
たくさん鍛えてもらいました。
本当に、懸命に育てて来た親に、子は未熟な故、
刃の様な言葉で親の心を刺すこともあります。
社会に出たばかりの頃は、特に、知ったようなことを言います。
長男も次男も、時期が違っても、
よく言えるよねと言う言葉を言いました。
私も、親に言って来た事なのでしょうね。
私は男前の母だと自負していますから、強いです(笑)
長男の時は、とても悲しんだり怒ったりもしました、自分の中でですけどね。
彼には、言っていません。
次男は今も続いていますが、もう、長男で鍛えられていますから、
静かに見ている余裕もできました。
後数年経てば、状況は変わると思います。
経験を重ねて、様々な人と出会って学んで、人としての優しさや苦しみや、
生活の苦しさを経験した長男が、
身の回りに暖かい光を放つようになっていました。
その証拠の様に、暖かい光を放つ方々が彼の周りに居てくれました。
さあ、もう一人、一生懸命に生きている息子がいますから、
誰よりも厳しく、裏では心の一番底にふかふかのお布団を用意できる、
男前の母をあと少し続けます。
この世にいるうちに、彼らの赤ちゃんの頃とそっくりな、
愛しい姿を抱きしめられる様に元気で居たいです。
空に帰って、両親や弟に、
見ていてくれて守ってくれてありがとうと言いたいです。
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