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何とかなるとは言いませんでした。
何とかすると言いました。
どうなるかはわからない。
だったら、どうにかして見ようと思うのが私です。
言ったのですから、今日までの約5年余りどうにかする為に、
例えば、誰かに私がして来た事を話したら、
「えー!そんな事まで?」と返ってくるだろうと自分で思う事をして来ました。
ですから、殆ど話しませんでした。
私が考えてみて自分でできる事は全てする様にしました。
私の中で、「ムダ」と思える事も全て無くしました。
生活資金をできる限り減らすようにと、
頭の中をぐるぐる回転させ、知恵を総動員させる事が出来ました。
元々、必要だと判断した時は出費の出し惜しみはしませんが、
ムダと思う事はしない性分です。
それでも、ムダは見つかりました。
便利さは楽と速さに繋がりますよね?
その思考をなくして、自分の頭と身体を動かす事にしました。
わからない事は、すぐにネットで調べられましたし、
たくさん勉強になりました。
そうする事がとても充実した気持ちにさせてくれたのです。
そうして5年過ぎてわかった事があります。
「何とかする」と言った私の生き方の中には、
「何とかなる」という自信のような思いが含まれていたのだろうと思います。
私の魂的に、ちゃんとわかっていたのだろうなと。
惨めだとか悲しいとかの悲壮感を持った事は一度もありませんでした。
むしろ、あれ?これって自分で出来るよね?と思うことの連続で、
大したことない私という人間の、
知恵と行動力を使える機会を与えてもらったと思っています。
誰とも何とも比べず、自分が置かれた環境で、
自分に備わっている知恵と体力と経験と思考を、
絞り出して目一杯使うことができる事は、
大げさですけれど、何だか生きている実感がありました。
そういう生活を自分に課した元は、愛する者達への応援の為です。
一度だけ、ああ、もう無理だな、
働かなければいけないなと思った時がありました。
その時、思ってもいなかったような救われる事があって、
働きに出なくても良くなったのです。
年金の受給の仕組みの中で決まっていた事だったのですが、
その事を知らずにいたのです。
本当にどうしようも無くなれば、
働いて生活費を稼ぐ道を選ぶ以外ありませんでしたが、
私は出来る限りそうしたくないと思っていました。
14歳から定時制高校に通いながら働き始め、
通算約40年余り生活のために社会で働いて来ていましたから、
社会に出て、人間関係で苦しむ気力はありませんでした。
随分苦しんだ仕事人生でした。
そうして働いて納めて来た年金の受給者になりたての「何とかする」でした。
65歳になってやっと少しだけ、緊張がほぐれました。
それでも、この5年で身についた事は、
きっとずっと続けていくだろうと思います。
都会に出て頼れるのは自分だけという生き方を長い間してきました。
その中で学んだ事は、私の土台になっています。
自分の事は自分でやり切る精神は備える事が出来たと思っています。
これからは、出来るだけ健康でいて、頭の中をぐるぐる動かして、
少しでも体を鍛えて、楽しいと思う事を一つ一つ経験していこうと思います。
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