|
台所の用事を全て済ませてコタツに入ると、
よく自分の手を見ます。
ゴツくて指が太い大きな手です。
去年の誕生日に、中学生の頃以来?というくらい本当に久しぶりに、
長男と二人の写真を撮ってもらいました。
ケーキの前に広げた手がほとんどそっくりで、
190センチ以上もある息子の手と、
165センチほどの私の手の大きさが殆ど変わりません(笑)
むしろ、私の手の方が肉厚です。
この大きな手で、息子二人のオムツも変えましたし、
小さなセーターやマフラーも編みましたし、
配達の力仕事もしましたし、大工仕事や、いろいろな細かい修理も、
たくさんの料理もしてきました。
どうしようもないほど絡まった線状のものを、解いて真っ直ぐにすることも
苦になりません。
つまり、何が言いたいかと言うと、
大は小を兼ねると言うことです。
私の手に似た息子も、その血を継いでいるようです。
顔は、ほんとに親子?というほど全く似ていないのに、
手と、綺麗好きな所は全く同じなのです。それと骨格。
思い返せば、私もそうでした。
顔や骨格は母とそっくりと親戚に言われます。
そんな私に、母は性格は父とそっくりだと言っていました。
私の手は骨格が大きい母の手に似ていますけれど、
爪の形は父にそっくりなのです。
両親のこの世での最後の病の時、
ぴったり寄り添っていた時にわかったことです。
血は脈々と繋がっていますね。
言葉一つにしても、寝起きの様子にしても、言い訳の仕方にしても、
確かに継いでいるのです。
だからと言って同じでは無いですけどね。
それぞれの違う魂で生きていますから。
父は、昼間に力仕事をして帰ってお風呂をすませると、
台所の椅子に正座して座って、晩酌していました。
一人で静かに、手を見ている父を何度も見ました。
私、その頃の父より年を取りましたけれど、同じことをしています。
何かね、嬉しいです。
父が大好きですから。
天国に行けるように生きて、両親に会う事が楽しみです。
天国に行けるように生きなくては!ですね。
|

>
- 芸術と人文
>
- 文学
>
- ノンフィクション、エッセイ



