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木漏れ日に歌う
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主人公の父親の言葉

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    大学教授の父が、

    教え子の24歳の男子大学院生と17歳の自分の息子の恋に気付いて、

    二人を最後の旅に行かせて帰った息子に二人きりで語った言葉です。

    生き方そのものを語っていて、深く沁み入りました。

    1983年の夏、北イタリアでの恋の物語です。

    書き写します。

……………………
    
    苦痛があるなら癒せばいい。炎があるなら吹き消すな。

    乱暴に扱うな。炎によって、夜に起きていられるなら、

    それを消すのはひどい事だ。

     他人に忘れて欲しくないのに忘れられるのもよくない事だ。

     放って置けば自然に治るものを、

     もっと早く治すために心の一部をむしり取ってしまえば、

     30歳になる頃には心が空っぽになり、新しい相手と関係を始めようとしても

     相手に与えるものが無いことになる。

     
      何かを感じないために何も感じないようにするのは、

      なんと不毛なことか。

      私にも身に覚えがあるが、お前の様な行動には出られなかった。

      いつも何かが私を押しとどめ妨害した。

      おまえが人生をどう生きるかはおまえが決めることだ。

      しかし忘れるな。心も体も、自分に与えられるのは一度だけだ。

      多くの人間は、ふた通りの生き方をしようとする。

      建前と本音。その中間にも多くの生き方がある。

      しかし、本当の人生は一つしかない。

      気が付けば心はくたびれ果て、体はいずれ誰も見てくれない時が訪れる。

      今、おまえが感じるのは悲しみだけだろう。

      私は、苦痛を羨ましいとは思わない。

      しかし、おまえが苦痛を感じているのを羨ましいと思う。

      この話は二度としない。話した事で私を恨まないでほしい。

      もしもいつの日か、おまえが私と話をしたくなり、

      その時ドアが閉じているか、充分に開いていないと感じたら、

      私はひどい父親だと言うことになる。

       だから今話しておいた。

……………………………

       私は母親だけれど、息子たちにこの父親の様に接したかなと考えました。

       そして私自身、心の一部をむしり取って、

       納得したつもりになって生きたところもあると思いました、一部で。


       映画と原作は、やはり違うなといつも感じます。

       違う才能の違う物語の表現だと思います。

       
        映画は、次作も予定にあるようです。

        必ず見に行こうと思っています。


   

あの頃に戻ったように

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    思春期の頃文学小説を読んでいて、

    読みながら、途中自分がしたこと、

     例えば、左手の指につけていた指輪が右手の指にあった、

    というように、全く記憶にないほど、物語の中に入り込んで読んでいました。

    お祭りの屋台で買ったような、指輪。

    数十年、私のどの指にも指輪は付けていませんけれど。


    原作の物語がある映画の予告の映像を見ると、

    原作を読みたいといつも思います。

    
   ここ10年近く、そんなふうに自分が好きな事に入りこむ余裕がなかった事に、

   今できるようになって気が付きました。

   何に気を使っていたのだろうと思います。

   私の気遣いなど、何にもどこにも影響する事ないのにと。

   
   結構な時間をかけて、真剣に考えて、息子に似合うと思って買った服を、

   見向きもしないことも何度もあるのに。


   そういう、自分の思いだけの行動は、

   全部やめようと思いました。

   その思いは、ある意味、母として加護しなければいけない責任から、

   自分を解放することでした。


   本当に久し振りに書店に行って、読みたかった本を買いました。

   没頭しました、思春期の頃のようにはいきませんでしたけれど、

   物語の中に入る事ができました。

   
   好きだったと過去形で思っていた事を、

   まだ過去ではなかったのねと確認できました。

   生きている今の環境はなにも変わらなくても、

   心の中は、いつでも過去に行けるし未来も描けます。

   
   これから、経験していなかったことが、

   望まなくても自分の身に起こるでしょうけれど、

   普通こうだよねと言う人たちには、

   ウインクして、私はこうなのと言うと思います。

   
   読んだ小説の本当に最後。

   別れの時。

   他のみんなとさよならを言った後一度だけでいい。

   振り返って僕を見て。

   君のそんな仕草が、僕には大きな意味があったんだ。

   そしてあの頃みたいに僕の顔をまっすぐ見て、視線をとらえ、そして、

   僕を君の名前で呼んで。
  

   人を恋する思い。

   グサグサ刺さって号泣でした。


 

ふと思います

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     何故書くのだろうとふと思いました。

     書く事が好きなのだと、もしかしたら思い込んでいるのかもしれないと。

     書いても書かなくても、何も変わらず仕事でもなく、

     ただ思いを書き綴っているだけなのです。

     書かなくても、日常はいつもの様に過ぎます。

     文才がある訳でもなく、書いて誰かの助けに少しでもなれるような、

     何か表現できるような技術も持っていません。


     文章を書き始めたのは、小学校の時、作文コンクールに作文を出して、

      忘れましたが、何かの賞をもらってからだと思います。

      その作文は、担任の先生の編集で、私が書いた文章は変えられていたことを

       覚えています。

      「お母さんの病気」という題名でした。

        小学校1年か2年の時だったと思います。

        父兄が集まる何かの行事の時に、読まされた事、

        泣いているお母さんがたが居た事を覚えています。


        以後、文章を書いて何かのコンクールなどに参加した事は殆どありません。

        短大の頃、親しかった友人と詩集を作ろうとした事がありましたが、

        ガリ版刷りをしている途中で終わってしまいました。


        20代の頃、一度、詩のコンクールに提出した事がありました。

        批評は、高評価でした。

        でも、現実の生活の追われ、それ以上は進みませんでした。


        才能は、続ける事で開花すると思います。

        もっと上手になりたいと言う思いが、

        学びを感じて表現できるのだと思います。



        言い訳でしかありませんが、

        20代から、両親の病、弟の死などで、自分の事など二の次でした。

        そんな中でも、思いを文章にする事が自分に帰る時でした。

        
         いつか、一冊だけでも本にしたいと思っていました。

         一度だけ挑戦しました。

         止まったままです。


        私には、他にしなければいけない事があったのだと思う事にしました。

        私がいなくなれば、それなりに何事も進んでいくと思います。

        でも、まだこの世に生きているから、それなりの役目が少しはあります。

       
        本当に実現したいなら、

        役目を終わる宣言を自分でして集中しなければできない事です、私はですが。

        家庭の中の役割は、特に専業の母は、

        家の事の様々が出来ていて当たり前になりがちです、家族にとっては。

        私は、家族のそんな態度には鬼のように対応してきました。

        家事は、私の仕事だと思ってきましたから。

        お互いに、1日どんな事をしているかを全て知ることはできません。

        私の仕事は、家の中をいつも風を通し整頓し、いこごちよくし、

        料理をし、健康に過ごせるように見守る事、

        そして、役所関係の様々な手続きをする事、

        限られた収入でやり繰りする事。

        専業主婦は、万能でなければできない仕事だと思うのです。


        様々な職種を経験してきてそう思います。

        
        主婦というその仕事、なかなか退職できないですが、

        退職するのも、自分の決意だけなのです。


        あと10年生きるとして、

        したかった事に集中する生き方をしたいです。
     

気付き

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    もう、去年のことになりましたが。

    長男が帰ってきて、彼が、家の気になる所を直そうとしてくれました。

    計画をきちんと書いて、私に渡しました。

    
    ブロック塀の掃除、傾いた洗濯場の柱に角材を足して上げて、

    彼の思いは達成しました。

   
    ブロック塀の掃除の高圧洗浄機の騒音は、

    ヒヤヒヤしました、ご近所のこと思って。

    とっても綺麗になって嬉しかったですけどね、ほんとに。


    後日、彼はポツンとゴメンねと言いました、何がゴメンなのかも言わずに。


    その、ゴメンがね、私はしみじみと嬉しかったのです。

    自分の気持ちだけで進める事が、母に少し気苦労させた事を感じたのかなと。

    それがわかるまで、こんなに長い時間がかかるんだなぁと思いました。

    これは、私の子育ての場合で、もっと早く気付く育て方もあると思います。

    
    私の父は、酔うといつも言っていました。

    老いても、子供の世話にはならんと。


     父はその通りに生きました。

     私の目標です。


    

流れる

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     高校時代に、世界文学全集36巻を月賦で買いました。

     その全集は、今もそのままあります。約50年側に置いています。

     どうしても、捨てたり古本屋に出したりする事ができないのです。

     実家を出て、群馬、東京、京都府と一緒に移動しました。

   
     届いてから  もう夢中で読みました。

     全く違う文化、言葉のセンス、感情の表現、食の違いなど、

     島で生まれ育った私のいる世界とは、全く違っていました。

     小学生の時、学級文庫にあったジェーン.エアや、ベン.ハー、クオ.バディス

     などを読んで、初めて世界を知りました。それが始まりです。

   
     高校時代から、洋画が大好きでした。

     大人になってからも、好きでした。


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     2011年3月11日のあの震災の映像。

     繰り返し繰り返し放映される恐ろしい、現実の映像。

     その後、私は数年映画を見る事が虚しくなり見なくなりました。

     作り物だからという思いがありました。

     あの、押し寄せる津波の映像、流される人の映像、

     そんな恐ろしい映像を見てから、時々映画を見る様になったのは、

     震災から5年後ぐらいでした。


     昨夜、ユーチューブの世界の映画予告を見ました。

     予告編が次々と流れます。

     どの映画も、さまざまな愛のあり方を映し出す映画で、

     どの映画の愛にも、私、ポロポロ涙を流しました。

     止まらなくなるぐらいに、鼻水が出るくらいに。

     そんな私を見ている私が思いました。

     そんな風に涙を流すって、本当に久しぶりだよねって。

     いや、少し前から前兆はありました。美しい恋の映像を見て。

     
     心の中のかさぶたが、溶けて流れたのかなと思うほど、

     様々な人間の生き様の中の愛の表現に、大泣きしました。


     世界中で、さまざまな愛が1秒ごとに生まれ消えています。

     そしてまた生まれます。

     様々な愛を描いた映画は、経験がなければ描けないはずと思いました。

     
     長く生きても、変わらないのは愛の風景に感動する事。

     少女の頃の感動が、素直に感じられた様な気がします。

     様々な経験を重ねても、変わらないのはそれだけの様に思います。

     
     思い込みを消しゴムで消し続けてきた数年。

     ようやく、素地が少し見えたのかな?と感じています。

     これからどう変わるか、変えるかを楽しんでいこうと思います。


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