ここから本文です
木漏れ日に歌う
新しい事を探そうかな!☆

書庫エッセイ

記事検索
検索

七草粥

イメージ 1

   新年になって7日。

   個人的に、今年は早く過ぎたような気がしています。
    
   暮れの御節作りも、いつもの年より随分早く終わりました。

   3が日も、誰かが訪れる訳でもなく、いつものように一人でした。

   静かでいいお正月だったと思っています。


   7日は、冷蔵庫に入れていた御節も全て食べ尽くしました。

   しめ縄は、毎年チビ庭の片隅の土を少し掘って、一人どんと焼きをします。

   飾っていたお餅も片付けました。

   七草粥も作って、夜に息子に出しました。

   一人用土鍋を開けて、「おっ、七草粥」と言っていました。

   完食してくれました。


   七草粥には、胸がギュッとなる思い出があります。

    毎年欠かさず作って、家族は食べていました。

    息子たちはこれまで、学生時代に家を離れていた事もありました。

    次男は一緒に住んでいます。長男は関東住まいです。


    長男が関東に出た時は、本当に身一つの状態で出て行きました。

    その時の長男の様子をツイッターで読んでは胸がキリキリ痛みました。

     彼が出て行った翌年の7日、彼のツイッターに、

    「七草粥食べたいなー」と書いてあるのを読んだ時、

     ほんと、泣きました。


     私は、しきたりの本質は知りません。

     京都に住んで子供を産んでから、一つ一つするようになっただけなのです。

     それを、家族が、この時期にはあれがあったと思うようになったのです。

     毎年毎年、欠かさずに続けていると根付いてくるのですね。

    
     関西の仕事の合間を縫って、長男は御節を食べに帰って来てくれました。

     苦しんだり悲しんだり怒ったり、沢山の感情が行き来した5年間でした。

     やっと、いるべき場所にたどり着いたような気がします。

     嬉しいですが、安堵の方が大きいです。信じていましたから。


     ああ、なんだか泣けてきます、一人ですから(笑)

     
     とてもしんどい5年間でした。

     愛していますから、彼の苦しみはテレパシーで全部感じました。

    
     これまでの5年間は、彼のこれからに必要な年月だったと思います。

     5年前の彼より、随分優しくなりましたから。


     七草粥は今年も食べてもらえませんでしたけれど、

     違うお粥を一緒に食べに行く予定です。
     
      

おじいちゃん

イメージ 1

  
    弟からメールがありました。

    次女が出産し、母子共に元気で女の子と。


    離れて暮らしていますから、次女に会ったのは数回です。

    3人兄弟の中でも、言葉少なく静かな女の子でした。

    そんな姪っ子が母になりました。


    そして、あの弟がついに、おじいちゃんになったのです。

    思い返せば、4人兄弟で、亡くなった一番下の弟以外で、

    結婚も出産も一番遅かったのは長女の私でした。
    

    私は女の子を育てていません。

    それに、おばあちゃんにもなっていませんので、

    弟が、初孫を見た姿が想像できないのです。


    故郷から心が遠く離れていました。

    辛い記憶の方が多くて冷静に見るように生きてきました。

    
    弟の次女は東京住まいです。

    あの、少し叔母の私に似ている性格と言われる彼女の母になった姿を、

    その内見に行こうと思っています。


    弟よ、

    姉はまだ、君の赤ちゃんの頃の姿を覚えているのに、

    おじいちゃんになったのね。

    良かったね〜、本当におめでとう!

    
    おじいちゃんって、なんだか慣れませんけどね(^^;   姉は。


    うん、時は進んでいます。


私の手

イメージ 1

  
    台所の用事を全て済ませてコタツに入ると、

    よく自分の手を見ます。

    ゴツくて指が太い大きな手です。


    去年の誕生日に、中学生の頃以来?というくらい本当に久しぶりに、

    長男と二人の写真を撮ってもらいました。

    ケーキの前に広げた手がほとんどそっくりで、

    190センチ以上もある息子の手と、

    165センチほどの私の手の大きさが殆ど変わりません(笑)

     むしろ、私の手の方が肉厚です。


     この大きな手で、息子二人のオムツも変えましたし、

     小さなセーターやマフラーも編みましたし、

     配達の力仕事もしましたし、大工仕事や、いろいろな細かい修理も、

     たくさんの料理もしてきました。

     どうしようもないほど絡まった線状のものを、解いて真っ直ぐにすることも

     苦になりません。

     つまり、何が言いたいかと言うと、

     大は小を兼ねると言うことです。

     
     私の手に似た息子も、その血を継いでいるようです。

     顔は、ほんとに親子?というほど全く似ていないのに、

     手と、綺麗好きな所は全く同じなのです。それと骨格。


     思い返せば、私もそうでした。

     顔や骨格は母とそっくりと親戚に言われます。

     そんな私に、母は性格は父とそっくりだと言っていました。

     私の手は骨格が大きい母の手に似ていますけれど、

     爪の形は父にそっくりなのです。

     両親のこの世での最後の病の時、

     ぴったり寄り添っていた時にわかったことです。

    
    血は脈々と繋がっていますね。

    言葉一つにしても、寝起きの様子にしても、言い訳の仕方にしても、

    確かに継いでいるのです。

    だからと言って同じでは無いですけどね。

    それぞれの違う魂で生きていますから。



    父は、昼間に力仕事をして帰ってお風呂をすませると、

    台所の椅子に正座して座って、晩酌していました。

    一人で静かに、手を見ている父を何度も見ました。


    私、その頃の父より年を取りましたけれど、同じことをしています。

   
    何かね、嬉しいです。

    父が大好きですから。


    天国に行けるように生きて、両親に会う事が楽しみです。

    天国に行けるように生きなくては!ですね。

10年後を目指して

イメージ 1


    初めての出産の前後に、心から頼れる実家はなくなりました。

    両親は、3ヶ月違いで空に帰って行きました。


    それからもうすぐ35年、

    私がこの世からいなくなったら、子供たちは頼るところがないと思い、

    自分の全てを子供達の為に生きて来ました。

    その子供達二人は、もう30代半ばになり、おじさんに近くなります。


     年末の掃除を私なりに納得できるようにして終わりました。

     そろそろ御節の用意をしようと思います。


     66歳なりたての年末です。

     来年からは10年後を目指して、自分を育てようと思います。

     これまでは、やってみたいと思っても、お金がかかる事は全て、

     「いつか」という心の箱に納めて来ました。

      自分の事に使えるお金があれば、子供達の未来の為に使いたかったのです。

      そうできる事が幸せでした。


      いつかやってみたいと思っていた事が、

      今もやってみたい事ではなくなったこともあります。

      
      思い描ける事はできる事だそうです。

      私は、自分の10年後を思い描けるのです。

      必ずできると信じています。


      10年後は76歳です。

      元気で笑顔でいるおばあちゃんになっている自分を思い描けます。

      
      来年からは、その私に向かってスタートします。

    

時が来れば

イメージ 1

    息子が高知大学2回生の頃。

    プロの歌手の前座で歌うから来てという知らせを受けて、

    高速バスで5時間揺られて行きました。

    そのライブで、初めて野狐禅を知りました。

    しゃがれた声で、生きることの不条理やそれと戦う心の歌詞に、

    心をグラグラ揺らし号泣したあの日から14年。

    野狐禅を解散しソロになって、ドサ回りの歌唄いと謳い、

    竹原ピストルさんは、とうとう武道館のステージに、

     何時もの演奏スタイルの、

     ギターとブルースハープとしゃがれた声だけで立ったようです。

     何度かお話ししたことがありますが、

     礼儀正しく笑顔がくしゃくしゃで可愛い人です。

     一度、ライブ前の彼を見たことがありました。

     ボクサーだった彼を見たような気がするような、話しかけるなと言う気迫が

     体全部から放たれていました。

    いつも、どんな場所でも真剣勝負。

    いつも自分と戦っているようなステージでした。

    
    どんなに秀でた才能を持っていても、

    目指す所に向かって、

    諦めずに努力を続けなければ何かを達成することはできません。

    ピストルさんは家庭を作り父親になり、

    人として一回りも二回りも強くなったように思います。

    40代になってすぐの大舞台です。

    初めてご両親をライブに招待したそうです。


    様々な人が、武道館のライブで涙したという情報を読みました。

    私は、武道館は行ったことがありません。

    行くのは、息子たちの時にすると決めているからです。

    必ず、あの舞台に立つと信じ切っています。

    2回は、生きている間に必ず行きます。

    そう信じ切っています。

    
    目指して続ければ必ず届くと、ピストルさんが証明してくれましたから。

    おごらず高ぶらず、常に自分と戦い続けた歌うたいボクサー。

    かっこいい男です。

   
    一日中、なんとも言えない心模様でした。

    書いてやっと落ち着きました。

    
    息子たちがその舞台に立った時、

    やっと役目が終わったと、とても安らかな気持ちになるような気がしています。

    息子たちが私を母に選んだのは、

    音楽をしたいから選んだと思っていますから。

    ずっとそう思って生きてきました。

   
Kayomi
Kayomi
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事