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クライストチャーチは、26日から夏時間になりましたが、それに合わせるかのように初夏の陽気になりました。桜が満開です。昨年は8月がとても暖かかったので、9月初旬に満開でしたが、今年は平年よりやや遅い感じです。ポカポカ陽気に誘われて、愛用のランドナー(自転車)で一走りしました。色の濃い桜が見事に咲いているのを見つけて思わずパチり。
クライストチャーチの桜の名所といえば、ハグレー公園、カンタベリー大学、ホーズウェル公園などが有名です。私がニュージーランドで訪れてみたいと思っている桜の名所は、北島ウェリトン郊外のフェザーストンの桜です。その理由は以下の史実によります。
****「月刊NZ」2005年9月号 狩野不二夫氏のエッセイから抜粋****
<フェザーストン捕虜収容所に 眠る48名の日本人兵士
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日本人の若者、特にこの国に在住している若者に、ぜひ一度、訪れてほしい場所がある。ウェリントンから国道2号線を北方へ約70キロほど走ったころにあるフェザーストン(Featherston)という町だ。人口3000人弱の静かなこの農村には、1940年800人余りの日本兵が収容された捕虜収容所があった。
戦時中、ソロモン海戦で捕虜となった日本兵を米軍の要請によりこの国が引き取り、この地に収容した。ニュージーランド側はジュネーブ協定に基づいて捕虜を人間的に扱った。それにもかかわらず、日本兵らは「捕虜は恥」という軍人訓を刷り込まれていたためか、ニュージーランド側の命令に従わない者が多かった。日を追うごとに、看守や警備兵との間で摩擦が生じ、双方の不満は膨張していった。
そして1943年2月25日、数百人の日本兵らが構内に座り込み、捕虜が従事すべき作業を拒否した。そのいざこざから警備兵が捕虜に向けて発砲、一瞬にして122名が死傷した(うち48名死亡、その後警備兵1名も死亡)。難を免れた捕虜らは戦後、無事に日本に送り届けられた。犠牲となったこの48名はせっかく戦場で命拾いをし、もう一歩で日本に帰れたというところで犬死をしてしまったのだ。軍人教育の恐ろしさを痛感する事件である。
21世紀の現在、かつての収容所があった場所には、一面の牧草地帯が広がっている。その一角が収容所跡地として整備され、そこに案内板と記念碑が据えられている。日本の方向を向く鎮魂碑には、松尾芭蕉の「夏草やつわものどもが夢の跡」という句が刻まれている。平和にみえるニュージーランドにも、戦争の傷跡は深く残されているのだ。
わたしは先日、この記事の写真撮影のために当地を訪れたが、隣接した場所に桜が64本植えられ、元気に育っていた。数年前、ここを平和庭園にしようという日本人有志の提案が行政側に出されたが、旧ニュージーランド軍人の猛烈な反対で実現できなったという。その中の案の一つとして、犠牲者一人に対して桜の木を一本ずつ植えるというものがあった。もし実現できれば、この桜並木はさらに盛大なものになるであろう。
また、町の博物館には当時の写真や捕虜が作った工芸品などが展示されていた。事件を後世に伝えるものとして、末永く保存してほしい。
事件の生き証人だった通訳の安達少尉が昨年亡くなったと風の便りに聞いた。戦争体験が年々風化されるのは残念だが、それが未来の平和につながればいい。東京農大のグリークラブ(合唱部)は10年ほど前から夏休みを利用し、二年に一度ニュージーランドへの演奏旅行をしているそうだ。その都度、この収容所跡地を訪れ、コンサートやホームステイを通して地元住民との交流を続けている。(原文は→ http://www.gekkannz.net/thats/modules/nzjoho/index.php?id=105)
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東京農大グリークラブのOBらで構成する「コール・ファーマー」は今年も9月8日にフェザーストンでコンサートと交流会を行ったそうです。感謝。http://www.chor-farmer.com/CFBBS/CFLounge.cgi?page:90=v
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