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7年目...


8月の祝日をきっかけに1週間ほど田舎に帰省していた。

まぁ、、、特にやることはないけれど、今年の夏は大人の読書週間みたいな感じになった。
普段読みたいけれどつみあがっている本を読んでいた。
その話はまた別の機会に...

田舎に帰省すると避けては通れない課題がある。
それは祖母の介護についてのこと。どうやら7年目らしい。
最近は、疲れというかストレスによって母の体調が崩れたりしたときもあった。
病院でみてもらっても特に問題はない。精神的なものだろうね。まぁ、、、理由はわかっているけれど
簡単にはなおらない。

休暇中に思ったこと、感じたことを書いておく。

今の祖母の介護度は「要介護2」である。
週2回のデイサービスと月に1,2回ショートステイを実施している。
普段は実家にはいないので、帰省した時は祖母の行動を見守るようにしていた。

認知症や体力的なこともあり、放っておいたら危険である。
何回か転んだり、ぶつけたりして救急車に運ばれたり病院に駆け込んだと聞いている。
僕らであればぶつけたり転んだりしたら痛いと騒ぐけれどそうではない。
本人もぶつけたことも忘れてしまうから。

いつものことではあるけれど、ばあちゃんは僕に会うたびに、「いつ帰ってきた」「いつ戻る?」を
聞いてくる。そうだね、30分に1回ぐらいの割合だね。
介護を経験したことが無い人であれば、「さっき答えたから言わなくてもいいよね」と注意をするだろう。
それが何回も聴かれるからイラつくと思う。
でも、本人にとっては、前に聞いたことはすでに忘れている。だから毎回初めての気持ちで聞いてくる。
答える方は面倒だと思うけれど、そんなことは気にならない。
ばあちゃんの症状を把握していればそこで怒ることは筋ではないのだから。
注意して行動を改めることではないので、そういうことに対してはいちいち声を荒げることはない。
僕は聞かれるたびに答えている。本人もその瞬間は納得するからね。効力は30分だけれど。

それより注意しないといけないのは、移動した時に転んだり、ぶつけたりしないことである。
玄関が開いていてそのまま飛び出して車にぶつかったり、側溝に落ちたりしないように見ていることが
大切である。
だから日中はかならず誰かが見ていないといけない。
だから今回は普段両親がやっている役目を自分が率先して引き受けた。

病院に通院するときに一緒に付き添いをしたり、お盆なので墓参りに行くときも。
危ないから部屋に閉じ込めることはしない。外出するときは僕が支えとなって手をしっかりと握って
行動を共にするようにした。

10年以上前にホームヘルパー2級の資格を取った時に勉強させてもらった。そのことを思いだしながらの
対応である。

話しはちょっと脱線するけれど、少し前に自称「障碍者」のバニラエアの件があった。なんか企業が一方的に
悪者になっているけれどそれは違うと思う。
この世界、バリアフリーでない環境はまだまだどこにでもある。だから一緒に行動する人は細心の注意を
払わなくてはならない。むしろ義務である。
当時僕らが研修で習ったときは、事前に行動するルートや施設の下調べが必要である。
どのルートが最適化、負担にならないか、施設の方への事前の協力が必要かどうかなど。
みんなで協力しないといけない。

自分の中では怪我したりしないようには細心の注意を払うけれどそれ以外についてはいい感じに
ルーズに対応するようにしている。そうでないと介護する側も負担になるし、そのストレスをばあちゃんに
ぶつけてしまうから。

父は愚痴をこぼす。「俺がこれだけやっているのに、ばちゃんはわかってくれない...etc」
気持ちはわかるが敢えて言おう。2点。
 1.父は自分の母親で血がつながっているけれど、母の場合は他人だよ。そっちの方がきついよね。
 2.「これだけやっている」て独りよがりの場合もあるよね。つまり効率の悪いやり方で頑張って
   疲れるパターン。

まぁ、俗に言われる下の世話とかそうだよね。こういうのは同性介護が基本だからね。
父ちゃんがやろうとする時点でダメだよねと。

あとは、費用の面についても両親と話をした。
ばあちゃん自身は自分の葬式代についてはためていたけれど、介護に費用がかかることについては
思っていなかったからね。そこらへんのこともリアルに話をさせてもらった。

毎回自分に言い聞かせる。父にとっては実の母親だから感情的になるのは仕方ない。
だからこそ、自分が一歩引いた立場から冷静に状況を把握して解決策を見つけようと。

気合いで面倒見るとか、費用は気にするなとか、まぁ、、、実の親に対してはそう思うのは仕方ない
けれど現実は違うからね。今後続いた場合費用はどうなるのかとか、どのような状況になったら
大変になるかとか、状況が変わる要因についても家族で共有しておいた。

今回の成果の一つ。今後の万が一のことについてである。
ようは、延命処置を希望するかどうかである。
ばあちゃんが介護認定を受け始めたころはそんなことを口にするなんて不謹慎だ!!と
両親から怒られた。
けれどずっと介護をしてきたからそれがキレイごとでは済まされないことを気づいたのであろう。
お互いにその意識について冷静に共有することができたのは良かったと思う。

介護については症状が消えて元気になるということはあり得ない。
昔だれかが言っていた。「ゆっくりとあちらの世界に行っているようなものだ」と。

先の見えないいわば長期の戦いである。だから誰かが冷静にならないといけないと思う。
自分も悲劇のヒーローになって感情的に叫んでも責める人はいないかもしれないが
それはいつかくる最期の時に考えれば良い。

僕ら家族はいずれ来るその日の瞬間に後悔しないために、今やれるだけのことをやっている。
なぜならば、もう一人の母方のおばあちゃんの時は最期のあとしばらく後悔をしていたから。
もっと自分が何ができたのではないか?
何かしたくてもどうしていいのかわからない。
本当はあの時、一緒に手を握ってあげればよかったのにどうしていいのかわからず見ているだけの
自分の姿を思い出すことがある。
そのような後悔はしたくない。

そのためにちゃんと向き合おうと思う。
最終日、「正月また来るからね。元気でいてね」と言って僕は関東に戻ってきた。
さて、月曜からまたいつもの生活がはじまる...




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