前に書いたことがあるのだけれど、改めて書いてみる。
自分が大阪に住んでいた時のころ、実家には犬を飼っていた。
自分が大学生の時の時点で既に老犬であった。過去に交通事故をおこして不自由になっていた。
自分が社会人になってからは、帰省の時にしかもちろん顔を合わせることができない。
そして、会うたびにどんどん衰弱しているのがわかる。
散歩は昔すきだったけれど、年には勝てないよね、少しずつ動けなくなっているのだから。
亡くなる歳の夏、なんとくだけれど、今年いっぱいはもたないのではないかと感じた。
だから、自分が大阪に戻る時に言い聞かせた。
「僕を待っている必要はないよ。先に逝っても大丈夫だよと...」
犬は、飼い主の帰りをいつまでも待っているというからね。それが最期に交わした挨拶だった。
その年の瀬、帰省した時に、すでに亡くなっていた。家族はその話をすると自分が動揺するからと
伏せていたとのこと。まあ、家族の優しさだということはわかっているが、個人的には
隠していたことが今でも腑に落ちない。
帰省後その事実を知らされた、ショックというよりも、楽になって良かったねと思った。
そして、その直後不思議な感覚を味合うのであった。
普段は家の外につないでいるのだけれど、たまに家に上げる時がある。その時は元気に走り回っている。
冬であるならばストーブの一番温かい場所に陣取って居眠りするくらい。
もう、この世のにはいないはずなのに、何か足元を走る感覚がある。
なんども気のせいだと思う。だってもうこの世にはいないのだから...
それでも、そんな感覚がl間違えじゃないと思ったときだった、
姉ちゃんも同時にその姿をとらえた。
居間から台所にいつものように走り抜ける状況を感じたのだった。
その時の感覚は、半透明な体が動いている感じだった。
自分だけではなく、姉ちゃんも同じタイミングで感じたのでこれは間違いないと確信した。
その時の姿は、不自由になった体ではなく、元気だったころの姿であったとこをあとで思い出した。
どうやら、向こうの世界ではちゃんと体を取り戻したみたいで安心した。
見えないものが見える時、普通ならば、怖いとか否定したいと思うけれど、
やはり自分の大切な家族や友人であれば、怖さよりももう一度会えたことの喜びの方が強いと思う。
その夜、僕は今のこたつの中で居眠りをしてしまった。
でも、その時、自分の寝ている傍らにいる感覚を味わった。
自分の体に寄りかかる体重や毛ざわり、匂いが、生きているときの感覚と同じだった。
夢だったのか、出てきたのかはわからないけれど、目が覚めたときのその感覚はリアルだったのを
覚えている。
ただ、その日を境に、目の前に現れることはなくなった。
最期に僕に挨拶をしてくれたのだと思う。
そして、たまにではあるが、夢の中に出てくれる時もある。
普段夢をみていても、リアルな感覚はあまり感じない自分。でも、その時だけは
いつも目が覚めたら覚えている。
「う〜ん、、、でも、引っ越し先の住所は教えていないのだが...」なんて一人ツッコミはするけどね。
人も動物も、体が消滅すればそれでおしまいだと人は言う。
でも、ひょっとしたら魂とか精神とかは本当に残っていて僕らの様子をみてくれているのではないかと
思うようになった。
そんなことをふと思った日だった。
なんでだろうと思ったけれど、三月三日は桃の節句なんだよね。
飼っていた愛犬の名前は「モモ」だからね。
と、おあとがよろしいようで...座布団一枚でよろしくお願いします。