もうひとつの風の日常的風景

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記憶のかけら

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母の法要の日

これは、母の一回忌の法要の日に書いたものです。
楽天で書いたものを、こちらへ移動しています。
(というわけで、広島弁で記述しておりますが、分かりにくい点、
ご了承くださいませ)
現在、ブログの住み分け中です〜。
こちらの画像ブログでは、画像保存と、心のつぶやきを置いてゆく場所にしてゆきたいです。

<記述日:平成17年4月26日>

今日は、母の一周忌じゃった。

母の一周忌というても、子供の私がするべきことゆうのは、
ほとんどなかったわけなんじゃけど・・。
法事の準備やら、連絡やらは、ほとんどが母の側近じゃった人が
行ってくれたけん。

正直、母の法事の場へ行くんは気が重かった。

普通、母親の葬式や法事は血縁者が仕切って、
血縁者が中心で行うものじゃけど、母の場合は違うわけで。
私は、母の子供であっても、あちらさんからしたら
客人扱いになるわけで。・・・
私はいつも、どういう顔で、そこへ居ていいのやら分からなくなる。

ほいでも、正直、ありがたいんです。
母のために、あんなに親身になって、動いてくれる人がおるいうんは
実はとっても嬉しい・・。
血は水よりも濃いゆうけど、義理の重さにはやっぱりかなわんのじゃないかと思う。そういう家族が、ここにある。と思う。

特に、母の家族は不思議な家族で、任侠の世界の人と、堅気の世界の人が
融合しとるような不思議世界。
母がどれだけ世話好きで、人の面倒を親身になってみていたか、
というのが、分かるような法事じゃった。

任侠の世界というんは、確かに、敬遠される世界じゃろう。
でも、母にとっては、それが全ての場所じゃった。
それは、息をひきとる寸前まで、変わらん信念じゃった。
「私は姐さんの顔で逝く」(つまり、母の顔を捨てて)
そう、母は決めて、最期のときを迎えた。

今日もお寺さんで、母の写真と向き合うような形で正面に座った私。
お経をいただきながら、母にいろんなことを話しかけてみた。

もちろん、答えゆうんは、すぐには私のもとには、かえってはこん。
(私は霊感ゆうのが、サッパリないけんね)

じゃけど、きっと、私の知りたいことは
時間をかけてでも、私の中に答えをくれるもんと思うとる。

・・ほいじゃけど・・・。

今日、母の遺影と向き合っとるとき、くすっと笑えたことがある。

最近「そういえば、これって、笑えるよね冷静に考えると」
ということに、思い当たったからじゃけど。

それは、母の遺影のことなんじゃけど・・。

昨年の通夜の晩のバタバタ劇を、思い出した。

「え、姐さんの写真、これなん」
「・・でも本人の意志なんじゃけん・・」
「でも、これはちょっと・・」

と、母の葬儀の準備に走る人が交わした会話。

胸の中によぎった思いは、みんな一緒じゃったじゃろうと思う。
「姐さん・・これはちょっとまずくないかい?」
だって、その写真は、母が30歳のときの写真なんじゃもの。

母は自分の死期を分かっとったけん、
自分が死んだときの葬儀屋はどこどこで、お寺はどこそこ。
弁当屋はここ。弔問客の連絡先はここで、骨はいついつここへ納めること。
と側近の人にお願いをしとったそうで。
形見分けは自分が生きてるうちにと、生前に終わっとったし
戒名も自分でとっとったほど準備は周到。

そして当然、自分の遺影はこれ、という指示は入っとったわけで。
聞けば、母の一番いい時代の写真だという。
切れ長の目が、こちらを見とる・・。
顔は笑っとるけど、目は笑っとらん・・。眼光がするどい。
写真からオーラを感じる。

それは、私の記憶の中の母じゃった。
5歳までの、私の中におる、母の面影。
いつも母の手のひらに怯えて、叱られるのを怖がっとった記憶。

「私の記憶の中の母そのものです」
というと
「そうなん?うちも、この写真見たら、よう怒られたこと思い出すわー」
と、まわりの人が次々と答えてくれちゃった。
少し、笑った。
そして、ちょっと気持ちが軽くなった。
母は私だけに厳しかったわけじゃなかった。
縁ある人全てに、厳しい人だったんよね。

しかし、私の胸中は少々複雑じゃった・・。
だって、私よりも若い頃の母の遺影を抱いて
私は歩かんといけなかったわけで。
出棺のときも、火葬場のときも・・・。
・・・・(^^;

ああ、そうじゃ、また思い出した。
通夜や葬儀のときに、次々と訪れる弔問客が焼香をしながら戸惑うように
「・・この写真の人は・・姐さんかい・・?」
と、言葉を濁しながら聞くのを、「はぁ・・そうなんです」と
頭をたれているしかなかったんじゃった・・。

その時は、頭の中がパニックで、可笑しい思いは湧いてこんかったんじゃけど
今、冷静に考えてみたら、母のお茶目な一面だったんじゃないんかな・・とも思える。

でも、こうして、母の法要があるたびに、
母と過ごした人たちの昔話を聞くことができるんは嬉しい。

そこには、私の知らない母がたくさんいるんじゃもの。

大変な出来事も、今となっては武勇伝・・。
母の話を聞けば聞くほど、母という人に興味が湧いてくる。

母のことを、もっと知りたい、と思う。

そんな、かけらをこれからも集めたい。
そのうち、私の記憶の扉もひらくじゃろう。
母との5歳までの記憶。
今は思い出せないでいる、記憶。いつか。

母の命日

今日、5月10日は母の命日だ。
一周忌。

母が息をひきとったのは、夜の10時45分のことだった。
最後に、大きな息を、ひとつついて
母の壮絶ともいえる、56年という生涯が終わった。

去年の今頃(午前零時前)は、棺の中で眠る母と一緒に車に乗って
母の住んでいた家へ、向かっていた頃だったな・・。

去年の5月7日。
もうすでに意識のない母と、33年ぶりの再会をして・・
母の看病に4日間ついていた。
5歳のときに、母とは生き別れた私だった。

意識のない母の手を、4日間、握り続けていた私。
母とは言葉を交わすことは、ついぞなかったが
・・けれど、母の顔を見ながら、心の中でたくさんの話をしたと思う。

・・去年のあの4日間と、通夜、葬儀のことを思い出そうと思っても、
半分も覚えていないように思う。
無我夢中だったから。

母は末期の癌と分かり、余命数ヶ月の宣告を受けた。
そして、国立病院のサナトリウムへ入り、
「延命治療はしない」という選択をして、最後の時間を過ごしていた。

そして、最後の最後まで、自分の生き方を貫いた・・

延命治療をしない・・ということは、自分で死を選択したのも
同じことだと・・私は思う。
自分の運命を受け入れるまでに、どれだけの勇気と決断が必要だったことだろう。

・・私は、母と5歳までしか、一緒に暮らしていない。
そして、正直にいうが、母との思い出は、楽しかった思い出を
ひとつも、持たない。

・・それでも・・母の最期に立ち会うことができて、私は突然に
母から生まれてきた意味を了解した・・。

私は、母のこの最期に立ち会うために、母に出会った。

母の最後の生き様を、学ぶために、母という人から生まれたのだと・・。

だから、私は、一所懸命に生きる。

これからも。

ずっと。

父への手紙


これは父の命日に書いた手紙です。ゆえに広島弁で記述してありますがご容赦ください。


おとうちゃん、おとうちゃんが逝ってしもうて
今日が4回目の命日じゃね。

今年は、桜が咲くのが遅かったけん、
おとうちゃんの命日に満開になったねぇ。

嬉しいじゃろ?
おとうちゃんの好きな花じゃもんね、桜。

空からのお花見は、どんな感じ?
気持ちが、せいせいするじゃろうなぁ。

おばぁちゃんも、そっちで元気しとる?

おかあちゃんも、去年、そっちへ行ったじゃろ。

・・ねぇ、やっぱり、おかあちゃんとも話とか、するん?

死んでしもうたら、この世のしがらみは関係なくなるゆうことじゃけん、
この世で起こったいろんな出来事は水に流して、
仲良うしようるもんと、私は思うとるよ。

おとうちゃん。
あのね。

おかぁちゃんとは、33年間、生き別れたまんまじゃったのに・・
去年、おかあちゃんの最期に会えて
息をひきとるまで、手を握っとくことができた。
耳元で「生んでくれてありがとう」も言えたじゃろ、私。

ねぇ、あれって、おとうちゃんの、はからいじゃろう?
最期に立ち合わせてくれたんは。



・・・あ、今、おとうちゃんの笑うた声、聞こえた気がする。




うん、やっぱり、そうか。ほうじゃ、思いよったもんね、私。

残念なのは、おとうちゃんの死に目に会えんかったゆうことじゃけど・・
ほいでも、こうして、私が話しかけたら
傍に来て聞いてくれようると思うとるけん、あんまり
悲しむことはせんどこうと思うよ。

せっかく生きとんじゃもん。
私の持ち時間、がんばるわ。

私がそっちへ行くときに
お土産話をいっぱい持っていけるように。

ほいじゃぁね。
また、話そうね。

その時は、また、今みたいに笑うて、合図を送ってーよ。

平成17年4月12日記述

母のことを少し


(2004年度のまとめから抜粋)
・・・・・・・・・
母のことを少し。
母とは事情があって、5歳のときに、
生き別れたきりの暮らしをしてた私。

ところが、母が末期の癌と分かり、
親戚の者が「少しでも、母子の時間を作ってあげたい」と、
私と私の妹に、母と会う手はずをしてくれた。
それが、2004年5月のことだった。

5月6日から5月10日までの、母と過ごした最期の時間は
私にとっての「奇蹟の四日間」だった。

母が息をひきとる瞬間まで、私は手を握って
看取ることができた。
母が最期の息をついたのは
5月10日。午後10時45分のこと─。
大きく長い息をして、母の壮絶ともいえる生涯は、終わった。

ずっと会わずにいた母だったから
すぐには『母との再会』はピンとはこなかった。

母に会ったときには、母はもうすでに意識はなく
何を問いかけても、答えてはくれない状態でもあった。

それでも─
ずっと手を握っていたら、いろんなことを思い出してくる。
母との記憶は、5歳のときのものまでしかない。
しかも
その、ほとんどが、辛い記憶しかないのだけれど。

私が5歳のとき。
自分の道を選んで、家を出た母。

私は「母を恨んではいない」・・と
今までずっとずっと思っていたんだけれど。
実は心の中で、あることを母に問いかけ続けていたんだなということが、分かった。

ずっと問い続けていたのは
『お母ちゃん・・私のこと、愛してくれてた・・?』

母は、すっごくすっごくスパルタな人だった。
私はとても厳しく、躾けられた。
母の手のひらが、怖かった。
本当に。
躾けとはいっても、見ようによったら、あれは虐待ととられるだろう。
いや、私でさえ、今も「あれは虐待だった」といぶかしく思うほどだから。
そして幼い私は思っていた。
『お母ちゃんは、私のこと、嫌いなんだ』って。

そのことは、実は、この年になるまで
私の人格に、大きく陰を落としていたのだ・・。
今思えば・・・ではあるが。

大きなしこりとなって、私の中へ、ドカンとあった。

けれど、そのしこりは無くなった。
母との最期の時間を過ごせて、それは消えた。
・・・
言葉を交わせなくても、分かった。
母は私を、愛してくれていたんだってことが・・。

他の付き添いの人が誰もいなくなったとき
母の耳元で言えた・・。
「お母ちゃん、生んでくれてありがとう」
自然に思えた。
私の言葉、、、届いたと思う。
意識はなくても、耳はずっと聞いているから、と、看護婦さんが言っていた。
だから、聞いてくれたよね。

私は2001年に父を亡くして、その翌年に
母代わりだった祖母も亡くしているので、これで
私の大切な身内は、すでに空の住人になってしまった。

大切な人が空にいると思うとね・・
「見てくれてるんだから、今日もがんばろう!」
「せっかく生きてるんだから、生きなくちゃ」
って思うんだよね。

私の中の心の目が、増えたって感じかな・・。

そして「自分の時間を精一杯生きよう」と
思えるようになる。

これが、2004年の一番の出来事だし、
この先の私の人生を大きく変えたであろう
出来事だった。

平成16年12月2日記述

桐の箱


私は今までの半生の中で、二転三転と暮らしが変わってきたが
その間、ずっと持ち歩き続けたものがある。

それは、この小さな桐の箱。

裏には

父名/孝  38才
母名/A美 18才
氏名/●●孝子
月日時間/昭和41年7月31日 午前11時15分生
体  重/2、859g

と記されている。

そう、これは臍の緒の入った桐の箱。

私が5歳のときに、母は家を出ていったが、この桐の箱は
置いていったものらしい。
その後は、母代わりとなって育ててくれた祖母が大切に持ってくれていた。
それを私は、ずっと持ち歩いてきた。

私が生まれたのは、この父と母がいたからである。

そして、この父と母との間に生まれたことは決して偶然ではなくて
意味があってのことと強く思って疑わない。
むしろ、私が魂だった段階で、この二人をあえて
選んで生まれてきたのだと、今はそう思う。

私の半生は、決して豊かで恵まれたものではなかった。

けれど、去年の2004年5月─。

33年ぶりに会った母の耳元で
「生んでくれてありがとう」
と、心から言えた。
「私は私として、生まれてきてよかった」
と、心から思えた。
私は自分の生きてきた道のりを、愛おしく思えた。

実は私は、昔の記憶をあまり持っていない。

「忘れたい。捨てたい」
と思い続けていたため、本当に覚えていないことが多い。

けれど、それは覚えていないのではなくて
記憶の扉を自分で閉めてしまっていたからなのだと思う。

今、私は自分の心の奥のモノと向き合うことを始めた。

それは、とても怖いことでもあるけれど
これから先の私にとって、大切な作業になるに違いないと思う。

そういうわけで、心の奥の記憶のかけらを、拾い集めて、この場所へ
断片的にでもストックをしていくことにした。

過去の私と未来の私を繋ぐ
1本の道として─。

平成17年2月4日記述

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