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またまた追憶のドイツ・ベルリン旅行からです。 ベルリンは第2次世界大戦後、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4国によってそれぞれ分割され統治されました。 そもそもは平和な国ドイツを再生するための共同統治でしたが、自由主義国家のアメリカ、イギリス、フランスの3国と社会主義国家のソ連では、お互い相容れない部分が多く次第に対立の溝を深めて行きました。そして、ソ連側が自国の管理地区の住民が西側管理地区へ流出するのを食い止めるために造った「ベルリンの壁」の完成とともに、対立は決定的なものとなり東西ベルリンの分断が始まりました。 今はもちろん検問などはなく観光スポットとして多くの人が訪れていますが、紛れもなくこのチェックポイントで東西ベルリンは分断されていました。 私はブラブラ歩いていて偶然ここに遭遇しましたが、今思うと、随分とこのチェックポイントの前後では街の空気が違っていたなと思い出されます。 この近くに「ベルリンの壁博物館」があり、そこでは多くの人が壁を越えようと試行錯誤した創意工夫の歴史を見ることができます。車のシートの下に隠れたり、トラックのタイヤの中に隠れたり、鳥人間コンテストのようなグライダーで壁を越えようとしたり、もう涙ぐましい努力の跡ですが、成功したのはごくわずかだったようです。 私は訪れませんでしたが、壁に阻まれた人々の墓地もあるようです。 |
--ベルリン--
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またもや追憶のドイツ・ベルリン旅行からです。 ベルリンは戦争にまつわる建物や記念碑が多い街です。 ブランデンブルグ門、戦勝記念塔、ベルリンの壁。。。。 その中でも異彩な存在感をはらっているのが通称「ベルリンの虫歯」と呼ばれている カイザー・ヴェルヘルム記念教会 第2次世界大戦に度重なる空襲をうけ、ボロボロになったまま保存されております。 この建物を「虫歯」と称してしまうドイツ人の神経には恐れ入ってしまいますが、教会の中を見るとそんな脳天気なこともいえなくなるほど、戦闘のすさまじさが生々しく刻み込まれていました。 OH MY GOD!!!! 隣の近代的な黒い建物が新教会です。まったく教会に見えませんが、内部はしっかり教会していました。 「虫歯」の痛みは歯医者さんで直せますが、戦争でできた「虫歯」の痛みは癒えるには長い長い月日が必要なのでしょうね。 そういう意味でこの教会はこれからもずっとずっと生き証人として「痛み」を語り続けることでしょう。
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なんだか春の陽気に反比例するかのように花粉症で痛めつけられすっかり気が重くなっていたら、ふと2年前のドイツ・ベルリンの壁を訪れたときのことを思い出しました。 ★上の写真はベルリン「ソニーセンター前の壁」 突然ですが、想像してみて下さい 自分が住んでいる町が、ある日突然、コンクリートの壁に囲まれ、その壁から一歩たりとも外に出れなくなる。 そしてそんな生活がこれから28年も続く。 もし、自分の身にそんなことが起こったとしたら。。。 ベルリンを訪れたときに、わたしはずっとそんなことばかり考えていました。 ドイツビールを飲んでも、自慢のウインナーを食べても、ドイツ独特の甘味なワインを足元がおぼつかなく飲んでも、格式高いコンツェルトハウスでワグナーの音色に耳を傾けても、ベルリンに滞在している間、私の気持ちが晴れることはありませんでした。 ベルリンの壁は1961年8月13日に作られ、1989年11月9日に崩壊しました。 壁をハンマーで叩き壊す映像が今でもよみがえってきます。 壁のほとんどは取り壊され、大部分は道路の材料になり破片は観光客のおみやげになりました。 今も残されているわずかな壁には絵がかかれています。 28年もこの壁に閉じ込められていた人々はどういう気持ちでこの絵を見るのでしょう? |
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