風の旅路

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脳梗塞の日・おまけを読んでね

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ちょうど1年前に

ちょうど1年前の今日、3月9日の夕方5時頃、
京都国際会議場での打合せを終えて、京都駅に戻ってきていた。
京都駅のコンコースを歩いていると突然に、
左足を引きずって歩くようになってしまった・・・・・。

この症状から、大阪での入院生活一ヶ月、千葉に戻っての転院二ヶ月を
費やすことになった。
三ヶ月たっての退院で、脳梗塞の麻痺が治るわけではなく
そこからは、リハビリも続いていた。
厳密に言えば、今でもリハビリは続いていると言ってもよい。

お蔭様で、ちょうど一年たって、左腕は発症当時とは比べ物にならないほど
動いている。
発症当時の左腕は肩から先はまるで、死人の腕が付いてるようだった。
肩や、腕や まして手指は、どうすれば動くのかさえ分らなかったのだ。

最近は車に乗ることで、回復の実感を感じている。
ハンドルに手を添えて握ること。たったそれだけのことでも
力の入り方が、毎回改善されているのがよく分かるのだ。

千葉の入院中に知り合った脳梗塞の人の症状は、皆もっと思い人たちばかりだ。
入院中にも、再び発症してもっと重くなって、近くの脳外科に緊急入院する人が二人いた。

退院後も皆一応によくなって見違えるように回復されているが、
再発して病院に逆戻りの人も二人知っている。
どうやら一度発症してしまう人は、二度三度と発症しやすくなるようだ。

だから発症しないようにするために 常に心がけなければいけないのだが・・・・
身体の調子が少しでもよくなると、木も緩みがちになってしまう。
マジに注意していかないと、今度はもっと重篤になると言うことだから
しっかり管理しなくてはいけないよね。

来年の今日は、どんなに普通に近づいているのだろう。
 
   「日々健康に心がける。」
     この合言葉はこれからもずっと僕の合言葉なのです。

丁度7ヶ月前に。。。

7ヶ月前の3月9日に
僕は脳梗塞になってしまった。
幸い軽かったので、左腕と手指にダメージがある他、左足に少々。
現在はかなり遠出にも行って、出張も再開している。

一昨日、脳梗塞になったその現場に出張に行ってきた。
京都国際会議場である。

あの日の午後に 京都国際会議場で打ち合わせがあって
その帰りの京都駅で、足を引きづるようになって発症したのだ。

京都から大阪のホテルまでの移動のとき
自分の体がどうなってしまったのか?の不安に
とても長く感じられる電車での移動の時間だった。
今思い出しても、その時の状態のことは
鮮明に思い出される。

今回もその思い出がめぐる中、
京都国際会議場からの地下鉄と
京都駅での乗り換えに 一応の不安と心配があった。

因縁の場所と言うこともあって、無事に帰ってこれたので一安心だ。

おまけ。症状

脳梗塞は誰でも
突然に発症するかもしれません。
先日のラジオ番組で、加山雄三さんがMRIで調べたら
既に4箇所の脳梗塞のあとがあると 言ってました。

発症して2時間までならすぐに処置をして
詰まったところを溶かす点滴があるそうです。
・・・しかしこれは余程条件が揃わなければ
2時間以内というのは無理だと思うよね。

僕の場合は、
発症が京都駅で足を引きずり始めて
新幹線で大阪に移動して
ホテルに直行して、少し休んで病院に駆け込んだけど
病院でMRIで脳梗塞と決定されるまでに
2〜3時間だと思うけど、その点滴が可能ではなかった。
もし、
「京都ですぐに病院に行ったらもっと軽くて済んだのかもしれない」
なんて言われたら、その症状が「もしや脳梗塞?」って分かっていたら
京都の病院に行けたはずだよね。

だから
こんな症状だったと言う例を書いておきたいと思う。

発症の1 75歳の女性 
13年前に くも膜下を発病し今回まで元気でいたそうだ。
台所でお鍋を洗っていたところ、突然左手に力が入らなくなった。
と同時に左足も立っていられなくなって、
倒れるのを恐れ咄嗟にその場にしゃがみ込んだ。
近所にいる娘さんに連絡し、すぐに救急車で病院へ運ばれた。

発症の2 63歳の男性
朝、ゴミを出しに出たとき、ゴミを所定の場所において
家まで20メートルほどのところで、急にまっすぐに進めなくなった。
意識がはっきりしているのでおかしいなと思いながら
歩くが隣の家の塀にヨロヨロともたれ掛かってしまったらしく
そこに娘さんが出てきて、異変に気づき救急車を呼んだのだ。
救急車に乗ったところすぐに意識がなくなって
気がつけば、病院のベッドで点滴をしていた。とのこと。

発症の3  54歳の男性
朝の起床時、地震の様な感覚で右手が上がらなくなった。
やっと起き上がることで会社に電話を入れてその日は休むことにした。
3時間ほど眠ると、手足は動いたので、「さっきのはなんだろう?」と
思いながらも普通に起きて行動をした。
翌日は何事も無く、ごく普通に出勤した。
しかし次の日、前のときと同じように右半身が動かなくなっていた。
自分で救急車を呼んで、その後意識が無くなり
気がついたときはそれから4〜5日たって病院の
ベッドの上にいたとのことだった。



このように
突然に手足が動きにくくなるのが、特徴のようである。
殆どの場合、顔面も半分が麻痺し始めてくるので
急に言葉も ろれつが回らなくなってくるのだ。
症状としては
歯医者で麻酔をかけたときのような、
感覚とまったく同じようなものだ。

こんなことがある日突然にやってきたら、
迷わずに救急病院に直行する方がいいだろう。

気をつけてね!

脳梗塞の日・その日5

この病院は、大阪中ノ島の西の端にある住友病院である。

診察には担当の医師が待機し、僕はその症状を話した。
2〜3の症状を話したそれだけでストレッチャーに寝かされた。
これから一週間ベッドから降りれなくなるとはこのときはまだ
気がついていなかった。

緊急担当の医師が足を動かしたり、さすったり目を動かしたりと
いろいろな指示が来て、僕はそれらに従っていたが、
どうやら左手、左足が動かないようだ。
硬く丸く尖ったゴムの付いたハンマーのようなもので、
足の様々の部分をコンコンとたたいた。

やがてもう一人の医師がやってきた。
「脳梗塞のようです」と担当医師がやってきた医師に話した。
そのとき僕も始めて脳梗塞なのかと、認識した。
やって来た医師も初めの医師がやったようにゴムのハンマーの
ようなものであちこちを叩いた。

「明日仕事で出張中なんですが・・・」
「出張中なんや・・・」
「帰れますか?」
「それは・・・ちょっとぉ・・・」
さらに「今からMRIを取りますからね」
看護師が、MRIの部屋へとストレッチャーを移動させた。

移動の途中は、病院の廊下の天井だけが目の上で
どんどん通り過ぎてゆく。
MRIのある部屋に入り、ストレッチャーからMRIのベッドに
3人がかりで乗せかえられた。
「しばらく頭を動かさんように」
と言いながらクッションを耳の横に挟んだ。
「うるさい音がしますよ。検査の時間は大体15分です。」
「今から始めますね。」
僕はいよいよ観念したように冷静な気持ちで時間の流れに
身を任せていた。
検査の技師が隣の部屋に入り、いよいよ始まった。
言われていたとおり、うるさい音がした。
何回かの後に、今までの緊張からか、眠気が襲ってきた。
夢心地のうちに検査は終わった。

再び検査室に戻って
「今から入院してもらいますからね。」事務的に言われ、
「連絡したいところがあるんですけど」と、
かみさんに電話をかけて、大阪の病院に緊急で入院することを告げた。
そのまま病室に運ばれて、点滴が開始された。
「脳神経の先生が来て、今日から3日間は頭を上げないでくださいね」
「トイレはどうしますか?」
「尿器でやってください」看護師が口を挟んだ。
「終わったら呼んでくださいね」
僕はベッドの上で観念した。

しばらくたった頃、大阪の業者のOSさんが来てくれた。
「大丈夫ですか?」心配そうに顔を覗きこんで
「ホテルの荷物、こっちに持ってきたほうが良いですよね?」
「うんうん、すみません、ありがとう」
「じゃあ今取ってきますから、
・・それと奥さんの方にも電話しときますね。」
こんな時に動いてくれるって、本当に頭が下がります。


「ありがとう、ありがとう。」何回も彼に心でお礼を言った。

      2006年3月9日の その日   完

脳梗塞の日・その日4

11時を過ぎて広隆寺を後にした。
途中昼食でもとりながら、妙心寺に向かおうと
歩き出したが、営業しているお店がなかなか見つからずに
妙心寺まで着いて結構な距離を歩いたようだった。

小さなお寺がいくつも集まって妙心寺を構成している。
ここにはかつてテレビで見た水琴窟のあるお寺がある。

水琴窟とは、水滴が地面に埋められた水がめに
反響して美しい音を奏でるもので、茶の湯を愉しむと
同時にその音を愉しむという風流な仕掛けのようなものだが、
こう書いてしまうと、
風流もどこかにっ飛んでいってしまいそうだが、
一度は聞いておく価値のあるものだとつくづく思っていた。

まだまだ時間はあったが、先の広隆寺での印象が大きいために
これ以上いろいろ見てしまうと、
弥勒菩薩の価値も薄れてしまいそうなので
あえてこれ以上を見るのを止めておいた。

門前町の小さな食堂で昼食をとりながら予定の時間までを
のんびり潰した。

客待ちのタクシーの運転手さんに、
京都国際会議場までの道のりを聞いた。
丸太町に出て地下鉄に乗り換える方法を教えてくれたが、
それより、自分のタクシーに乗って欲しいと勧められた。
通常なら3000円位かかってしまうが、2000円で
メーターを止めてくれるなら乗ってもいいと交渉し、
結局2000円で乗ることにした。
実際国際会議場に着いたとき、
メーターは3600円にもなっていた。
得したことには違いないが、
運転手さんには悪いことをしてしまった。

その後、クライアントの人と待ち合わせ、
一頻り打ち合わせが終わったのは
午後4時半頃だったと思う。
地下鉄で京都駅に戻り、少し早い食事をしようということになった。


京都駅構内を歩いているうちに
それはじわじわとやってきたのだ。

僕は左頬を左手で触れたときに
自分の手の感じに違和感を覚え、
その次に同行の人がその異変に気がついた。
「足がびっこ引いてるけど、だいじょうぶ?」
確かに左足が床をすって歩いていた。
駅ビルのレストランを探すために、
近くにいたガードマンに尋ね、レストランに向かおうとした。

「やはり少し具合が悪いようなので、僕は先に帰ります」
急激に変わりゆく体調に、素直に口から出た言葉だった。

一人京都駅のコインロッカーで荷物を引き上げて
新幹線に乗って、大阪に向かった。

左手はすでに自由に動かなくなっていた。
新幹線のドア付近で15分間の移動を待っていた。


今から思えば新大阪から大阪への乗換えが一番体調の変化を
感じていたように思う。

もともと糖尿があるから、そのときまでは低血糖かな?
などと思っていて、脳に障害があることなど
ほんの少しも疑ってはいなかったのだ。

甘いものでも口にすれば・・・という思いから
売店で一口のチョコレートを買った。
すぐに口にしようとしたが、
左手は完全に言う事を聞いてはくれなくなっていた。
袋を破ることも出来なくなっていたのだ。
近くの若い人に
「手が動かなくなったので袋をあけてくれませんか?」
「あ、いいですよ〜」といって中から小分けにされた
チョコレートを取り出してくれた。
「だいじょうぶですか?」その若い人は聞いてくれ
すぐ傍のタクシー乗り場まで付いてきてくれた。
「ありがとう」という言葉を残し、
「土佐堀2丁目まで」と運転手さんに伝えた。

一度利用しているホテルなので、場所を伝えることは簡単だった。
チェックインして、とりあえず少し休もうと
ソファーに倒れこんだ。
20〜30分しても体調は直らなかった。

僕は病院に行く決意をした。

次の日の会議収録のためのビデオテープを
業者の人に渡す必要があるので、携帯で連絡を取った。
「急に具合が悪くなったので、今から病院に行ってくる。
明日使うテープを取りに来て欲しい」と頼み
すぐさまフロントに電話して
近くの救急病院を教えてもらった。
フロントで
「知り合いが荷物を取りに来るので、部屋に入って
 持って言って欲しい」と告げると
「病院まで送りましょうか?」
「いえ、自分で行けますから・・・」と
ホテルを出てタクシーを拾った。
救急病院はすぐ近くだった。具合が悪いと告げると
いやな顔もせずに2〜3分の距離を走ってくれた。
ぼくは小銭入れを出して、
その中から金額を取って欲しいと運転手さんに伝えると、
彼は、さらに降りてきて
僕の降りるのを手伝ってくれた。
「行けますか?」心配そうな大阪弁が帰ってきた。
僕は「大丈夫です」と入り口に向かった。

救急窓口に「今電話をしたものです」と
名前を告げた。

看護師が急ぎ足でやってきて、僕の症状を尋ねて
診察室へ直行した。

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