|
最近のえっちゃん、どうもおかしい、、、。 |
えっちゃんとの日々(介護?!)
[ リスト | 詳細 ]
|
紅葉を見に行ってきました。 |
|
ご無沙汰してすみません。 会社の決算で1年分の帳簿やら、、をいっきになんとかしようと、まるで期末試験の一夜漬けのような 日々を過ごしてました。(毎年思う、毎月ちゃんとしておいたほうが楽なのにと) 無事税務署に提出し、ヤッホ〜!無罪放免の気分! で! あたたかな秋日、海をみたくなって車で10分ほどとばして須磨の海岸へ。 午後3時ごろまだ太陽の日ざしは暖かく、上着を車に置いたまま砂浜を散歩。 えっちゃんは1年ぶりの海岸。 海の近くで育ったえっちゃん。 祖父は釣り船をもっていて、その船に乗せられた5歳ぐらいの時のえっちゃんの写真がありました。 なのに、何があったのかいまだにえっちゃんはカナズチ! 私が子供の頃、母の育った海で泳いでいると浅瀬で母が叫んでいる 「そんな深いところで泳いだらダメェ〜!ママはそこまでいけない!助けてあげられへんのやから〜」 と言いつつバシャバシャと溺れ気味、慌てて戻ると母は悲壮な顔をしてバシャバシャ! 「ちょっと!落ち着いて立ってみ!」「あかん!」「立てるから!」「えっ?」 この時子供心にもしっかりしなくてはと肝に銘じたのでした。 えっちゃんは砂浜に寄せる波を見つめてました。 そして水平線を、そのかなたを、空を、ただじ〜いっといつまでも日が暮れるまで見つめていました。 えっちゃんの心は不自由な身体から飛び出し自由に飛び回っています。 そして淡路島に夕日が落ちる頃はさぶ〜〜い! 風邪は治っていますのでご心配なく。
|
|
更新できない日が続いていたのにご訪問してくださってありがとうございます これからはまた更新してゆきますのでよろしくおねがいします。 (バタバタの10月でした) いよいよ、ついに、、、。 父を亡くし意気消沈していた母がいつの間にか父がいた頃よりパワーアップし、乗り換えた車がコレ! どれにするか選んでいた時、「う〜んあれだったら乗ってもいいわ〜」と指差したのがポルシェ! 知らぬとは恐ろしいものでとんでもないことをのたまった母。 私の白い目に配慮してその次に選んだのがコレ。そして「このどっちか以外はいや!」−結果は明らか。 それでもあきらめきれない母は「ま〜ええわ、もっと年をとって白髪のおばあちゃんになった時スカーフなびかせてあれに乗ることにするわ、楽しみとっとこ!」 それから8年間母が運転出来なくなるまで母にお仕えしてくれ、母も時間が経つごとに愛着を感じ、運転出来なくなっても「治ったら、絶対治って運転するからちゃんと管理しておいて」と言う。 私は自分の車を処分し今日まで乗り続けてきた。 心の中ではとても大好きで大事に思ってはいるのだけど、ちゃんとメンテナンスすることもなく手荒に扱ってきたのに健気にも入院するようなこともなく、ひたすら就いてきてくれていた。 ここ何年間はやはり年には勝てず、オイル漏れ、水漏れ、ラジエーター、エンジン、、、 治していたらきりがないので全て我慢!車と折り合いをつけながら騙し騙し、、走ってくれりゃいいよと。 母だけでなく、車も介護している気分。 いつしか母と車が私の中で一体化してゆく。 そろそろ乗り換えたら?と誰からも言われても「ノー!」 えっちゃんの、えっちゃんとの思い出の詰まった車だもの。
(いまだに母が打ち直した布団等使わないのに捨てられない。大ゴミの日にいつも眺めつつ、、。)
母が元気で運転してた頃、後を私の車でついて走ったり、偶然すれ違ったり、身体の小さな母が運転しているとどこから見ても無人車にみえる、よく見ると母がクソ真面目な顔して運転しているのが微笑ましい歩けなくなっても杖をついて乗り込みあとは車が母の足代わりとなり車に乗ったまま八百屋さんで野菜を買ったり、洗車も乗ったまま、、、。事故を起こすといけないからと周りの人から言われたがそれを決めるのは母自身だと思い止めることはしなかった。 母を乗せて全国のいろんな病院を周った。神戸から高知、福島、、、。私は旅行気分、母は病気の回復を願い祈る気持ちで、、、。 以来助手席にはたえず母がいた。 母がめったに乗る事のなくなった今でも横に母の気配を感じながら乗っている。 でも少しずつ別れの時がやって来るのを感じていた。 今までは騙しても「アイヨッ!」と返事のてごたえがあったのだけど最近は「ダメみたい、、」っと妙に静かな反応。 そしてある日キーをまわしてもエンジンがかからない。 「今までありがとう、ほんとにご苦労様」とボルボにささやいた。 陸送で運ばれる日、JAFにガレージから店の前に運んでもらって陸送トラック待ち。 午後1時到着が遅れ夕方6時になるとのことで半日ボルボは店の前で言葉のないお別れをしていてくれた 「もうこれ以上ダメです。精一杯がんばりました。さようなら」 神様がくれた時間、店の外と中からゆっくりお別れができました。 いよいよトラックが来て乗せられて、夕焼けのなかを去ってゆく後姿に切なくもあり、ただただ感謝! もしガレージに同じボルボがいなかったら、追いかけて泣いちゃってたかも、、、。 そうなのです、母の落胆する顔を見たくなかったので同じタイプ同じ色のボルボを探して乗り換えたのです。(もちろんナンバーも同じにして、しかも当日に)
それを見ていた近所のおじさんの目が点になっていました。はい! バカでしょう!? |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
先日音楽療法を受けました。 |



