レゴビルダー直江和由のプライベートブログ

このブログは個人のもので、レゴ社の公式ブログではありません。

レゴビルダー物語

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「直江和由が〜那須ハイランドパークで〜大先輩に〜出合った」
と「ウルルン滞在記」調で始まりましたが、今年3月中旬に僕の大先輩に出会いました。
「レゴビルダーが那須ハイランドパークに来ている」と聞きつけ、朝食もそこそこに
現地へ飛んできてくれた88歳の女性!それが僕の大先輩だったのです。

「レゴジャパン」の前身が「日本レゴ」でその日本レゴが出来るずーっと前にさかのぼります。
日本国内に初めてレゴブロックが入った頃・・・僕の生まれた1962年頃のお話です。
デンマーク生まれの「プラスチック組み立て玩具」として最初に輸入した会社にお勤めだった彼女は
レゴブロックの素晴らしさを何とか日本の子供たちに伝えられないか?と日々考えていたそうです。
その彼女の名前は武子さん。今年88歳になられるそうです。

素晴らしさを伝えるためには「実際に何かを組み立ててみるのが一番」と考えた武子さんは
日本に入ってきたばかりのレゴブロックを使っていろんなものを組み立てたそうです。
その作品が上司の目に留まり(この辺の境遇が運命的です。僕の時と同じ)デンマークへ
4ヶ月のビルダー修行に行く事になったそうです。

時は1969年、武子さんはデンマークへ行く前に指定された題材である「大阪城」の資料を
かき集めますが当時は資料らしい書物なども少なく、困難を極めたそうです。
そして数少ない資料を持って、デンマークのレゴ本社へ武者修行に行かれたそうです。

当時は基本ブロックとわずかな種類のプレートのみ。その限られた部品で、まずは手ごろな大きさの
「大阪城」を作ってみたそうです。手ごろと言っても当時の写真から見ると80センチ越えくらい
あるでしょうか?

そのテストで制作した「大阪城」をさらに大きく作り直し4ヵ月後の1969年7月に
見事完成させたそうです。当時はデンマークの新聞にも写真入で大きく取り上げられ、現在の
レゴランドにある大阪城の原型になったそうです。

着物を着て、袖をまくりあげ、木槌で形を整えていく様は正に「サムライ」!
この事はデンマーク中に知れ渡り、テレビ局がこぞって取材に訪れ、完成した大阪城を収録し、
ヨーロッパ中に放送する準備をしていたのです。
その放送日は1969年7月20日・・・そうアポロが月面着陸した日!

残念なことに各国のメディアは一斉にアポロの方へ・・・武子さんが笑いながら僕にいいました。
「そりゃねあなた、アポロには叶わないわよ」

その時にプレートの秘密を教えていただいたのです。まだまだ日々勉強が必要だと痛感しました。
時代は違えど「同じ考え」「同じ志」でレゴブロックに向き合った2人がこの日本最大の
レゴスタジアムで出会えたのは運命的というよりも必然的だったのかも知れません。

かれこれ2時間近く話をしたでしょうか?現在は那須に移り住んでいらっしゃるそうで
また、逢っていろんなお話をお聞きしたいものです。日本で最初にレゴビルダーの仕事を
した武子さんは日本人初のレゴビルダーなのです。とても感激しました!

そして帰り際に「人手がたりなかったらいつでも手伝いにいくわよ」と大きく手を振って
雪のちらつく那須高原へと帰っていきました。ちょっぴり目頭が熱くなりました。

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レゴジャパンへデンマーク本社からやってきた2人は、自分がレゴビルダーにふさわしい人間か?を
確認するためにはるばる日本へやって来た。
当時はレゴジャパンの2Fが僕の仮工房であり、制作済みの建物をや組みかけのもの、パーツなどが
散乱していた。

ダクタから譲り受けた旧式の木製のキャビネットと箱不良などで戻ってきた商品が手当たり次第に
開封されていた。作業台は古い会議テーブルを2台あわせたものを使って制作していた。

英語があまり得意ではないので、M課長が通訳として2名のデンマーク人と2Fの工房へやって来た。
一通り挨拶がすんだ後、制作済みの建物を食い入るように見ていた2人はキョロキョロと周りを
見渡していたがしばらくしてM課長に一言こえをかけた。

「パソコンはどこにあるの?」

最初は意味がわからず、素直に「ない」と答えた。本当に無いものはしょうがない。必要なら持って
くれば良いのにと思っていたら、今度は不思議そうにM課長に話をしはじめた。

「設計図はどこだって」

そうか、デンマークをはじめ他のビルダーは、プログラマーが入力したデジタル図面を見ながら
作っているからその事を言っているのだな?そう直感して申し訳なく思いながら駅前に置いてあった
海外旅行のパンフレットを差し出した。

そう、頼まれたのはヨーロッパの街並み。世界遺産や有名な観光地は資料がたくさんあったのだが
単なる街の資料はなく、目に入った海外旅行のパンフレットにあった「花咲くドイツ旅行」の
表紙とオプションのページを見て作っていたのだ。ハッキリ聞き取れなかったが一人が
「ジーザス」と言ったように聞こえた。首を小刻みに横に振りながら言っていたので間違いないと
思う。

「えっ?これ見て作ってるの?」

M課長の質問に対して、申し訳なさいっぱいだった。何か書いときゃよかったかな・・・後の祭りか。
聞かれもしないのに「書かない理由」を話した。

今の僕の仕事は日本のみなさんにレゴブロックの素晴らしさを組み立てたモデルを通して伝える事です。
だから、レゴブロックのユーザーが日頃遊んでいるスタイルを大切にしたい。たぶん設計図を書いてから
組んでいるお子さんはいないと思います。また、使う部品も市販のものにこだわりたい。設計図が介入
すると、それに合わせた部品を調達しなければならないが、無ければ手持ちのパーツだけで組む工夫を
しなければならない。それがレゴブロックの醍醐味でもあると考えている・・・そんな事をつらつらと。

M課長が通訳してくれた後に2人は大きくうなずいていたのが嬉しかった。
その後、面接試験と後日、技能試験があったのだがこの辺りは正式な試験のため、残念ながら詳細は
お教えできない。

ただ、これから「レゴビルダー」を目指す方にアドバイスをするならば、技能はあくまでも最終試験。
そこに到達するまでに試されるのが「想像力」「感性」「協調性」「考え方」あとは自分の「生き方」
や「探究心」会社に対する明確な「ビジョン」などが重要になってくる。
厳しい言い方をすれば「レゴが好き」なだけでは到達できない領域だ。

それはただレゴブロックを組み立てるだけでは無く「意味」や「意義」を持たせることで成立する
仕事だからだ。形を作り出して表現するだけなら粘土や木彫りの方が精密につくりあげられるし
比較的簡単に出来る。形を伝えるだけなら画を描いたほうが早いしわかりやすい。

レゴブロックはパーツ毎の形も決まっていれば色を塗る事もできない。その制限の中で創意工夫する
事でしか表現できない形がある。それを実現させてはじめてレゴブロックで作る「意味」や「意義」
が見えてくるわけだ。

しかし、これは職業として考えた上での話。遊ぶ分にはこんな事を考える必要はまったくないので
ご安心を。「昼休みはレゴブロックで遊ぶ」と言うと「飽きませんか?」とよく返されるが
やってる事は同じでも、取り組み方が違えばそれはまったく別物なのだ。

試験も一通り終わり、後日正式に「レゴモデルビルダー」のタイトルをいただいた。
(当時は)40人目のレゴマスタービルダー。アジアでは1人。責任は重大だ。
ただ、日本国内においては決められたモデルを組むだけと言うわけにはいかない。

イベントを開催できる場所の確保やその場所に何を持ち込めばより効果的なのか?のリサーチ。
イベント内容のプランニングやプレゼンシートの作成。展示ベースのラフデザインやイベント用
ゲームのデザインそしてパーツのオーダー、制作、設営、PR活動、レゴブロック教室など・・・
やる事は山積みである。

だが、自分で発案したものが形になり多くのお客様に見ていただけるのは実にやりがいがある。
また、これらを繰り返しルーチンワークにするつもりも無い。今後はもっと楽しく新しい発想で
楽しいイベントを多く立ち上げて生きたい。

最後になりましたが、掲載の画像はリクエストのあった「レゴと魔法の学校展」で、頼まれも
しないのに作った校舎(古城)のモデルです。
当時はサンプルで出してもらったホグワーツ城の残骸と世界の冒険シリーズの返品パーツ、
ウエスタンや日本のお城セットの残りパーツにもが手元にあったので、それでやりくりした
作品です。長く倉庫に放置されていたのでかなり壊れていますがご覧いただければ幸いです。

でも、あらためて見てみると恥ずかしいですね。反省点ありありです。

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1980年に玩具業界に飛び込んで26年、気がついたらレゴジャパンでレゴブロックを触っていた。
しかし、今の仕事が人生の集大成だとは思っていない。レゴビルダーになりたいと考えている方々には
申し訳ないが、今までやってきた事の経緯で現在はレゴビルダーの仕事をしている自分にとって
これは到達点ではないからだ。

かと言って今の仕事に「不満」があるわけでは決して無い。ただ「満足」しないだけなのだ。
僕の場合の「満足しない」と言うのは別に不満からくるものではなく、「満足=到達」と考えて
いるから今は立ち止まりたくないと言うだけなのだ。

当然、今の仕事はこの先何十年も続けるつもりはない。正直言って自分よりも若くて、しかも
豊かな想像力を持ち合わせている人がいれば継承してもらいたと考えている。レゴブロックの素晴らしさ
を「伝承」するにはその方が良いのだ。

それまでは今の仕事を発展させつつ、いつ後任が来ても良いように「レゴビルダー」と言うポスト
を整備しておかなければならない。

人生の中に「将来の夢」を組み込む事は素晴らしい事だと思う。「夢」と言う「目標」があれば
何をやるにも「楽しく」こなす事ができるはずだからだ。
まずは「やりたい事」を探す前に「今やれること」「今しか出来ない事」からはじめてみては
どうだろう?

******************************************

毎回、長文にお付き合いいただきありがとうございました。
最後はちょっと難くなりましたが記載している事は紛れも無く僕の本音です。

これからも、ここが聞きたい、知りたいという事がございましたら
コメントをいただければ個人レベルで公開できる範囲でお答えしたいと思いますので
宜しくお願いします。

LEGO Model Builder 直江和由

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レゴビルダー物語

頼まれもしない、半ばおせっかいにも近い作品制作がもとで
営業からマーケティング部内のショーズ&イベント部に配属となった。
入社2年足らずでまた新たな仕事に就くことになったが、今回の仕事には少々自信があった。
と言うのも「創作」については幼少の頃から絶えず何らかの形で継続して来たことだからだ。

ある時期は紙を使ったり、木の切れ端だったり、またある時は紙粘土やプラモデル・・・
そして今度はレゴブロックだ。 だが、少々不安もある。
それは今までの「創作活動」はあくまでも趣味の領域であり、気の向いたときに好きなものを
好きなだけ時間をかけて作っても良かったのだが、今回の「創作活動」は「仕事」。

だから制作するものは依頼されたものであり納期がある。しかも制作費用は予算内に納めなくては
ならない。これは極当たり前の事!不安なのはレゴブロックの制作経験が浅い自分にやっていけるの
だろうか?と言う点だった。

日本では過去に例が無く、今まではデンマークからPOPモデルを購入して店頭に飾っていたわけで
モデル制作に関するノウハウを知っている人間は一人もいなかった。会社から渡された資料は
東京書籍の発刊の「レゴの世界」日本語版のみ。

とにかくすみからすみまで読んでみる事にした。その中に「レゴビルダー」と言う職業を発見する。
制作を担当すると言う事はレゴビルダーになるということなのか?

レゴビルダーはレゴブロックを使用して様々な作品を創作するレゴブロック職人の事を指す。
主にレゴブロックのテーマパーク「レゴランド」の中に展示するものを制作したり、店頭に飾る
大型のPOPモデルを創作したりする。

このレゴビルダーには2種類ある。ひとつはデザイナーが制作したデジタル図面を見ながらただひたすら
POPモデルなどを大量に制作する「レゴビルダー」で、パートやアルバイトが多くチェコをはじめ全世界に200人ほどいる。仕事がある時に募集がかかり、面接などで採用されるが仕事は短期が多い。

そして、もうひとつは設計から携わり自らも創作する能力を有する「レゴマスタービルダー」である。
こちらはレゴ社の社員として雇用され厳しい社内面接や試験を経て、それに合格しなければタイトルを
与えられない。こちらは世界に36名(当時は40名ほどいた)

レゴブロックの制作担当と言う事は・・・自分はどっちになるのだろうか?
それともただの制作担当なのか? そんな疑問をよそに制作者がいないことから保留になりかけていた
仕事がやってきた。2002年4月24日から京都高島屋にて開催される「レゴアイランド」の企画だ。

幅約14メートルの展示スペースにヨーロッパの町並みをミニランドサイズでジオラマ展示する。

ミニランドとは「レゴランド」内に展示されたレゴブロックで制作された実在の建物を含むジオラマで
約1/20スケールで統一されている。(一部空港などは展示の関係でスケールダウンされている)

レゴ歴2年未満。テキスト及び資料なし。制作期間正味4ヶ月。制作者一人。図面は真っ白。
社内経験者ゼロ。部品なし・・・明るい話題はひとつもなかった。
せめてもの救いは、以前日本にもあった企画開発部「ダクタ」の残していったキャビネットと
ジャンクパーツ。倉庫へ不良返品で戻ってきた商品の部品が手元にあった。

荒地に最小限の農耕具を用いて田畑を耕す心境であったが、こんな事は今までの人生の中で何度と無く
あった。そう、人生の中で執拗に現れるターニングポイントだ。選択肢は二つのみ。

「やる」か「やめる」

「やる」からには「やれなかった」という結果は残せないし、「やめる」にすれば自分以外の誰かが
「やる」ことになる。他人がやるなら自分がやった方がいいに決まっている。なぜなら自分でやった
事はどんな形であれスキルとして自身の肥やしになるからだ。

選択肢は二つと言ったが、この仕事を受けた時点ですでに選択肢はない。だからやるからには
「やらせて良かった」と言う結果を残したい。
暗中模索の中、レゴブロックとの格闘がはじまった。職場ではイベント用の制作、自宅では組み方の
研究。1日平均15時間レゴブロックにさわる日々が続く。

そんな日々の中、制作に「待った」がかかる。レゴジャパン主催のイベントともなれば正式な
レゴビルダーが組んだ作品を展示する必要がある。この部署を確立させるためにも
「ビルダー試験を受けてほしい」

後日、デンマーク本社から2名の人間が日本にやって来た。

「何も恐れる事はない。いつも通りの本音の自分を表現しよう」

2001年12月。運命の時が刻一刻と近づいていた。

つづく

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レゴビルダー物語

かくして青山スパイラルにて「レゴと魔法の学校展」がはじまった。
「目的」が明確なイベントは同調していただけるお客様も多く、会場は盛況だ!
特にイベントの目玉でもある「レゴの授業」は毎回満員御礼だった。

イベントはアンコールが聞かれるほど人気があり、自分の作った作品も多くのお客様に
観ていただけた事が嬉しかったし、仕事に対する自信もついてきた事は言うまでもない。
だが、作品を観てくれていたのはお客様だけではなかった。

「この作品、誰が作ったの?」

ミドリの基礎板4枚の上に人形(ミニフィグ)を並べて展示する予定だった作品。
その内容で依頼されていた時点で「片手間」でやる仕事でもあり、仕上がりを期待されて
いなかったのであろう。

「直江ですよ、営業の・・・」

作品を気に留めてくれたのは当時マーケティング部の中でイベントやショーを担当指揮していた
M課長であった。
通常業務に戻り店舗巡回の日々が続く中、ある日大ボスに呼び出された。そして、また意外な言葉が
出てきた。

「マーケに移動だ」

業務で何か失敗したか?大きく売上げを落としたわけでもないよな?・・・後日、正式に辞令を
渡すと言われM課長のいるマーケティング部へ荷物をまとめて移動した。
配属されたのはショーズ&イベントチームでM課長を中心に自分も含め計4人の部署だ。
同室にはPR担当やレゴマガジンの編集部があった。

出迎えてくれたのはM課長だった。一通りここでの仕事の進め方を聞いた後に、彼はこの会社に於ける
自分のチームに対するビジョンを話してくれたのだが、その話の内容には驚いた。

海外にはレゴブロックのテーマパーク「レゴランド」があり多くのお客様に利用していただいている。
中にはレゴブロックで作られた様々な作品がテーマ毎に展示されており、それは楽しい場所だ。
しかし、日本には残念ながら「レゴランド」が無い。しかも、我々が考えているほど国内に「レゴ」
は浸透していないのが現状だ!だから我々のチームはランドがない分、今後、いろんな場所に
出向いていってショウやイベントを通して「レゴブロック」の事をもっと良く知っていただく事が
最良であると考えている。

そのためにはレゴブロックで作品を作り、見ていただくのが一番なのだが、
日本には専属の人間がいない。
デンマークに作品を発注していたら出来上がるのが2、3年先になってしまう。君も知っての通り
2、3年先の予算組みをして販促を行う企業などこの国には存在しない。
なので、その制作の部分を君に手伝ってもらいたい。

正直言って驚いた。この会社にも今何が欠けていて今後どのような事をしなければならないのか?を
先読みしている人がいたのだ。ハッキリ言って、青山に展示した「作品」としての出来は
そんなに良くはない。外部に制作委託した作品の方がキレイに仕上がっていた。

しかし、M課長は作品だけを見たのではなく、それにたどり着いたいきさつや、なぜこの形にしたか?
と言う意味を見抜いていたのだ。別に説明したわけでもないのに・・・その時初めて「レゴブロックは
言葉を交わさなくても出来上がった作品を通して意思の疎通ができる究極の組み立て玩具」なのだと
言う事がわかった。

そう、これからの仕事は作品の出来を問うものではなく、どれだけのメッセージ性を込められるか?
が重要なのだ。確かに組み立てる技術はトレーニングすれば身につくが、考え方や感性はそうは行かない
と言う事か。作品はあくまでもレゴ社からのメッセージであり、アーティスティックになっては
いけないのだな・・・少ない言葉の中からそう思えたのもレゴブロックのなせる業なのかもしれない。

(僕はこの人と仕事がしたい)

素直にそう思った。そして、この頃にようやく「レゴビルダー」と言う職業がある事を知る。

つづく

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