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昨年、東京生活に完全にピリオドを打ち、郷里に帰った友人がいる。
もともと身体が弱く、30歳までは生きられないだろうと言われた(らしい)人だ。
なのにこちらでは編集者として、その細い身を削って人の何倍も仕事をしてきた。
もういい加減、田舎でゆっくり生きるのもいいだろうとは思っていた。
だが今年は年賀状が届かず、その動向を心配していた。
フリーだったため、大仕事を終えては田舎で長期休養というサイクルを繰り返していた彼女のこと、
仕事という箍が外れて入院、最悪は…と考えてしまい、心配しつつも怖くて電話がかけられなかった。
折りしも今日、久しぶりにかつて一緒に仕事をしていた出版社の人から電話があった。
デザイナーとして仕事をしていた私の動向を訊ねるものであったが、自然と彼女の話になった。
その人も二年前に仕事をしたきりで、東京の自宅を引き払ったことすら知らなかった。
やはり今年は年賀状が届いていないという。
そんな突然の電話を受けた勢いで、思い切って彼女に電話をしてみた。
繋がった。良かった。が、その声は今にも死にそうだった。
思わず「私、タカヤだよ。大丈夫?」と訊ねた私の耳に届いたのは
「お母さんが死んじゃった…」という、やっと絞り出した声だ。
四国と東京と離れていても身体の弱い娘を毎日気遣い、その娘も全幅の信頼を寄せていた。
[一卵性親子]と揶揄するほどこの母娘の強い結びつきを知っていたのに、
私はこの言葉に安堵してしまった。。。ごめんなさい。
ずっと我慢し、耐えてきたのだろう。堰を切ったように色々話してくれた。
父親が認知症であること。お母さんが癌と判った時は末期で、それから3ヶ月で亡くなったこと。
なによりも娘に父親の介護をさせることを苦にしてお母さんが逝ったこと…
その電話の後、事務所に行き、折りしも保険の見直しの件で、保険屋とアポがあったので
帰宅・夕飯がかなり遅くなった。これもまた人の死を見つめたシビアな話だ。
落ち着いてから、主人に今日の電話の話をした。
そこで初めて彼女の“お母さんの死”を現実の感情として気づいた。涙が止まらない。
会うことはなかったけれど、手紙や電話で話しをしたことがある。
そして何より、その友人にはいつもお母さんの心が寄り添っていた。
その様子を見た主人は「逢いに行っておいでよ。Kazuを連れて」と言ってくれた。
「そんなお金は無いし…」というと、五萬円カンパしてくれ、やはり四国に住む
自分の友人宅を経由する段取りをしてくれた。その親友にKazuを逢わせるという条件で。
こういう家族や友人を思うことにかけては、ことさら熱い人だ。
ありがとう。これからもお義母さんやお義祖母さんとうまくやっていけるよう努力するよ。
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旦那様の気遣い、とても嬉しいですね。
母の存在は唯一無二でやはりその存在をなくされて、ご友人はとても辛い思いをなさっているでしょう。ぜひそばに行ってただただ支えになって差し上げてください。
ご友人のお母様のご冥福をお祈りいたします。
2008/2/17(日) 午後 11:00
お心遣い、ありがとうございます。
tomoさんとお母様の関係もとても深いものですものね。
昨日、早速航空券を予約したのですが、今日は彼女から待ったがかかりました。弟夫婦の顔色を窺っている様子。
8歳も年上の人に「そんなだから、どんどん辛くなるんだよ!」と叱責してしまいました。が、なかなか向こうの予定が立たないようだったら勝手に行ってしまおうと思っています。そうでもしないと逢えない人なので。
2008/2/18(月) 午前 0:10
四国を経由って...長い旅になりそうですね。
お友達のお母様のご冥福お祈りいたします。
乗り越える強さをお母様がご友人の残されていること、信じています。
2008/2/18(月) 午後 3:41