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おとんの没時間に合わせ、予約投稿です
丁度5年前の今日18日PM2:32は
おとんが意識が戻らぬまま亡くなった日です。
先日の日曜は、忙しく黒猫自身の疲労がたまっており
おとんの墓参りにも行けず、その代わり記事にします。
皆様の所にコメ残せずm(__)m
気力・・・0状態です
その時の事を少し落ち着いてきた頃に書いた記事です
↓
こんばんは〜
やっと今日、父親の事を書くことができます
が、めっちゃ長い記事になりますので・・・
逝ったのはもう2ヶ月ほど前になるんですがねぇ^^;
話しの最初は去年の11月22日の早朝5時前。
何だか父親の大きな声が聞こえるな〜っと思ってたら
胸が痛がってる様子。
早速救急車
検査の結果、「心筋梗塞」の事。
治療の了承をし、すぐにカテーテルの手術をしてもらいました。
主治医(若くて頼りなさそう)の説明では
正直、良い話しがあまり出てこない
歳も歳だけど、かなり心臓の壁や血管がボロくなっていてる
様子とのお言葉・・・・
でも2回のカテーテルと肺の水を抜いたりしてもらって
まぁ元気そうな感じがしばらく続いてました。
そして何とか容体も横ばいな感じだと説明を受けた矢先(数日後)
昼食を食べてる時に容体が急変したようで・・・
12月18日の
12時57分ごろ黒猫のスマホが鳴る!
病院からで看護士さんから容体が急変したから
すぐに来てほしいと・・・
すぐに病院に駆けつけると病室には父親の姿もベッドもなく、
ナースステーションの方に見んに行くと、観察室(ちょっとしたICU)
で心臓マッサージをしてる看護士さんの姿が見え・・・
もしかして・・・と思い近くに居た看護士さんに○ですが・・・
と声をかけると、やっぱりマッサージを受けてたのは父親でした。
心臓マッサージや電気ショックを何度も。
黒猫が来た時点では父親の意識も全く無く。
しばらくしてから先生から何度も蘇生をしてますが
マッサージでもう肋骨もボキボキに折れてしまってると・・・
どうするか聞かれましたが、兄が来るまで何とか持たせてもらえないか・・・
と、頼みましたが、それから1時間ほど頑張ってもらいましたが、
もうかなり骨折もひどくなってるし・・・・と。
これ以上は父親も可哀想になってきたので、兄に℡をして
状況を伝えて・・・蘇生を停めてもらう事にしました
この判断も辛かったのですが、父親の体の事も思えば
可哀想なので・・・仕方がないですがそうしました。
それからどれ位だろう・・・30〜40分後
父親の心臓が止まりました。
そう、治療中心臓が動いてたのは薬と機械やマッサージで
辛うじて動かしてた様なこのでした。
12月18日 午後2時32分に主治医からご臨終の言葉が。
この時、84歳でした。(昭和4年生まれ)
数えで85歳でした。
約4年前から色んな病気で手術も受け、
よく頑張ってくれました!
動脈瘤破裂、肺癌、今回の心筋梗塞と・・・
父親は生まれつき心臓の血管(冠動脈)が1本足らず
本来は3本あるのですが・・・
それが心筋梗塞には致命傷になる事が多いみたい><
そんな心臓で今までよく元気に頑張ってくれました。
これからは向こうでゆっくり休んでください。
そして今までありがとう!
実は亡くなる前日も仕事帰りに病院に寄って、面会してたのですが
その時も元気そうで「今日、肺に溜まった水を抜いてもらって
楽になった」っと喜んでたのに。
でも「はよ〜元気になってくれんと!父だけが頼り(母親のことで)
なんだから!って言ったら、何となく返事が濁ってたような・・・・
今思えば父親自身、もうダメかもしれないって感じていたのかも
知れません。
もっと、もっと話をしておけばよかった・・・っと今、後悔してます><
以前から入会してた葬儀屋さんに連絡入れ、1時間後位に
父親の遺体を引き取りに来てもらい、そのまま葬儀屋さんに。
葬儀屋さんは病院の近くにあります。
そして翌日にお通夜、その翌日に告別式〜火葬と。
(家族葬で)
そして骨壺に入った父親を家に連れて帰りました。
父親の写真と位牌の前で
トラは何を思っていたんだろう。
これが元の写真です。
7年前のですが、トラを撮ってた時に
ふと、「父親に写真撮ったるわ」と言って
撮った写真です。
ちょっとテレ顔でしょ(^^ゞ
良い父親でした。
お人好しで頼りない所がありましたが、優しかったし
よく黒猫の事も大事に思ってくててました
そして四十九日の法要後、黒猫家の先祖の墓があった場所に
前日に父親を埋葬するための穴を掘りに。
高野町の矢立、墓は町石道のわき道を登って行った所に
あります。
この下には今でも父親の両親が眠ってます。
その上に父親を・・・・
親と一緒で喜んでるかな〜
埋葬後のお墓。
ちなみに此処で眠ってもらうのは十数年の間。
その内に場所を変えるつもりです。
墓参りも30年以上も経つと誰も来なくなるので
無縁仏となり墓も朽ち果てるのは可愛そうですから
永代供養をしてもらえる所を見つけて移そうかと
墓に埋葬も終えて、予約していた地元の料亭?へ
「堺屋」で親戚に昼食を食べてもらいました♪
とりあえず、父親の話 その1はこれで終わります。
また近日にその2を書かせてもらいますね。
内容は戦時中の話がメインです。
その話の流れで父親がどんなに強運の持ち主だったか・・・なども
書きます。
そうそう、今回お世話になったお坊さんも
2にゃんが居てるそうです(=^・^=)
一度1にゃんのスマホ画像を見せてもらいましたが
可愛いかったですよ♪ (部分的に省略あり)
もう一つ、おとんの記事
↓
こんばんは。
やっと今日、父親の話その2が書けます^^
黒猫、一人暮らしになってから一段と自分の時間がなくなり・・・
平日に書くのは困難になりました^^;
何だか毎日ヘトヘトです
さて本題です。
書くまで色々と頭の中で記事の内容をイメージしてましたが
何だか話が膨らんで纏まらずでしたぁ。
で、ちょっと簡素に書くことにしました
父親が13歳の時(昭和18年)学童動員で令状が来たそうです。
当時出来て間なしの軍事工場が兵庫県の宝塚にありました
昭和18年頃に撮られた宝塚工場。
二式飛行艇(通称:二式大艇)
画像では右主翼で見えませんが、背中に銃座があります。
そして以前の記事にもちょっこっと書きましたが、
父親が凄い幸運の持ち主って、話ですが
1つは昭和19年に工場に陸軍の軍人が特攻隊の
人集めに来て、父親も特攻隊に志願したそうです。
当時の日本では志願はほぼ強制みたいなもので
拒否したり従わなかったら、非国民扱いで
憲兵から暴行も受けるとこも珍しくない時代でしたから
父親も仕方がなく志願するしかなかったかもしれません。
現に特攻隊の生き残りの方の証言でありますが、
その人たち(戦闘機のパイロット)も呼ばれて集まると
特攻隊の志願を募って、意思に反して志願するしかなかった事、
特攻隊員が特攻に出撃して機体のトラブルで基地に引き返して
来ると、ただでは済まなかった事。
あの時代の日本はほんと異常な国だったことがわかります。
特攻作戦自体、異常ですからね。
よく効く話ですが、お国の為に散って行ったと・・・
でも実際は全く違うんです。
ただ海軍と陸軍とのメンツや競い合いの犠牲になったに過ぎないのです。
練習機(赤とんぼ)に重いドラム缶(補助燃料)に350㌔爆弾を無理やり
付けて飛ばしてたのですから。
米軍艦艇に近づく前に迎撃されてました。
皆さんも一度は見たことがある特攻時の映像は
特攻作戦初期で戦闘機を使ってた特攻の映像です。
実際はほとんど成功しておらず、体当たりできても主力の
空母や戦艦ではなく、駆逐艦や巡洋艦などがほとんどだったそうです。
そんなバカげた作戦を考え実行したのは愚かほかならないと思います。
多くの軍人は国の為ではなく、軍部の為に散っていたのと
変わらないのでは。
ちょっと話が脱線しましたが、父親も本当は
陸軍のバカげたメンツの為に散るところだったのです
でもめっちゃ運が良い事に入隊前に実家に帰って来て
母親(おばあちゃん)に今まで食べたことが無いような
ご馳走の弁当を作ってもらって、入隊の為に大阪に
向かっていた時(多分電車内)でそのお弁当が入ったリュックを
盗まれたそうです。
特攻隊の志願書もそのリュックの中に入っていて
志願書紛失って事で入隊しなくて済んだそうです。
そのドロボーが居なかったら・・・・
まちがいなく父親も無残に散っていたことでしょう
なのでその弁当欲しさに盗んでくれて感謝してます。
父親が居なかったら黒猫もこの世に生まれてきてませんからね。
因みにこの特攻隊志願の話は父親の四十九日の法要の時に
叔父から聞かされました。
でも黒猫が小さい時に赤紙がリュックと一緒に盗まれたと
教えてたけど・・・・何で黒猫にはそんな嘘を言ってたのかな??
もし父親ともう一度話が出来るならば、その事も聞いてみたいです。
そして2つ目は
その後も軍事工場に戻って終戦の年の6月まで働いてましたが、
その頃って、空爆もすごく頻繁に工場も狙われてそうです。
その空襲にも生き残って、しかも艦載機の機銃掃射も受けた事も
あったけど弾も当たらず生き残りました。
3つ目はつい最近ですが
黒猫がブログを始めた年2010年の6月に
動脈瘤破裂で危険な状態となって、市民病院から
ドクターヘリで和歌山市にある県立医大病院に搬送され
五分五分の成功率の手術にも負けず、後遺症も出ず
助かった事。
その時の検査で分かった肺癌も手術で助かった事。
父親の人生は凄い運の強い生命力だと思いました。
でも最後はあっけなく心筋梗塞で逝ってしまいましたが・・・・
特攻隊に行かずに済み、空襲にも生き残り
危ない病気でも助かった事・・・・
めっちゃ強運の持ち主だったとホント思います。
最後に訴えたい事があります。
今の日本人に多く居てますが、特攻を美化したり
靖国を美化したり・・・と。
特攻隊と靖国、父親が特攻隊に志願していたという
話しを聞いてから色々と調べました。
靖国神社は実質戦争を正当化するため
戦争をするために創られた神社と同じです。
国民を洗脳するために存在してたのですから。
特攻隊員の意志と遺族の気持ちを無視して勝手に祀ったり・・・
靖国神社には絶対に祀られたくないと言い残して
散っていった特攻隊員、結構いてたそうです。
この2つは絶対に美化してはいけないと思います。
長ったらしい話でしたが最後まで読んで頂きありがとうございます!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、おとんの命日にあたり、供養の為
記事を書かせてもらいましたm(__)m
年内、休みは日曜だけ・・・
年末年始も休日出勤アリかも?
毎日残業
このブログ、ラスト記事は以前から予告しながら
書けてなかった「K-9」を書ければ〜
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・・・・
が居るか確かめると・・・




