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私は精神障害者2級で4ヶ月の入院生活を終え一人暮らしするようになり、もう2年となります。 現在介護支援を受けています。 精神を患って摂食障害となり一時期大阪に住む娘一家と同居しましたが、ヘルパーの仕事をしている娘が精神を病む位私の症状が酷くなり立てなくなったり持病の心臓発作で何度も発作で救急車で病院へ運ばれたり入院退院したりと・・・娘が今度は自殺行為や自分の一人娘を殺そうとまでし出し・・・ お互いに限界だったのです。3年だったかな同居したのは・・・私は娘と福井市に住む息子に私の自宅の物を全部捨てろと指示し部屋の鍵を二人から返すように言い帰省している娘一家が留守の夜発作的にタクシーを呼び大阪から1月9日に福井の自宅まで戻ったのです。10日が病院の受診日だったのですが・・・ 途中雪が降っていてチェーン規制されていて、運転しているタクシーの運転手さんは雪道を走った事も無くチェーンも持っていなくて高速のガソリンスタンドで最後の一つ残っていたチェーンをつけ雪道を安全運転して貰い親切に自宅まで送り届けてくれた。彼は何時も障害者を乗せているから私は3時間半くらいの間車に乗っていられたのだった。当時の私にはとてもそんな長い時間乗ってしかも他人と一緒に居られる状態では無かった。 帰宅してみると娘も息子も居なくて鍵も置いて無く私はパニックを起こし娘と息子に電話かメールかどっちもかして怒鳴り散らし二度と逢いたくないから部屋の鍵だけ返すように言って何も無くなったガランとした部屋で一つだけ残っていたソファにもたれ泣きじゃくっていた・・・ どれ位経ったのか突然誰かが入って来たと思ったら絶縁している姉と息子だったそして警察官と・・・ 私は狂ったように姉には一回と息子には一杯近づいて来た時足で蹴り・・・拒絶して意識も朦朧となった時警察官が警察署へ私を連れて行きそこから救急車で総合病院へ でも結局当番医院である鯖江市の精神病院に入院させられた。極悪の超汚い不潔な刑務所のような地獄のような入院生活が私を待っていた。 翌日目が覚めてから私は看護婦詰め所前に張り紙がしてあった入院に異議のある人が相談する所へ即刻電話する事にした。強い薬を飲まされロレツも回らずそして、10円玉でしかかけれない公衆電話から私は何度県や法務局にかけ合った事か・・・一回の電話で馬鹿程10円玉を入れなきゃならない電話機 そして何度も窓口の人が変わったり応対が出来ない人達ばかりでイラついたか・・・ その病院は精神患者全員強度の人も軽い人も一緒でまるで日光の猿の中に入れられたようだった 一日中わめき声がし取った取られたと喧嘩が絶えず、発狂しそうだった 医師は福井医大から来ていたが馬鹿かと思うくらい頼りない医師で、管理しているのはその病院の陰の医師だった。入院患者の誰もがもう何十年もその病院に入っていて住民票と言うか戸籍までその病院になっている人達。家族から見放された人や家族が居ない人達ばかり・・・一生その病院で生涯を過ごす事になる人達。 他の病院での入院を経験した人も言っていた何処も同じような感じだと・・・ 看護婦は患者をまるで人間扱いせず動物並みに扱う 労働まであった。病院の薬袋の糊づけやメガネを入れる箱作りとか どうやらそれがリハビリ?? そしてお小遣いが貰えるようだった。 決まった時間に起こされ決まった時間に言われた通りの事をしなくてはいけなかった。 が、私は殆ど拒否した。 最初は医師や看護婦に抗議し極悪な環境と不衛生で不当な扱いを退院したら訴えるつもりでメモしていたが・・・途中で止めた何故ならば 入院患者の殆どが外での生活を望んでいない事だった。 不当な扱いで異議を看護婦等に言うと強い薬を飲まされ懇々と寝るかロレツも回らなくなる程になる 私には誰も面会者も来ない。何故ならば医師が面会を止めていたのである。 そして息子も娘も医師の言うまま私とは会話もしないようにしていた 私を完全に気が狂っていると思っていたらしい医師の言う言葉を信用して・・・ 私は遅々として進まない県と法務局に苛立ちを覚え特に武生の法務局は相手にならず私の地元の法務局に電話して武生の法務局に抗議して貰ってやっと面会に来た。 でも何の役にもたたなかった。最後にやっと県から指定された人と精神科医の団体??から面接に来たが何でも一か月に一回とか決まりがあってやる事なす事全てが遅く結果が来るのもどれ程待たされたか 結果はまだ精神が安定していないから入院が必要だと・・・ この事で余計入院生活が長くなったような気もした。 苛立ちで何度自殺したいと思った事か・・・ 面会に来た息子に私は怒りをぶつけると余計息子は私が精神を病んでいると思ったらしい 不自由な生活に我慢をし私は誰とも会話しなくなった。 三人だけだったかな??正常に近い人なのに家族に入院を強制させられたり認知で自ら入って来た元学校の先生と皆外出も外泊も出来る人達だった。 でも一人は退院し一人の若い女性は強い薬を飲まされ懇々と眠るようになり元学校の先生も認知が余計酷くなって・・・誰もまともに会話出来る人が居なくなった時同じ鬱病で入院して来た女性と仲良くなった 彼女も入院してビックリして血圧が高くなり余りに酷い病院に愕然となったようだった。 彼女も拒食で夫が突然倒れ入院し家のローンも払えず生活出来なくなり家を売り生活保護を受けるようにする手続きをしている最中に鬱病となり拒食でまず病気を治し体力をつけてからと行政からも言われ娘さんからも言われ入院して来たようだった。彼女も発狂しそうだと言っていた。 私達二人は特別に一つの部屋で一人になれるようにして貰った 私の強い希望から転院させて貰えるようになったのは入院してから2ヶ月が経過しようとした時だった 退院前にももう一人鬱病の女性も私達と同じで気が狂いそうねと言っていたこの病院に居ると 不衛生で傲慢な対応の病院からやっと地元の綺麗な病院に転院出来たのは元夫の姉の同級生がその病院の事務長と同級生だったからだった。万床でなかなか入院が困難だったのだった。 綺麗な病院に移ってビックリしたのは今度は鍵をかけられ今迄吸えた煙草も自分の好きな飲み物も食べ物も禁止され決められた金額での決められた食べ物と飲み物も監視され決められた時間にしか食べたり飲んだり出来ないのであった。 二つの病院とも入浴は週二日で最初の入院先なんてお風呂も決められた順番で後になるともうお湯では無い冷たいお湯だった。転院した病院は普通のお風呂屋さんと同じだったが・・・それも決められた順番でゆっくりなんてしていられなかった。 二つの病院共に寝る前は必ず睡眠薬を飲まされた。 私が外出出来るようになったのは息子が頼み元夫が私を迎えに来てくれたからだった が、同じ部屋で空気を吸うのも嫌で離婚した相手だった元夫に来て貰うしか私は家にも帰れなかった 情けなさと悔しさと・・・ 外出出来るようになって初めて自分の着やすい物が着れるようになり 最初の病院は自分で洗濯そして部屋の自分の棚にハンガーで干す事だったが行政が見に来たら隠すように指示されていた。掃除も全て患者でトイレの紙まで自分で指定された紙を買わされトイレには鍵もかからなかった。緊急のボタンも無い不衛生なトイレで痴呆の人はトイレのスリッパも自分のスリッパもごちゃ混ぜ汚い廊下や病室患者がホウキとモップをかける そんな汚い不衛生な床に落ちた薬を平気で患者に飲ませる看護婦 転院した病院は掃除は本来は介護の人がするのだが患者にやらせてた。でも定期的に業者が綺麗に掃除してくれ衛生面では綺麗だったが洗濯物はハンカチ一枚お金を取るか自宅でして貰って持って来て貰うかだった。 私は外出した時自宅で自分で洗濯した。着替えは幾らもあるのだが大阪から運び込まれた荷物が山になっていて何処に何が入っているのかも分からず 少ないそして目立たないような物だけ数枚持って病院に戻った。 ここでも電話は許可が要りお金も管理され本当に不自由だった連絡も出来ず。 その病院の中で知った人が看護婦さんで居たが私を見て明らかに態度が一変して見下された言い方されショックを受けた。 二つの病院での入院生活で患者からも一部の看護婦からも何故入院させられているのかと言われた 他の患者と明らかに違うからだった。 息子と何度も交渉し訴え続けやっと息子が医師に退院を申し出て保護入院と言う保護者であった息子からの意見で退院が決まった。物凄い長い4ヶ月で私の人生で一番苦しく悲しい地獄のような入院生活だった。 退院出来たのは私が食べられるようになったからだった。退院したくて必死で我慢して食べたのだった。 ❤kazu❤
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♣介護について
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ホテル見たいな、病院でも、自宅が良いと言われますねぇ、
自由が、ないからでしょうねぇ、
私は、食べる事しか、楽しみがないので、
食べない人は、不思議です、
食べないと、眠れませんし、
実家にいる時も、一人暮らしでしたが、
今は、完全に、一人暮らしができて、嬉しいです、
この状態を、何が何でも、守りたいと思っていますよ、
兄弟も、其の家族も、マンションに、入れた事はありません、
此れからも、
何時まで、一人暮らしができるのか、
3ペットを見終わるまで、頑張らないと、
望みはそれだけです、今の所は。(^_^)
2009/6/2(火) 午前 3:30
よしこさん3ペットは子供と同じです。イイエ子供以上に可愛いです生き甲斐に充分なります。もし今は亡き愛犬チビが居たら私は毎日でも散歩に出かけられるようになると思います❤kazu❤
2009/6/2(火) 午前 4:06