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1979年、この「楼蘭の美女」がテレビ画面に映し出されたとき、その美しさに思わずため息をもらした。 井上靖が描いた楼蘭の美女この小説『楼蘭』は、ロブ湖畔で若い女のミイラを掘り出したスウェーデンの探検家・ヘディンの『彷徨える湖』を題材にしている。小説『楼蘭』には、このミイラをモデルとした女性が登場する。 楼蘭王国の先の王・安帰は、漢に従わず匈奴に従属していたので、漢の使者に暗殺されてしまう。 井上氏は「楼蘭の美女」をその后と設定して、その死と埋葬場面を描写している。 '''―― それからもう一つは、その夜、老婦人の死を追いかけるように、安帰の室が自ら生命を断った事件が起きたことである。つまり先王の后の死であった。 この方は明らかに自殺であった。美しく化粧し、美しく着飾って、これも寝台の上に息絶えて横たわっているのを、侍女の一人に発見されたのである。顔には何の苦悶の跡もなかったが、口から一枚の毒草の葉が発見された。''' この安帰の室の死を最も深く悲しんだのは尉屠耆(うしょき)であった。尉屠耆は、亡き兄王の若く美しい后を、若し彼女が同意するならば、自分の室にしようと秘かに考えていた。これは尉屠耆ひとりの考えではなく、すべての王族の希望でもあった。彼女は国中の人々全部から敬愛されていた。勿論尉屠耆はそのことを誰にも口外していなかった。それよりももっと差し迫った都城を南へ移す問題や、それに付随した雑多な仕事が、新しい若い王の毎日を埋めていた。尉屠耆は鄯善に都を遷してから、このことを周囲に謀り、賛成を得てから発表するつもりであった。 ところがその先王の室は突然われとわが生命を絶ったのであった。彼女の死とその自殺の理由は、楼蘭人全部によって議論された。あるものは故王の悲運に対する悲歎の余りであると言い、ある者は故王の墓所のあるこの楼蘭の地を離れることの悲しさのためだと言った。またある者はここに廃墟として打ち棄てられる楼蘭の城邑彼女は準じたのに違いないと言った。正確には彼女の死の意味は誰にもわからなかったが、不思議に彼女の死は国人の誰にも素直に受け取られた。いささかも奇異な感じは受けなかった。当然起きることが起きたのであって、だれもがそのことに今まで気付かなかったことが不思議のような気がした。彼女に死なれて、人々は楼蘭以外のどこにも彼女は生きることができなかったことに気付いた。ロブ湖と切り離して楼蘭を考えることはできなかったように、ロブ湖と切り離して若い后を考えることができなかった。 尉屠耆は、老婦人のために一日伸ばした鄯善への進発を、兄王の后の死のために、さらに二日延ばさなければならなかった。彼女の葬儀は翌々日盛大に行なわれた。彼女の亡骸は、二人の侍女の手によって、何枚かの布片で巻かれ、頭にはターバン風の帽子を冠せられ、そして尉屠耆の手で柩に移され、その上に彼が漢から持ち帰った美しい模様の布をかけられた。 この方の柩は老婦人の葬られた丘より少し隔たった丘の中腹に埋葬された。棺を埋める穴は大きく掘られ、柩と一緒に、彼女の日用品や手廻りの品々が何個かの箱に収められて埋められ、一匹の羊も、彼女の従者として一緒に葬られた。楼蘭だけで見られる濃い朱と紫と青と、色とりどりに輝く美しい日没が彼女の新しい墓地を飾った。 彼女を葬った墓土の上には、ロブ湖畔から切り取られてきた一本の太い檉柳(タマリスク)が墓標として立てられた。そしてその前には、花を飾るための大きい石の花いけが据えられた。尉屠耆も、参会者も、それほど遠くない将来、再び自分たちがこの后の墓に詣でる日があることを信じて疑わなかった。 中学生のころラジオからこの文章読み上げれた時、次第に涙が流れてきた。 尉屠耆のこの女性に寄せる強い想いが多感だった少年の心に強く伝わってきた。 今なおその時の感動を覚えている。 「楼蘭の美女」の実像に迫りたい中学生ながら、私は「楼蘭」そのものだけでなく、この若い女性の実像にも迫ってみたくなった。それで、少し難しいとは思ったが、『彷徨える湖』を読んでみた。 だが、そのことについての詳しい推測はなされてはいなかった。 それから20年ほど過年月が経って、美女の実像探しも少しあきらめかけていた頃、 思わぬ朗報が飛び込んできた。 1934年にヘディンによってなされた調査以来、楼蘭に大規模な調査隊が訪れたは1979年のことである。 日本のNHKと中国の中央電視台による共同制作番組『シルクロード』の取材によるもので、 この時中央電視台の要請によって中国人学者による調査隊が組まれたのである。 この時新たに女性のミイラが発見された。このニュースはテレビや新聞紙上をにぎわせた。 これについては、次の機会にアップします。 小説『楼蘭』を読んでの感想この短篇は五部からなる。 一部では漢と匈奴に挟まれて両国からの圧力を受ける楼蘭の状況を、 二部では匈奴の攻撃を避けるために楼蘭を後にする楼蘭人の姿を、 三部では主人を失った楼蘭の荒れ果てた姿を、 四部では四世紀後半に楼蘭を奪回しようとする若き楼蘭人の指導者の姿と楼蘭の消滅を、 五部では20世紀初めのスウェーデンの探検家スウェン・ヘディンによる楼蘭発見を描いている。 『楼蘭』は不思議な小説である。 西域に実在した楼蘭を描いた歴史小説なのだが、主人公が登場しないし、台詞もほとんどない。 敢えて主人公を挙げれば、それは人物ではなく、楼蘭であり、楼蘭の象徴とも言うべきロブノールであり、その守り神である河竜なのである。 だが主人公が登場しないことで、特に違和感を感じさせない。かえって、短篇でありながら大河小説のような雄大さを感じさせる。優れた構成力を感じさせる。 楼蘭とロプノールに関する文献は少なくない。最古のものは、漢代の『史記』(匈奴列伝など)であり、その後の『漢書』にも記載されている。三十代に、これらは日本語版で読んだ。 これらに興味深かったが、やはり私にとっては、19世紀末から20世紀初頭にかけての、外国隊の中央アジア探検記の方が馴染みがあって面白かった。 中でもヘディンの『彷徨える湖』が、砂漠への憧憬をより強くした。 『楼蘭』にはまり込んだ中学時代の私は、井上靖のシルクロード関係の本を、次から次へとむさぼるようにして読んだ。皮切りは『敦煌』だった。
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◆雑学
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