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♣介護について
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今日は、ディサービス施設への慰問演奏 私はこうした経験がないので、新鮮でしたね。 が、お年寄りの皆さんが楽しんでくださったのかどうか? 声だして歌っているお年寄りには、嬉しかったですね。 演奏も長く短く合わせていたものでした。 仲間も慣れているわけでなく、場所も高いステージでもないので やりにく〜い・・・とか言ってました。 毎月1度の演奏を約束したとか。 (お友達のメールと写真から)
昨日のハーモニカ教室
の反省で、教室の始まりから、がくがく。 珍しさとボラで、8人も行ったので多すぎた、からはじまり、 お年寄りが楽しんでいただける、1時間の進め方など、意見はいろいろ。 同じ施設にこれから毎月1度6ヶ月続くだけに、 しっかりやりたい意欲のあらわれ。 何せ80歳以上のお客様に、賑やか過ぎではないかも心配。 当然といえば当然。 「数字譜」といって、「ドレミを123」という風に 数字であらわすのです、な〜でか、である。 「おたまじゃくし」の読めない人向けかな、 親切のようでおせっかいな、ルール。 ハーモニカの楽譜は今、すべてこれです。
(6月5日お友達のメールと写真から)
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退院後荷物の整理をしやっと以前の生活に戻った途端また無気力になり家事が一切出来ず食事もまた食べられなくなってしまった。 またエンシュアリキッドを飲むようになり、居宅介護を受ける申請をしたのだった。 手続きは過去何でも全部自分でして来た私・・・今回も全て福祉課と交渉し審査を受けて症状が悪化するごとに介護日数を増やして貰った。 業者も自分で選び最初依頼した業者とは合わず現在利用している業者に全て依頼している 家事一切と買い物と・・・最初は食事も作って貰っていたのだが、今年の一月に服毒自殺をしまたもや未遂に終わり以来また食事が出来なくなってしまった。 これで3回失敗したが今回は一番苦しかったが、ヘルパーさんの話では致死量で普通の人なら死んでいるし死ななかったとしても酷い後遺症が残るのに余程内臓が丈夫なのねと言われた。 今回はヘルパーさんとそのヘルパーさんの所属している社長や他のスタッフにかなり迷惑をかけてしまった。発見したのがヘルパーさんだったから・・・ 今は飲み物でヘルパーさんから言われバナナとりんごときな粉と胡麻と牛乳をミックスして飲んでいる それと野菜ジュースと飲むヨーグルトと牛乳をお茶のように飲んでいるが段々体力が無くなって来ているので自分でも危機感があって食べる努力しなくてはと思う二度とあの地獄のような入院生活はしたくないから・・・でもまた今朝からエンシュアリキッドを飲むようになってしまった。 心臓も退院後市の総合病院で受診し金沢医大の臨床医学博士であり病院長である先生に診て貰って薬を飲み定期検査を受けている 発作も起こらなくなった。 娘とも退院後打解けるようになって息子とも同じように打解けるようにもなったが あの入院生活を虐げられた事は生涯私の心に傷として残る それ程深く傷ついた。 今毎日のようにヘルパーさんに来て貰ってお世話になっている。 親切で心優しい人達で私の年齢より上の女性達だ。 何時も来てくれる人は大体同じ人でケアーマネージャーの資格も持っていて 彼女が言うには私がもしこの病気になっていなかったら間違いなく痴呆になっていただろうと言われる 私のような性格の人で痴呆になった人を大勢知っているからだそうだ。 娘も今はヘルパー2級だが勉強して介護福祉士やケアーマネージャーの資格を取るつもりでいるが仕事が忙しく転勤最近あり勉強出来ずにいる。 でも色んな人を介護し色んな知識を日々得ている。前は有料老人ホームだったが今はまた違った形のマンション形式で居宅介護をしている。殆ど精神患者の高齢者で毎日ウンコまみれだそうだ。 私は精神障害者ではあるが頭が狂っている訳では無い。心を病んでいるのです。 ですから、何でも疑問があるととことん追求し薬も自分でネットで調べたり、色んな行政の福祉に関する知識も自分で得たり娘から得たりヘルパーさんから得たりしている。 知識があるのと無いのでは大違いだからです。 市の広報と社会福祉協議会からの通達は必ず全部目を通している 知らずに終わってしまう事が多いからだ。 身体障害者に比べると精神障害者は色んな福祉でも受けられない事が凄く多い 偏見で見られる事がまだまだ多いが今は鬱病患者は物凄く多い 知らずに鬱病になっている人も一杯いると思う。早期に治療を受けると回復も早いそうだ。 唯私の場合は一般的な鬱病患者と違って現代医学を持ってしても貴方の鬱病は治りません効かない薬を一生飲み続けて下さいと、一番最初に診て貰った大学病院の助教授で今は退職して研究に専念し日本薬理学会の学会賞総なめにしている医師から言われている。 治るには喜びや楽しみを一杯感じ枯れた井戸に水を蓄え生き甲斐が見つかれば治ると言われた。 でも、年々無気力になって行く自分を感じる。 希死願望は何時も消えない・・・・ 何度も自殺未遂を繰り返し痛感するのは生きてるんじゃなく生かされていると感じるのだ・・・ 立てなくなるのが怖くて寝たきりにはなりたくなくて書道教室や苔玉作りに行くようにしている でも喜びより苦痛と感じ憂鬱になる事の方が多いが何とか少しでも喜びと感じられるようになりたい。 因みに私が受けている居宅介護現在最高額で月3000円です。 これも各市町村によって違うのかも?? ❤kazu❤
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私は精神障害者2級で4ヶ月の入院生活を終え一人暮らしするようになり、もう2年となります。 現在介護支援を受けています。 精神を患って摂食障害となり一時期大阪に住む娘一家と同居しましたが、ヘルパーの仕事をしている娘が精神を病む位私の症状が酷くなり立てなくなったり持病の心臓発作で何度も発作で救急車で病院へ運ばれたり入院退院したりと・・・娘が今度は自殺行為や自分の一人娘を殺そうとまでし出し・・・ お互いに限界だったのです。3年だったかな同居したのは・・・私は娘と福井市に住む息子に私の自宅の物を全部捨てろと指示し部屋の鍵を二人から返すように言い帰省している娘一家が留守の夜発作的にタクシーを呼び大阪から1月9日に福井の自宅まで戻ったのです。10日が病院の受診日だったのですが・・・ 途中雪が降っていてチェーン規制されていて、運転しているタクシーの運転手さんは雪道を走った事も無くチェーンも持っていなくて高速のガソリンスタンドで最後の一つ残っていたチェーンをつけ雪道を安全運転して貰い親切に自宅まで送り届けてくれた。彼は何時も障害者を乗せているから私は3時間半くらいの間車に乗っていられたのだった。当時の私にはとてもそんな長い時間乗ってしかも他人と一緒に居られる状態では無かった。 帰宅してみると娘も息子も居なくて鍵も置いて無く私はパニックを起こし娘と息子に電話かメールかどっちもかして怒鳴り散らし二度と逢いたくないから部屋の鍵だけ返すように言って何も無くなったガランとした部屋で一つだけ残っていたソファにもたれ泣きじゃくっていた・・・ どれ位経ったのか突然誰かが入って来たと思ったら絶縁している姉と息子だったそして警察官と・・・ 私は狂ったように姉には一回と息子には一杯近づいて来た時足で蹴り・・・拒絶して意識も朦朧となった時警察官が警察署へ私を連れて行きそこから救急車で総合病院へ でも結局当番医院である鯖江市の精神病院に入院させられた。極悪の超汚い不潔な刑務所のような地獄のような入院生活が私を待っていた。 翌日目が覚めてから私は看護婦詰め所前に張り紙がしてあった入院に異議のある人が相談する所へ即刻電話する事にした。強い薬を飲まされロレツも回らずそして、10円玉でしかかけれない公衆電話から私は何度県や法務局にかけ合った事か・・・一回の電話で馬鹿程10円玉を入れなきゃならない電話機 そして何度も窓口の人が変わったり応対が出来ない人達ばかりでイラついたか・・・ その病院は精神患者全員強度の人も軽い人も一緒でまるで日光の猿の中に入れられたようだった 一日中わめき声がし取った取られたと喧嘩が絶えず、発狂しそうだった 医師は福井医大から来ていたが馬鹿かと思うくらい頼りない医師で、管理しているのはその病院の陰の医師だった。入院患者の誰もがもう何十年もその病院に入っていて住民票と言うか戸籍までその病院になっている人達。家族から見放された人や家族が居ない人達ばかり・・・一生その病院で生涯を過ごす事になる人達。 他の病院での入院を経験した人も言っていた何処も同じような感じだと・・・ 看護婦は患者をまるで人間扱いせず動物並みに扱う 労働まであった。病院の薬袋の糊づけやメガネを入れる箱作りとか どうやらそれがリハビリ?? そしてお小遣いが貰えるようだった。 決まった時間に起こされ決まった時間に言われた通りの事をしなくてはいけなかった。 が、私は殆ど拒否した。 最初は医師や看護婦に抗議し極悪な環境と不衛生で不当な扱いを退院したら訴えるつもりでメモしていたが・・・途中で止めた何故ならば 入院患者の殆どが外での生活を望んでいない事だった。 不当な扱いで異議を看護婦等に言うと強い薬を飲まされ懇々と寝るかロレツも回らなくなる程になる 私には誰も面会者も来ない。何故ならば医師が面会を止めていたのである。 そして息子も娘も医師の言うまま私とは会話もしないようにしていた 私を完全に気が狂っていると思っていたらしい医師の言う言葉を信用して・・・ 私は遅々として進まない県と法務局に苛立ちを覚え特に武生の法務局は相手にならず私の地元の法務局に電話して武生の法務局に抗議して貰ってやっと面会に来た。 でも何の役にもたたなかった。最後にやっと県から指定された人と精神科医の団体??から面接に来たが何でも一か月に一回とか決まりがあってやる事なす事全てが遅く結果が来るのもどれ程待たされたか 結果はまだ精神が安定していないから入院が必要だと・・・ この事で余計入院生活が長くなったような気もした。 苛立ちで何度自殺したいと思った事か・・・ 面会に来た息子に私は怒りをぶつけると余計息子は私が精神を病んでいると思ったらしい 不自由な生活に我慢をし私は誰とも会話しなくなった。 三人だけだったかな??正常に近い人なのに家族に入院を強制させられたり認知で自ら入って来た元学校の先生と皆外出も外泊も出来る人達だった。 でも一人は退院し一人の若い女性は強い薬を飲まされ懇々と眠るようになり元学校の先生も認知が余計酷くなって・・・誰もまともに会話出来る人が居なくなった時同じ鬱病で入院して来た女性と仲良くなった 彼女も入院してビックリして血圧が高くなり余りに酷い病院に愕然となったようだった。 彼女も拒食で夫が突然倒れ入院し家のローンも払えず生活出来なくなり家を売り生活保護を受けるようにする手続きをしている最中に鬱病となり拒食でまず病気を治し体力をつけてからと行政からも言われ娘さんからも言われ入院して来たようだった。彼女も発狂しそうだと言っていた。 私達二人は特別に一つの部屋で一人になれるようにして貰った 私の強い希望から転院させて貰えるようになったのは入院してから2ヶ月が経過しようとした時だった 退院前にももう一人鬱病の女性も私達と同じで気が狂いそうねと言っていたこの病院に居ると 不衛生で傲慢な対応の病院からやっと地元の綺麗な病院に転院出来たのは元夫の姉の同級生がその病院の事務長と同級生だったからだった。万床でなかなか入院が困難だったのだった。 綺麗な病院に移ってビックリしたのは今度は鍵をかけられ今迄吸えた煙草も自分の好きな飲み物も食べ物も禁止され決められた金額での決められた食べ物と飲み物も監視され決められた時間にしか食べたり飲んだり出来ないのであった。 二つの病院とも入浴は週二日で最初の入院先なんてお風呂も決められた順番で後になるともうお湯では無い冷たいお湯だった。転院した病院は普通のお風呂屋さんと同じだったが・・・それも決められた順番でゆっくりなんてしていられなかった。 二つの病院共に寝る前は必ず睡眠薬を飲まされた。 私が外出出来るようになったのは息子が頼み元夫が私を迎えに来てくれたからだった が、同じ部屋で空気を吸うのも嫌で離婚した相手だった元夫に来て貰うしか私は家にも帰れなかった 情けなさと悔しさと・・・ 外出出来るようになって初めて自分の着やすい物が着れるようになり 最初の病院は自分で洗濯そして部屋の自分の棚にハンガーで干す事だったが行政が見に来たら隠すように指示されていた。掃除も全て患者でトイレの紙まで自分で指定された紙を買わされトイレには鍵もかからなかった。緊急のボタンも無い不衛生なトイレで痴呆の人はトイレのスリッパも自分のスリッパもごちゃ混ぜ汚い廊下や病室患者がホウキとモップをかける そんな汚い不衛生な床に落ちた薬を平気で患者に飲ませる看護婦 転院した病院は掃除は本来は介護の人がするのだが患者にやらせてた。でも定期的に業者が綺麗に掃除してくれ衛生面では綺麗だったが洗濯物はハンカチ一枚お金を取るか自宅でして貰って持って来て貰うかだった。 私は外出した時自宅で自分で洗濯した。着替えは幾らもあるのだが大阪から運び込まれた荷物が山になっていて何処に何が入っているのかも分からず 少ないそして目立たないような物だけ数枚持って病院に戻った。 ここでも電話は許可が要りお金も管理され本当に不自由だった連絡も出来ず。 その病院の中で知った人が看護婦さんで居たが私を見て明らかに態度が一変して見下された言い方されショックを受けた。 二つの病院での入院生活で患者からも一部の看護婦からも何故入院させられているのかと言われた 他の患者と明らかに違うからだった。 息子と何度も交渉し訴え続けやっと息子が医師に退院を申し出て保護入院と言う保護者であった息子からの意見で退院が決まった。物凄い長い4ヶ月で私の人生で一番苦しく悲しい地獄のような入院生活だった。 退院出来たのは私が食べられるようになったからだった。退院したくて必死で我慢して食べたのだった。 ❤kazu❤
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