『もやもやは蒼く晴れ』
*04『もやもやは蒼く晴れ』 そこで、初めて出会った例の小説を書いた作家のその顔は白く、皺も無い。黒子も染みも無くただただ白い。そこから年齢など推測できる筈も無く視線を落し今度は手を視た。その手は矢張り白く、嫋やかに伸びる指に大きく長く、形の良い爪がどうにも男と云う性の人間とは感じられなかった。 「ではまず、実物の方を拝見させて頂けますか」 「はい、こちらになります」 専用の鞄に容れられたのは三点だけだったので、それらを一つ一つ丁寧に取り出してカバーを外して彼の前に並べた――その刹那と云っても良いくらいに彼はその中の一つを指した。 「これを、使わせて頂けますか」 「えっ? そ、それは構いませんが、まだ他にも候補として十点在りますけど、そちらも御覧になってからでもいいのではないですか?」 「勿論、他の作品も拝見させて頂きたいです。しかし――このデザインが私の脳を強烈に刺激したのです。おそらく、結果は変わらないでしょう。この中央に存在する線。この青錆色のこの線が印象深い。私のこの作品を見事に表している」 「あ、ありがとうございます。しかしこれは一番最初に描いた物で、衝動からの何物でも無いんですよ。そんな物が貴方の作品を見事に表しているとは到底念えません」 「それです。その衝動が素晴らしいのです。私の作品を読んで頂いて、何かを念い、そして何かを憶い出して、誰かと交わって貴女の衝動が生まれた」 「――そ、そうですが、貴方の要望を総て満たしていません」 「あの注文に特別な意味合いはありません。序でにそう云っておけば何かを考える切欠になるだろうと単純に考えたからです。私は、この作品から貴女の裡側が視える様に感じます。どうでしょうか森合さん、他の候補も拝見してそれでもこのデザインだと改めて念ったのなら、是非このデザインを表紙にさせて頂きたい」 「そうですね。先生がそう仰るなら、私もそれで良いと思います。後はこのデザインをどう編集して行くかですね」 「ええ、それに関してなんですが、今思い付いた私の我が儘を述べても宜しいですか?」 七海は作家の丁寧な言葉遣いの中の図々しさを感じたけれど、まあそれでいいならどんどん進めてくれと念っていた。既に蚊帳の外の気分である。 「このデザインには何も手を加えずにそのまま表紙にして欲しいのです。タイトルと作者名は背表紙のみに印字すると云うのはどうでしょうか?」 「う〜ん、どうでしょうかねえ……確かに私見としては好みではありますが、出版社の意向もありますからね……しかしそれも私の仕事ですからね。何とか交渉してみましょう。先生の意向でもあると云う事を使わせて貰って構いませんか?」 「ええ、勿論です。それでは宜しくお願いします。私からも出版社の方には連絡しておきますので」 「解りました」 「あの……」 「ああっ、七海さん。申し訳ない勝手に話を進めてしまって」 「いえ、それはいいんですが。本当にそれがいいんですか? どうも私には違う感じがしてしまうんですよね。それは衝動で描いた私の抽象的な創作物な訳で……」 「七海さん、先程も云いましたが、私は『それ』が良いのです」 「はあ……それなら」 まっ、いっか。じゃっ、後は森合氏に任せればいいだろう。 「七海さん、素晴らしいデザインを有難う御座居ます。貴女を推薦してくれた森合さんにも感謝します」 「否、そんな事は。これは七海さんの実力ですから」 「ありがとうございます!」 と思いながら、七海は自分の実力など高が知れていると思う。今回のは偶々だ。今までの要望通りに描けた事とそう変わりはしない。それでも―― ――それでも、また私の創作物が認められた事に変わりは無い。そう念うと、ぽわっと何かが心に生まれた。今までに感じた事の無い様な、感じた事が在る様な不思議な感じ。 二人に挨拶をして、屋外へ出ると太陽がまだ燦々としていた。それは当り前の様であるけれど、何だか特別で七海は携帯電話のカメラで写真を撮った。そしてずっと心に引っ掛かっていたモノが外れた気がして、本当は何がしたいのか突然判った。 ――やっぱりじっちゃんの孫だな。さあて、これからまた忙しくなるぞ〜。 空は、やたらと美しくて会社の前にある花壇に腰掛けて、沈んでいく陽を眺めながらビールを飲んだ。 ゲフッ! 家に着いて、ソファーに躰を伸ばす。不意にテーブルに視線を移すと、森合から先日受け取った小説のゲラが目に留まった。一度読んだだけのその小説――。 ――『鋼の子ども』―― 今――読んだら、何かが変わっているだろうか? 読み終えると、涙が頬を伝っていた。この間読んだ時に感じなかった『温かさ』に気付いた。それはほんの少しだけだし、文間に仄かにあるだけ。 只、暗いだけじゃなかったんだ。 そして、もう一つ気付いた。まだ読んでいなかった一枚があった。そこには。 最後は、こう綴られている。 『視上げた空はただ――ただ蒼く』 この本は私に空の見方を教えてくれた気がする。 そして私は、空の写真を撮り続けた。 (了)
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