四宮 和彦のチャレンジ

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 本日11月22日(土)午前10時より、海と伊東と東郷元帥の会主催の会員限定座談会「谷川清澄さんを囲む会」を、伊東東郷記念館(旧東郷別荘)を会場に開催致しました。座談会の概要については、既にfacebookに投稿済みですので、ここでは、重複を避けますが、facebookの投稿では、書ききれなかった、谷川清澄さんの真実について、どうしても、詳細を記したく、改めて、こちらのブログに、記す次第です。
とにかく、凄すぎる。このように素直に、尊敬する以外に何もすることのない人物に出会ったことは、私にとっては人生の衝撃であり、その概要をもう少し詳細に記さずにはいられない衝動に駆られてしまいました。谷川さんへのインタビューに当たっては、事前に様々な資料を調べましたが、今回、時間の都合上、すべてを伺うことができたわけではなく、また、伺った内容についても、十分に詳細に至るまで、伺えなかったこともあり、インタビュアーとしては、少々、不完全燃焼の部分もありました。インタビューに当たっての事前の調査資料は、全て公表済みの資料に基づくものであり、公表するについては、特に問題はないと思われますので、座談会では十分に語りつくせなかった谷川さんに関わるエピソードも含め、ここに公開したいと思います。
ここに、紹介するエピソードを知れば、谷川さんが過ごした、戦中戦後の時代背景を考えれば、谷川清澄という人物が、如何に破天荒でありながら、正義を信奉する硬骨漢であったかが知れると思います。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」の「葉隠」で有名な佐賀鍋島武士の気概を生涯体現した気骨の人と言えるのではないでしょうか。谷川清澄さんと出会えたことに心より感謝致します。
以下、長文となりますが、谷川さんが海上自衛隊を退官するまでの経歴に関する概要を私がインタビューに当たってまとめたメモです。是非お読みいただきたいと思います。
 
<インタビュー資料全文>
谷川清澄氏の経歴(インタビューメモ)
 
1.     生い立ち
大正5218日生
4人、女3人の7人兄弟の長男
福岡県大牟田市の三井病院で生まれた。
:清水(きよみ)は福岡県内の進学校で教師や校長を歴任した教育者。
祖父:藤五郎は三井三池鉱業所の副所長
谷川は祖父母に引き取られ育った。
4で佐賀県三養基(みやき)郡中原に転居
佐賀県立三養基中学校に進学。
祖父の考えは父と同じように5高、東京帝大に進学させ将来は裁判官。
一方谷川本人は全く興味がなく、軍学校に進学を希望していた。
佐賀県「葉隠れ武士」、日清日露の戦勝、第一次世界大戦の勝利。軍人への憧れが当たり前の時代。
板谷兄弟(中学校の先輩、海軍兵学校を兄茂は首席、弟隆一は2番で卒業)の影響大
 
2.     海軍兵学校時代
1)受験に2度失敗。浪人して3度目で合格。海軍兵学校第65
2)鉄拳制裁 入校から2,000発まで数えたが、面倒になってやめた。虫歯だった奥歯は全部抜けた。
鉄拳制裁は「決して良いこととは思わないが、何をやっても怖くなくなる。弾丸が飛んで来たら、当たりゃ死ぬわ、と度胸が座る」と否定していない。
3)病気(無酸症)で休学し1年留年、以降、全力でなく健康に留意しつつ無理なく学業をこなす。
4)2号生徒時の「宮島幕営」での新分隊監事S大尉の理不尽。
休学時の分隊監事羽田少佐を尊敬。
宮島幕営事件での分隊監事に幻滅、学校を辞めることも考える。
5)昭和13927日第66期卒業式
219
名中14番。6名まで恩賜の短剣が貰える。
6)練習艦「八雲」で練習航海、のち航空実習の第1期実務練習が半年。
2期実務練習少尉(^^;;
)重巡「三隈」、艤装中の「筑摩」
機銃指揮官に配置、投揚錨を監督。
S
航海長とトラブル。しばらくして転勤。
8)昭和141015日付で戦艦「陸奥」に乗艦。艦長保科善四郎大佐(海兵41)
四日市停泊中に加藤斉(ひとし)主計中尉と翌日厦門に向け出航するにも関わらず、岐阜に「鵜飼見物」に出掛け、翌日、準備不足で信号旗を見誤るという大失態をやらかしたにも関わらず、艦長からも航海長からもお咎めなしで済んだ。「叱らない叱り方」が返って骨身に堪えいつまでも記憶に残った。
9)昭和16115日中尉で「陸奥」を退艦、駆逐艦「雷」に転勤「航海長兼分隊長」。艦長は工藤俊作(海兵51)
10)12/2「雷」は香港に近いチェシー湾で「新高山登レ一二〇八」
12/6
早朝、僚艦「電」と水雷艇「鵲(かささぎ)」とチェシー湾を出航、「香港攻略戦」支援。英艦隊に対する監視、封鎖、撃滅が任務。
12/8
開戦
昭和172/2728「スラバヤ沖海戦」
3/1討ち漏らした敵重巡2、軽巡1を撃沈
3/2
「雷」は海戦の海域を航行中、浮遊する敵将兵を多数発見。英重巡「エゼクター」と駆逐艦「エンカウンター」の乗員。
工藤艦長が先任将校の浅野市郎水雷長に「おい、助けてやれよ。」
午前10時過ぎ溺者救助開始
この日を挟んで前後5日間日本艦艇は5隻の米潜水艦から8回の魚雷攻撃を受けていた。
422
名を救助。ボルネオ島南岸のパンジェルマシンに入港、日本海軍が抑留していた蘭の病院船「オプテンノート」に捕虜全員を移す。
「電」も3/1に「エクセター」の乗員376名を救助している。
11)3/26呉に帰投、4/1横須賀入港ドック入渠。
谷川は第4駆逐隊司令駆逐艦「嵐」に転任。
司令有賀幸作大佐(海兵45)、艦長渡辺保正中佐(海兵49)
5/27 8:00
1機動部隊「空母4(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)、戦艦2、重巡2、軽巡1、駆逐艦12」出撃。
「嵐」は「赤城」の直衛。
6/4
偵察機(米飛行艇カタリーナ)出現するも、赤城から戦闘機発艦せず。
緊張感なし。
ミッドウェイ海戦では、零戦に撃墜され漂流していた空母ヨークタウンの雷撃機搭乗員(ウェスリー・フランク・オスムス海軍予備少尉)を「嵐」が救助し、捕虜として谷川さんが尋問を行い、かなり詳細で正確な情報を得ている。
ミッドウェイ海戦では、主力空母4隻を失ったが、蒼龍、加賀は沈没大爆発を起こしているが、飛龍、赤城は沈没しないため、飛竜は巻雲が、赤城は嵐と野分がそれぞれ魚雷で処分している。
水雷長の谷川さんが赤城を沈めたことになる。
防諜意識の欠如、緒戦の戦果による驕り、作戦計画の杜撰、指揮官幕僚の無能、「指揮官先頭」の精神が欠落した山本五十六長官等、様々な要因が、最悪の結果を招いた。
谷川さんはここで日本の敗戦を確信した。
12)昭和178/18ガダルカナル島増援作戦。先遣隊を上陸させる挺身輸送隊に「嵐」で参加。
その後もソロモン海域に留まり、ガ島への補給を行う。「ネズミ輸送」、「アリ輸送」、「モグラ輸送」、「海トラ」等、うまくいかない。窮余の一策「ドラム缶輸送」
昭和181/14 10回目の輸送作戦。撤収援護の為の増援部隊輸送。
任務完了後、敵の急降下爆撃により、嵐は直撃弾を受け、航行不能に。また、嵐で死傷者を出したのはこれが初めて。
S18/2/20
横須賀入港、有賀司令とともに嵐を退艦。
13)4/1付で海軍兵学校教官兼監事。
井上成美校長。「生徒に戦争の話をするな。」とする方針に谷川さんは反発。
11/15
岩国分校に配置転換。
岩国分校で付き合いのあった元教官の談話。当時の「谷川さんは独身でもあるし、頭は切れるし、非常に美男子でもあるし、皆さんからマークされとったですね。」
14)S19/7月航空特攻を志願するも、航空魚雷に配置転換が決定。有賀大佐が水雷参謀に推薦しようとしていたことと行き違いが起きる。
8/10
付「横須賀練習航空隊特修科学生」、死地を得られない苛立ちから暴飲暴食し、横須賀海軍病院に入院1ヶ月。
15)10月末、大分航空隊に着任。
高崎山中腹にある臨済宗妙心寺派萬寿寺別院の奥大節老師との交流。
8/15
玉音放送。
11
機の艦爆「彗星」による第5航空艦隊司令長官 宇垣纒中将(海兵40)の特攻を見送る。
16日敗戦を正式に知る。自決の覚悟。
16)自決をする暇もなく、終戦事務処理に忙殺される。
直属の上司である、司令と副長が職務放棄。谷川さんが先任将校になって、現場を指揮。
規律の乱れに怒り、通信員、参謀を拳銃で脅し海軍全般に以下の趣旨の電文を送信。
「宛 海軍全般
光輝ある海軍が戦に敗れたとはいえ、統制を失し、軍紀は乱れて、軍隊はその威信を失墜したことはまことに遺憾である。我々は気合いを入れ直して、光輝ある海軍の有終の美を飾らなければならない。その上で、海軍の再建を目指そうではないか
発 海軍少佐 谷川清澄」

陸奥艦長だった保科善四郎中将との再会により、海軍再建に希望を抱くが、終戦事務処理業務が終了すると再び気持ちが沈み、自決に心が傾く。
萬寿寺別院を訪ね、庭先を借りて腹を切ろうとするも老師に諭され一晩考えて、思い留まる。
隊に戻ると海防艦艦長の依頼があり、二つ返事で承諾。
 
3.     終戦後の生活
1)S22/6/4に海防艦を退艦。翌5日に保科善四郎元中将の誘いで朝日実業株式会社に入社。社員60人中40人が海軍関係者。海軍関係者の人選と勧誘を谷川さんが務める。保科の意図は、優秀な海軍軍人を一ヶ所に呼び集め、職の世話をすると同時に、新海軍誕生までの期間、人材を確保しおくことにあった。海軍再建の土台の役割が期待された。朝日実業は旧佐世保軍港の崎辺にあり、イワシを原材料に石鹸やマーガリンを作っていたが、売れなかった。
2)戦犯取り調べ
このころ、結婚話が持ち込まれるが、同時にGHQから呼び出しの指令書が届く。
出頭先は戦犯取調べの博多にあるリーガルセクション支所。戦犯容疑が晴れるまで結婚話は棚上げに。容疑はミッドウェー海戦時のオスムス予備少尉殺害について。
博多で3回の取調べの後、埒があかず業を煮やした取調官は取調べを東京に移す。
東京に出頭が7度目となった時、法務官の怒りが爆発。
法務官「お前はこれほどはっきり事実を述べているのに、肝心なことになるとどうして分からないと逃げるのだ。」
谷川「だからそのことは知らないと言っているではないか。何度同じ返事をすれば気が済むんだ」
法務官「そんな態度を取るなら、スガモに叩き込むぞ!」
谷川「入れたければ、入れろ!」
法務官は席を立つと、谷川の頬に平手打ちを食らわせた。
谷川の怒りが爆発。「何をするかっ!戦争に負けたとはいえ、俺は少佐だぞ。大尉が少佐を殴るとは以ての外だ。今後はお前が謝るまで、一切口を利かない」「俺は、やってもいないことを自供させるために暴力を使ったと、手紙をかくぞ!」
法務官は、肩から力が抜け、椅子に腰を下ろすと、困惑したように口を噤んでしまった。その後3日間谷川は沈黙。
4日目に、法務中佐に従って谷川を殴った法務大尉が現れ、謝罪。
形勢が逆転したことを見て取った谷川は間髪いれず、中佐に向かって「それだけか?」「まだ調査は続行するのか?」「誰か該当者が出たのか?」と立て続けに質問。
中佐は「該当者はいなかったので、調査はこれで終了する。今後は貴官を呼ぶことはしない。」
帰りしなにいつもの4倍の旅費を受け取った。謝罪とマッカーサーへの口止め料か。これにより、戦死者も含め「嵐」から一人の戦犯も出さずに済んだ。取調べは足掛け3年、都合10回に及んだ米軍との戦争だった。
 
4.     結婚昭和25年春 結婚 谷川32歳、新婦21
谷川が取調べを受けている間のS23/5/1に海上保安庁が運輸省の外局として発足。s25/3/30朝日実業退社。義父が経営する佐世保駅前のレストラン「丹頂」の支配人に。売上をネコババしていた料理人をクビにして経営を立て直す。利益は10倍になるも、レストラン経営には興味がなく、海軍再建を信じ、ひたすら、保科からの呼び出しを待った。
 
5.     海上保安庁時代
1)S26秋、保科から分厚い手紙が届き、海上警備隊への参加の呼びかけが来た。
2)S27/1/10海上保安庁に出頭。前年11/30松尾商事(レストラン「丹頂」)退社。収入は5分の1に。
3)二等海上保安正(中佐)フリゲート艦の水雷長。艦に乗れると張り切っていたが、教官の任を解かれると横須賀地方監部警備課の警備主任に転属。階級も三等海上警備正(少佐)に戻される。
4)S28/1ようやく佐世保から妻子を呼び寄せる。9/16佐世保地方総監部設置 佐世保に着任。
6.     海上自衛隊時代
1)S29/7/1保安庁は防衛庁に改称。自衛隊創設。
2)谷川は1号艦(貸与駆逐艦)の砲術長。
3)8/17より米海軍教育訓練施設で就役前訓練開始。砲術長は未経験だったが、部下を信頼して号令だけかけていたら命中。予定時間の半分で訓練終了。
4)谷川は「あさかぜ(エリソン)」に乗艦。もう1艦は「はたかぜ(マコム)」回航任務を終え、横須賀に転勤すると「防衛課長兼訓練課長兼掃海課長」に。
5)谷川は部下に評判が非常に良い。「自衛隊の中でも、紳士で有名な人」「海上自衛隊一の紳士」その後1年近い学生生活を経て海幕先任副官を2年務め、練習艦隊首席幕僚に抜擢。
6)S34/6/24練習隊群司令官赤堀次郎海将補(海兵55期、中佐)の下旗艦けやきに乗艦(一佐)8/25 63日間の航海を終え横須賀に安着。
7)海幕防衛課に転出。S35/1/6 海上幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長。
陸「用意周到 頑迷固陋」、海「伝統墨守 唯我独尊」、空「勇猛果敢 支離滅裂」、統幕「高位高官 権限皆無」、内局「文官統制 不埒千万」(谷川作)
8)「文官統制」の急先鋒が海原治防衛局長(S3540までの長期間局長ポストに居座り権勢を欲しいままにしたため「海原天皇」と呼ばれる。)
9)海原は海幕を目の敵にし、陸に甘かった。海幕で下総に航空基地を作る計画を巡り、谷川と海原が口論。谷川が意見を通す。ある日、厚生課の班長が、防衛局から「局長が官舎の計画を聞きたいので来てくれ」と連絡を受けたが、相手が海原では、すんなり説明を終えられる自信がないので、谷川に同席を依頼。海原に会うときは度々谷川は同席を求められた。この時の経緯は谷川が手記に残している。
(木久田班長の)説明の途中で急に(海原局長が)『もういい。説明をやめろ』と怒鳴りだした。そこで俺(谷川)が『局長が説明しろと言うので来たのに、もういいとは何だ。』班長に『続けよう』と言って続けた。局長が席を蹴って出て行くかと思ったが、後は何も言わずに最後まで座っていて無事にOKになった。」「人間というものは、威張ったり、大声を上げたりする奴は案外小心者が多く、一度『ガーン』と一発かませると、おとなしくなるものだということを戦争中何度も体験している。」「局長と会うときは、いつも腹に小振りの短刀を忍ばせて、侮辱されたり、理不尽な事を言ったりしたら、心臓を一突きにしようと覚悟を決めていた。」谷川が短刀を懐に呑んでいることを、班員の誰もが知っている。その短刀について「短刀を見せなくても、こっちは血相を変えて乗り込むわけですから、殺気を感ずるんですよ。そしたら相手は、言いたいことも言えなくなる。そういうことがどっかから漏れて、『あいつは短刀持っとるから、用心しろ』なんて言われてるかもしれませんな。それは分かりません。」
谷川が扱う案件は、どれもが海自の将来に関わる重要なものばかりだった。防衛課だけではなく、各課から次々と持ち込まれる計画案を海原に提出した。時には辞を低くして説得し、時には頭から押さえ付け、海原という固い扉をこじ開け、海幕側の要望のほとんどを通すと同時に様々な改革案を検討して、組織の充実と発展に向けての道筋を作った。
手記で谷川は「旧海軍において特に充実した勤務は『戦艦陸奥』『駆逐艦嵐』と『兵学校教官』であった。」「海上自衛隊における実に充実した勤務の第一は『業務計画班長』の3年であった」と記している。
S42/1/16
付第三護衛隊群司令官以降、統合幕僚会議の第一、第二の幕僚室長を務め、練習艦隊司令官として戦後はじめて世界一周の遠洋航海に出る。
S461/1佐世保地方総監に就任S48/7/1退官57
 
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 行政視察や、党活動でのフォーラム他、個人視察の為、伊東にいない日々が続いていたために、更新が遅れましたが(言い訳はいいよ。)、平成25年11月5日(火)に民主党静岡県第6区総支部伊東市支部主催で、フォーラムを開催致しました。
 
題して、
 
民主党静岡県第6区総支部伊東市支部主催「地域活性化フォーラム第1回『伊東市における公共交通政策を考える』」
 
 フォーラム第1部基調講演は戸崎肇先生(早稲田大学ビジネススクール教授)にお願い致しました。戸崎先生のご専門は交通政策であり、交通政策に関する公的審議会にも審議委員として多数参加されており、また、交通政策に関する話題については、NHKをはじめとするマスメディアにもコメンテイターとして、多数出演されており、地方公共団体における公共交通政策に関して基調講演を行っていただくには最適の方と言えます。
 また、フォーラム第2部は、市内交通事業者代表、利用者代表による活発な意見交換も行われ、非常に有意義なフォーラムになったと思います。
 私が、ブログにおいて、フォーラム概要について、分かりやすくまとめることができれば良いのですが、12月議会の準備も迫る中、中々うまくまとめるだけの能力がないので、手を抜くようではありますが、フォーラムの内容については、YouTubeにアップしておきましたので、お時間のある方は是非ご覧ください。
第1部基調講演は以下の通りです。
 
第2部パネルディスカッショは以下の通りとなります。
 それぞれ、1時間程度の内容となりますが、地方都市における公共交通の危機的状況について市民の皆様にご認識いただく上で、非常に重要な内容となっております。是非ご覧下さい。
 
6月25日(火)に最終本会議を終え、伊東市議会6月定例会は閉会しました。
本定例会は、5月に執行されました伊東市長選後初めての議会ということで、各議員の一般質問は佃弘巳市長3期目の施政方針に関わるものが中心となりました。
この一般質問については、伊東市の場合、伊東市ケーブルテレビ局CVAがテレビでの生中継を行うほか、Ustreamでのライブ配信、またYoutubeでの録画配信を行っていますので、伊東市内のケーブルテレビで観ることができるだけでなく、全世界で伊東市議会一般質問は観ることができます。
 実際、私の友人が、ニューヨークで深夜に私の一般質問のUstreamライブ中継を観てくれたそうです。
以下が、ニューヨークにも視聴者がいた私の一般質問です。
 
今回私は、「3期目となる市長の今期の施政方針について」として以下、次のような3つの質問を行いました。
 
1.選挙公約において、市長は「学校給食の『親子方式』による食育の充実」を掲げるにとどめ、中学校給食の完全実施については、取り上げていなかったが、当選後に、残り4中学校においても、給食の完全実施を今任期中に実現することを明言された。
 過去2期の任期の中で実現できなかった中学校給食完全実施を3期目に明言されたその真意を伺う。また、実現するに当たっては、昨年11月に策定されたばかりの「伊東市学校給食運営計画」を大幅に見直す必要があると思われるが、新たな計画の策定スケジュールほか、具体的な計画についてどのように考えるか伺う。
 
2.「文化の薫り漂うまちづくり事業の積極的推進」を市長は選挙公約の1つに掲げられていたが、その「積極的推進」する事業の内容については、明らかとは言いがたい。
 「文化の薫り漂うまちづくり事業」を「積極的推進」するというのであれば、今こそ、我々「伊東の『文化力』向上を目指す議員連盟」が昨年10月に提出した7つの政策提言を真摯に受け止め、その実現に努めるべきと考えるが、いかがか。
 
3.伊豆半島ないし伊東市は現在、映画のロケラッシュと言える状態にあるが、ロケの受け入れ体制が十分に整っているとは言いがたい。映画の情報発信力の大きさを考えるとき、観光都市伊東にとって、映画のロケ地として選ばれることは、観光誘客宣伝上、多くの利益をもたらすと考える。また、映画によって、新たに伊東市のストーリーが創造されることによるイメージアップ効果は、まさに市長の言う「観光都市から感動都市へ」のビジョンにかなうものと思われるが、「観光都市から感動都市へ」を具体的にどのような事業に落とし込むことを考えているか。さらに映像コンテンツの利活用にかかわるメディア戦略をいかに考えるか伺う。
 
できれば、壇上からの質問終了後の第2質問での市長とのやり取りに注目をしていただきたいと思います。
他の議員の質問においても同様ですが、市長は、質問者の質問の意味を全く理解しておらず、トンチンカンな答弁に終始しています。
以上、3つの質問は全て、市長が選挙公約または、選挙後の当選証書授与式において、表明した施政方針の一部であり、必ず実現すると約束した内容です。
しかしながら、掲載した、答弁映像をご覧になっていただければわかる通り、答弁の内容は、全くの「トンチンカン発言」か、その場しのぎの「言い逃れ」か、苦し紛れの「強弁」だけであり、何一つとして、具体的な方策について答えるわけでもなく、その実現に対して、本当に意欲を持って取り組むつもりなどさらさらないことは明らかです。
毎度のように私は質問に立ちますが、今回は、選挙直後ということもあり、こうした市長の誠実さのかけらもない態度に強い憤りすら感じました。
 
まず、1の中学校給食の実現についてですが、市長は、「任期中に実現する。」と言っていながら、「宇佐美中、宇佐美小での親子方式による中学校給食提供を平成27年度より検討を開始する。」と答弁しています。これは「伊東市学校給食運営計画」に定められている計画の通りであり、「計画の見直しは必要ない」と言っている訳です。残り任期2年で検討を開始して間に合うはずがありません。仮に宇佐美中が「親子方式」によって実現しても、北中、南中、対島中の3中学校においては、「親子方式」による学校給食の提供は困難であり、センター方式または自校方式でなければ提供ができないことが同計画においても指摘されているのです。
仮に27年度に検討を開始したとして、任期中に給食センター建設や各中学校への調理場の新設が間に合うものでしょうか?こんな単純な計算もできないのかと唖然としました。
「やると言ったらやるんだ」といったようなことを市長は言っていたように思いますが、駄々っ子じゃないんですから、ちゃんと説明責任を果たさねばなりません。
 
また、2の「文化の薫り漂うまちづくり事業の積極的推進」についてですが、市長部局が直接文化振興事業を行おうとするときには、地方教育行政の組織及び運営に関する法律による制約があります。文化財保護行政を除き、他の規制に関しては、地方公共団体が条例を制定することにより、この法律による制限をなくすことが法律上可能となっています。しかしながら、伊東市にはそのような条例は制定されていません。
故に、私は、「文化基本条例(仮称)の制定をするべきである」と市長に迫ったわけですが、市長は相も変わらず、「文化は人に強制するものではない。」などという、愚かしい持論をまたもや展開し、トンチンカンなことを言うばかりに終始し、まったく話になりません。
 おそらく、市長はご本人の生い立ちからそういう先入観を持たれていると思われますが、法律や条例が、市民生活に干渉し自由を縛るための秩序だとでも思っているのでしょう。
 全く法律と言うものの基本が分かっていないのには、愕然とするしかありません。
 確かに、法律は特に刑法のように処罰規定を持つ法律などは、市民の自由を縛る為の物に見えるかもしれませんが、これは余りにも浅薄な理解としか言いようがありません。
 もっとも、市長だけでなく、議員の中にもその程度の理解しかされていない方は意外にも多くいらっしゃるようで、某先輩議員も「四宮、オメーヨー、法律ってものは『民を縛るため』のもんなんだよ。オメーが勝手に法律解釈するんじゃねえよ。」などと意味不明なことをのたまう方もいらっしゃるので、議員や首長になる方には、法の基礎だけでもちゃんと研修しておいたほうがいいかもしれません。
 先に例とした刑法にしても、一見「民を縛るため」の秩序に思えるかもしれませんが、基本は、罪刑法定主義といって、「法に定められていない限り罪に問われることはない。」という原則にその核心があり、国家権力が恣意的に国民を罪に陥れたり、罰したりすることができないようにするためのものであり、民を縛るためにあるのではなく、「権力を縛るため」にあると考えるべきなのです。
個人が法によって規制されるのは、憲法上の「公共の福祉」と言う文言に代表されるように、権利の対抗関係が生ずるときに限られるのです。Aさんの主張する権利が一方でBさんの権利を侵害するという事態が起きたときにその調整を諮るのが法というものだということをちゃんと学んでいただかなければなりません。
こんな知識は、中学校社会科の「公民」で習うレベルの話なんですが、残念ながら、佃市長や私にアドバイスをしてくれた「オメーヨー」の某議員さんの中学生時代は、彼らの名誉のために申し上げますが、公民が中学校社会科にまだなかったのに違いありません。
つまり、「文化基本条例」を制定することは、市長部局が市民のために文化振興事業を積極的に推進するように義務付けるものなのであり、即ち、行政権力を縛るために制定が必要なのであり、市長の言うような「市民に文化を強制するもの」などという解釈がいかに馬鹿げたものであり、そんなことを議会の公式な答弁で平然と言ってしまえる知性と感性には聞いているこちらが恥ずかしくなってしまうと言えましょう。
 そもそも、伊東市には条例が無い為、文化振興事業は原則教育委員会所管であり、主として生涯学習課が行う事業となっているわけですが、市長のいうようなことが正しければ、現在教育委員会が行う文化事業は「市民に文化を強制する」事業だということなのでしょうか。「バカも休み休み言え。」と申し上げたい。
 
3の「観光都市から感動都市へ」と「メディア戦略」についてはもはや何もいうことはありません。要するに、伊東市として、そのようなことには全く興味がないということのようです。
どうやら、伊東を訪れる人に、「勝手に魅力を探してもらって勝手に感動してもらうようにする」ことが伊東市の戦略と言うことのようです。川勝平太知事の選挙以来「勝手連」が流行っているようですので、観光勝手連でも結成して、伊東市の観光を盛り上げる以外には方法はなさそうです。
 
本定例会では、その他の議員の一般質問や条例案補正予算案審議においても、伊東市政の抱える「大問題」が多々指摘される場面がありましたので、また後日まとめて行きたいと思います。特に消防に関わる問題は見過ごしにできない大問題を孕んでいますので、改めて、考えをまとめてみたいと思います。
とりあえず、消防に関わる大問題の1つのさわりだけ以下の鈴木克政議員の一般質問でご覧になっていただければ幸いです。
これは、議員の「発言自由の原則」を行政組織が侵害するという大問題なのですが、色々と難しい部分がありますので、今日のところはこの辺で。

伊東市長選挙

伊東市長選の結果が出てから、丸一日が経過しました。
イメージ 1
結果は、既に発表されている通りで
佃弘巳(現職) 17,072票 対 佐藤裕(新人) 16,202票で私が応援していた佐藤ひろしさんは僅か870票差で惜敗してしまいました。
安定した、今の地位をなげうって、伊東市政の改革に取り組もうとしたその志は、残念ながら選挙結果だけを見れば、伊東市民に受け入れられることなく終わってしまったと言え、応援したわが身の力不足に情けない思いをするばかりです。
 
 もっとも、今回の選挙を通じて、伊東市の抱える根本的な問題の一つが明らかになったという気がしています。
 
 昨夜9時過ぎに、CVA、IKC2社それぞれが報道特別番組で発表した出口調査の結果はコンマ以下の違いはありましたが、「佃 対 佐藤」の予想得票比率はともにおよそ58対42といったところで、その差16ポイントと現職が6,000票近くの大差で圧勝することを予想していました。
ところが、実際に開票が始まり、結果が確定してみれば、冒頭の得票数だった訳で、比率にしたら、約51対49の2ポイント差に過ぎなかったわけで、当落の結果こそ変わらなかったものの、ケーブルテレビ局としては、その報道の信頼性を損なうほどの大外れをしてしまったと言えるのではないでしょうか。
 
 出口調査というのは、統計学的に確立された方法に従っており、通常はこんなにかけ離れた数字が出るはずはありません。
 
 では、なぜ、こんなに大きく外してしまったのでしょうか?
 
 誤解のないように申し上げますが、これは、CVAやIKCの調査方法の問題ではありませんし、両社に責任はないと思います(強いて言えば、調査員に地元の人をアルバイトで使った形跡がある点だけです)。
 
 考えられることはただ一つ、出口アンケートを受けた回答者が「嘘をついた」ということです。それも、実際の数値と予想数値との差を考えると、アンケート回答者の約7%程度がアンケートの回答には投票先を「佃弘巳」としていながら、実際には「佐藤ひろし」に投票していたということです。
 
投票者数に置き換えると、その7%という数字は2,354人になります。
 
 穿った見方かもしれませんが、2,300人以上の投票者が、「佃弘巳」に投票する「フリ」をして、実際には「佐藤ひろし」に投票したということになるのではないでしょうか?
 
 選挙においては投票の秘密は守られなければなりません。だれに投票しようが、それは有権者の権利の行使であり、誰にとやかく言われるべきものではなく、その権利は憲法に保障される基本的人権です。もしも、自らの意思を表明することで何らかの不利益を被ることがあるなら、それは明らかに基本的人権の侵害に当たり、許されることではありません。
 
 しかしながら、「佐藤ひろし」に投票したことを絶対に人に知られてはならず、「佃弘巳」に投票したことを偽装しなければならないような状況が現実にあったわけで、これを一体どのように説明すべきなのでしょう?
 
 投票先を偽装しなければならないくらいなのですから、実際には「佐藤ひろし」を支持していても、出口調査の調査員ですら信用できないと猜疑心の塊になっている人たちなのですから、当然のことながら、表立って、支援活動に参加することなどはできるはずもなく、「一票を投ずるのがやっと」のことでしょう。
 
 これでは、市長選という重要な選挙であるにもかかわらず、市内で選挙ムードが盛り上がるはずもなく、投票率が上がらないのは当然のことと言えるでしょう。
 
 更に言えば、実際の投票を偽装しなければならない人たちがこれだけいるのですから、おそらく、人間関係のしがらみの中で、直接・間接の脅迫的な圧力に屈し、自らの意思に反して支持しない候補に投票せざるを得なかった人達も少なくなかったのではないでしょうか?これは明らかに違法な状況下で選挙が行われていると言え、こんなことが現代の日本で起きていることは、誠に驚くべきことと言わざるを得ません。
 
 そう考えてみると、現職の勝利に終わった伊東市長選ではありましたが、現職に票を投じた人たちを含めて、この選挙結果に満足し、歓迎している人たちは、投票した人たちの中だけで見ても半数に満たないのではないかという気がします。
 
 まして、投票率は55.06%に過ぎず、約45%の人が棄権している状況を考えれば、佃弘巳市長の3選については少なくとも70%以上の人たちが批判的であるか、さもなくば市政に対して何ら期待を持ってはおらず、無関心であることになる訳でこのことは、佃市長は謙虚に受け止めるべきであろうと思います。
 
これだけの政治的アパシーを生んだことに対して佃市長は無責任であってはならないと思います。
 
これは、2期8年の佃市政が作り出した政治状況であることについて、真摯に反省し3期目の市政運営においては、しっかりと責任を取ってもらわなければならないでしょう。
 
 まさか、「勝ちは勝ちだ!」などと驕り高ぶっていないでしょうね?
 
 また、この選挙結果を受けて、有権者も考えなければならないのではないでしょうか?
 
 残念ながら、今回の市長選だけでなく、伊東市の選挙には、非合理的人間関係に基づく土俗的習俗が今なお脈々と生きており、自立した個人による民主的意思決定とはかけ離れた状況にあると思います。
 
 「ものを考える有権者」が育たなければ、有能な政治家が育つこともないのではないでしょうか?
 

民主党伊東市支部大会

3月28日(木)午後7時よりひぐらし会館第1会議室において「民主党伊東市支部大会」を開催しました。
大会においては、国・県・市の各議員からの報告ということで、党員・サポーター以外の方のご参加もあり、48席用意した席は満席となり、ご来場いただいた方だけで、60名以上、静岡県第6区総支部の応援議員を含めると70名以上の参加者となり、会場は熱気に包まれました。
大会は私の司会で進行し、
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鈴木克政支部長(伊東市議会議員)の挨拶で始まり、今年度の支部役員の紹介、現在までの支部の活動についての報告、
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続いて、榛葉賀津也参議院議員から、現在の国政状況に関する報告、渡辺周衆議院議員から国の防災対策を中心とした報告、橋本一実静岡県議会議員より静岡県議会2月定例会での審議内容の報告が行われ、最後に私が伊東市議会3月定例会での審議内容の主だったものについての報告、および現在の市政運営上の問題点についての報告を行いました。
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平日のお忙しい中をお集まりいただいた方々に心より感謝申し上げます。

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