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 本日11月22日(土)午前10時より、海と伊東と東郷元帥の会主催の会員限定座談会「谷川清澄さんを囲む会」を、伊東東郷記念館(旧東郷別荘)を会場に開催致しました。座談会の概要については、既にfacebookに投稿済みですので、ここでは、重複を避けますが、facebookの投稿では、書ききれなかった、谷川清澄さんの真実について、どうしても、詳細を記したく、改めて、こちらのブログに、記す次第です。
とにかく、凄すぎる。このように素直に、尊敬する以外に何もすることのない人物に出会ったことは、私にとっては人生の衝撃であり、その概要をもう少し詳細に記さずにはいられない衝動に駆られてしまいました。谷川さんへのインタビューに当たっては、事前に様々な資料を調べましたが、今回、時間の都合上、すべてを伺うことができたわけではなく、また、伺った内容についても、十分に詳細に至るまで、伺えなかったこともあり、インタビュアーとしては、少々、不完全燃焼の部分もありました。インタビューに当たっての事前の調査資料は、全て公表済みの資料に基づくものであり、公表するについては、特に問題はないと思われますので、座談会では十分に語りつくせなかった谷川さんに関わるエピソードも含め、ここに公開したいと思います。
ここに、紹介するエピソードを知れば、谷川さんが過ごした、戦中戦後の時代背景を考えれば、谷川清澄という人物が、如何に破天荒でありながら、正義を信奉する硬骨漢であったかが知れると思います。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」の「葉隠」で有名な佐賀鍋島武士の気概を生涯体現した気骨の人と言えるのではないでしょうか。谷川清澄さんと出会えたことに心より感謝致します。
以下、長文となりますが、谷川さんが海上自衛隊を退官するまでの経歴に関する概要を私がインタビューに当たってまとめたメモです。是非お読みいただきたいと思います。
 
<インタビュー資料全文>
谷川清澄氏の経歴(インタビューメモ)
 
1.     生い立ち
大正5218日生
4人、女3人の7人兄弟の長男
福岡県大牟田市の三井病院で生まれた。
:清水(きよみ)は福岡県内の進学校で教師や校長を歴任した教育者。
祖父:藤五郎は三井三池鉱業所の副所長
谷川は祖父母に引き取られ育った。
4で佐賀県三養基(みやき)郡中原に転居
佐賀県立三養基中学校に進学。
祖父の考えは父と同じように5高、東京帝大に進学させ将来は裁判官。
一方谷川本人は全く興味がなく、軍学校に進学を希望していた。
佐賀県「葉隠れ武士」、日清日露の戦勝、第一次世界大戦の勝利。軍人への憧れが当たり前の時代。
板谷兄弟(中学校の先輩、海軍兵学校を兄茂は首席、弟隆一は2番で卒業)の影響大
 
2.     海軍兵学校時代
1)受験に2度失敗。浪人して3度目で合格。海軍兵学校第65
2)鉄拳制裁 入校から2,000発まで数えたが、面倒になってやめた。虫歯だった奥歯は全部抜けた。
鉄拳制裁は「決して良いこととは思わないが、何をやっても怖くなくなる。弾丸が飛んで来たら、当たりゃ死ぬわ、と度胸が座る」と否定していない。
3)病気(無酸症)で休学し1年留年、以降、全力でなく健康に留意しつつ無理なく学業をこなす。
4)2号生徒時の「宮島幕営」での新分隊監事S大尉の理不尽。
休学時の分隊監事羽田少佐を尊敬。
宮島幕営事件での分隊監事に幻滅、学校を辞めることも考える。
5)昭和13927日第66期卒業式
219
名中14番。6名まで恩賜の短剣が貰える。
6)練習艦「八雲」で練習航海、のち航空実習の第1期実務練習が半年。
2期実務練習少尉(^^;;
)重巡「三隈」、艤装中の「筑摩」
機銃指揮官に配置、投揚錨を監督。
S
航海長とトラブル。しばらくして転勤。
8)昭和141015日付で戦艦「陸奥」に乗艦。艦長保科善四郎大佐(海兵41)
四日市停泊中に加藤斉(ひとし)主計中尉と翌日厦門に向け出航するにも関わらず、岐阜に「鵜飼見物」に出掛け、翌日、準備不足で信号旗を見誤るという大失態をやらかしたにも関わらず、艦長からも航海長からもお咎めなしで済んだ。「叱らない叱り方」が返って骨身に堪えいつまでも記憶に残った。
9)昭和16115日中尉で「陸奥」を退艦、駆逐艦「雷」に転勤「航海長兼分隊長」。艦長は工藤俊作(海兵51)
10)12/2「雷」は香港に近いチェシー湾で「新高山登レ一二〇八」
12/6
早朝、僚艦「電」と水雷艇「鵲(かささぎ)」とチェシー湾を出航、「香港攻略戦」支援。英艦隊に対する監視、封鎖、撃滅が任務。
12/8
開戦
昭和172/2728「スラバヤ沖海戦」
3/1討ち漏らした敵重巡2、軽巡1を撃沈
3/2
「雷」は海戦の海域を航行中、浮遊する敵将兵を多数発見。英重巡「エゼクター」と駆逐艦「エンカウンター」の乗員。
工藤艦長が先任将校の浅野市郎水雷長に「おい、助けてやれよ。」
午前10時過ぎ溺者救助開始
この日を挟んで前後5日間日本艦艇は5隻の米潜水艦から8回の魚雷攻撃を受けていた。
422
名を救助。ボルネオ島南岸のパンジェルマシンに入港、日本海軍が抑留していた蘭の病院船「オプテンノート」に捕虜全員を移す。
「電」も3/1に「エクセター」の乗員376名を救助している。
11)3/26呉に帰投、4/1横須賀入港ドック入渠。
谷川は第4駆逐隊司令駆逐艦「嵐」に転任。
司令有賀幸作大佐(海兵45)、艦長渡辺保正中佐(海兵49)
5/27 8:00
1機動部隊「空母4(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)、戦艦2、重巡2、軽巡1、駆逐艦12」出撃。
「嵐」は「赤城」の直衛。
6/4
偵察機(米飛行艇カタリーナ)出現するも、赤城から戦闘機発艦せず。
緊張感なし。
ミッドウェイ海戦では、零戦に撃墜され漂流していた空母ヨークタウンの雷撃機搭乗員(ウェスリー・フランク・オスムス海軍予備少尉)を「嵐」が救助し、捕虜として谷川さんが尋問を行い、かなり詳細で正確な情報を得ている。
ミッドウェイ海戦では、主力空母4隻を失ったが、蒼龍、加賀は沈没大爆発を起こしているが、飛龍、赤城は沈没しないため、飛竜は巻雲が、赤城は嵐と野分がそれぞれ魚雷で処分している。
水雷長の谷川さんが赤城を沈めたことになる。
防諜意識の欠如、緒戦の戦果による驕り、作戦計画の杜撰、指揮官幕僚の無能、「指揮官先頭」の精神が欠落した山本五十六長官等、様々な要因が、最悪の結果を招いた。
谷川さんはここで日本の敗戦を確信した。
12)昭和178/18ガダルカナル島増援作戦。先遣隊を上陸させる挺身輸送隊に「嵐」で参加。
その後もソロモン海域に留まり、ガ島への補給を行う。「ネズミ輸送」、「アリ輸送」、「モグラ輸送」、「海トラ」等、うまくいかない。窮余の一策「ドラム缶輸送」
昭和181/14 10回目の輸送作戦。撤収援護の為の増援部隊輸送。
任務完了後、敵の急降下爆撃により、嵐は直撃弾を受け、航行不能に。また、嵐で死傷者を出したのはこれが初めて。
S18/2/20
横須賀入港、有賀司令とともに嵐を退艦。
13)4/1付で海軍兵学校教官兼監事。
井上成美校長。「生徒に戦争の話をするな。」とする方針に谷川さんは反発。
11/15
岩国分校に配置転換。
岩国分校で付き合いのあった元教官の談話。当時の「谷川さんは独身でもあるし、頭は切れるし、非常に美男子でもあるし、皆さんからマークされとったですね。」
14)S19/7月航空特攻を志願するも、航空魚雷に配置転換が決定。有賀大佐が水雷参謀に推薦しようとしていたことと行き違いが起きる。
8/10
付「横須賀練習航空隊特修科学生」、死地を得られない苛立ちから暴飲暴食し、横須賀海軍病院に入院1ヶ月。
15)10月末、大分航空隊に着任。
高崎山中腹にある臨済宗妙心寺派萬寿寺別院の奥大節老師との交流。
8/15
玉音放送。
11
機の艦爆「彗星」による第5航空艦隊司令長官 宇垣纒中将(海兵40)の特攻を見送る。
16日敗戦を正式に知る。自決の覚悟。
16)自決をする暇もなく、終戦事務処理に忙殺される。
直属の上司である、司令と副長が職務放棄。谷川さんが先任将校になって、現場を指揮。
規律の乱れに怒り、通信員、参謀を拳銃で脅し海軍全般に以下の趣旨の電文を送信。
「宛 海軍全般
光輝ある海軍が戦に敗れたとはいえ、統制を失し、軍紀は乱れて、軍隊はその威信を失墜したことはまことに遺憾である。我々は気合いを入れ直して、光輝ある海軍の有終の美を飾らなければならない。その上で、海軍の再建を目指そうではないか
発 海軍少佐 谷川清澄」

陸奥艦長だった保科善四郎中将との再会により、海軍再建に希望を抱くが、終戦事務処理業務が終了すると再び気持ちが沈み、自決に心が傾く。
萬寿寺別院を訪ね、庭先を借りて腹を切ろうとするも老師に諭され一晩考えて、思い留まる。
隊に戻ると海防艦艦長の依頼があり、二つ返事で承諾。
 
3.     終戦後の生活
1)S22/6/4に海防艦を退艦。翌5日に保科善四郎元中将の誘いで朝日実業株式会社に入社。社員60人中40人が海軍関係者。海軍関係者の人選と勧誘を谷川さんが務める。保科の意図は、優秀な海軍軍人を一ヶ所に呼び集め、職の世話をすると同時に、新海軍誕生までの期間、人材を確保しおくことにあった。海軍再建の土台の役割が期待された。朝日実業は旧佐世保軍港の崎辺にあり、イワシを原材料に石鹸やマーガリンを作っていたが、売れなかった。
2)戦犯取り調べ
このころ、結婚話が持ち込まれるが、同時にGHQから呼び出しの指令書が届く。
出頭先は戦犯取調べの博多にあるリーガルセクション支所。戦犯容疑が晴れるまで結婚話は棚上げに。容疑はミッドウェー海戦時のオスムス予備少尉殺害について。
博多で3回の取調べの後、埒があかず業を煮やした取調官は取調べを東京に移す。
東京に出頭が7度目となった時、法務官の怒りが爆発。
法務官「お前はこれほどはっきり事実を述べているのに、肝心なことになるとどうして分からないと逃げるのだ。」
谷川「だからそのことは知らないと言っているではないか。何度同じ返事をすれば気が済むんだ」
法務官「そんな態度を取るなら、スガモに叩き込むぞ!」
谷川「入れたければ、入れろ!」
法務官は席を立つと、谷川の頬に平手打ちを食らわせた。
谷川の怒りが爆発。「何をするかっ!戦争に負けたとはいえ、俺は少佐だぞ。大尉が少佐を殴るとは以ての外だ。今後はお前が謝るまで、一切口を利かない」「俺は、やってもいないことを自供させるために暴力を使ったと、手紙をかくぞ!」
法務官は、肩から力が抜け、椅子に腰を下ろすと、困惑したように口を噤んでしまった。その後3日間谷川は沈黙。
4日目に、法務中佐に従って谷川を殴った法務大尉が現れ、謝罪。
形勢が逆転したことを見て取った谷川は間髪いれず、中佐に向かって「それだけか?」「まだ調査は続行するのか?」「誰か該当者が出たのか?」と立て続けに質問。
中佐は「該当者はいなかったので、調査はこれで終了する。今後は貴官を呼ぶことはしない。」
帰りしなにいつもの4倍の旅費を受け取った。謝罪とマッカーサーへの口止め料か。これにより、戦死者も含め「嵐」から一人の戦犯も出さずに済んだ。取調べは足掛け3年、都合10回に及んだ米軍との戦争だった。
 
4.     結婚昭和25年春 結婚 谷川32歳、新婦21
谷川が取調べを受けている間のS23/5/1に海上保安庁が運輸省の外局として発足。s25/3/30朝日実業退社。義父が経営する佐世保駅前のレストラン「丹頂」の支配人に。売上をネコババしていた料理人をクビにして経営を立て直す。利益は10倍になるも、レストラン経営には興味がなく、海軍再建を信じ、ひたすら、保科からの呼び出しを待った。
 
5.     海上保安庁時代
1)S26秋、保科から分厚い手紙が届き、海上警備隊への参加の呼びかけが来た。
2)S27/1/10海上保安庁に出頭。前年11/30松尾商事(レストラン「丹頂」)退社。収入は5分の1に。
3)二等海上保安正(中佐)フリゲート艦の水雷長。艦に乗れると張り切っていたが、教官の任を解かれると横須賀地方監部警備課の警備主任に転属。階級も三等海上警備正(少佐)に戻される。
4)S28/1ようやく佐世保から妻子を呼び寄せる。9/16佐世保地方総監部設置 佐世保に着任。
6.     海上自衛隊時代
1)S29/7/1保安庁は防衛庁に改称。自衛隊創設。
2)谷川は1号艦(貸与駆逐艦)の砲術長。
3)8/17より米海軍教育訓練施設で就役前訓練開始。砲術長は未経験だったが、部下を信頼して号令だけかけていたら命中。予定時間の半分で訓練終了。
4)谷川は「あさかぜ(エリソン)」に乗艦。もう1艦は「はたかぜ(マコム)」回航任務を終え、横須賀に転勤すると「防衛課長兼訓練課長兼掃海課長」に。
5)谷川は部下に評判が非常に良い。「自衛隊の中でも、紳士で有名な人」「海上自衛隊一の紳士」その後1年近い学生生活を経て海幕先任副官を2年務め、練習艦隊首席幕僚に抜擢。
6)S34/6/24練習隊群司令官赤堀次郎海将補(海兵55期、中佐)の下旗艦けやきに乗艦(一佐)8/25 63日間の航海を終え横須賀に安着。
7)海幕防衛課に転出。S35/1/6 海上幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長。
陸「用意周到 頑迷固陋」、海「伝統墨守 唯我独尊」、空「勇猛果敢 支離滅裂」、統幕「高位高官 権限皆無」、内局「文官統制 不埒千万」(谷川作)
8)「文官統制」の急先鋒が海原治防衛局長(S3540までの長期間局長ポストに居座り権勢を欲しいままにしたため「海原天皇」と呼ばれる。)
9)海原は海幕を目の敵にし、陸に甘かった。海幕で下総に航空基地を作る計画を巡り、谷川と海原が口論。谷川が意見を通す。ある日、厚生課の班長が、防衛局から「局長が官舎の計画を聞きたいので来てくれ」と連絡を受けたが、相手が海原では、すんなり説明を終えられる自信がないので、谷川に同席を依頼。海原に会うときは度々谷川は同席を求められた。この時の経緯は谷川が手記に残している。
(木久田班長の)説明の途中で急に(海原局長が)『もういい。説明をやめろ』と怒鳴りだした。そこで俺(谷川)が『局長が説明しろと言うので来たのに、もういいとは何だ。』班長に『続けよう』と言って続けた。局長が席を蹴って出て行くかと思ったが、後は何も言わずに最後まで座っていて無事にOKになった。」「人間というものは、威張ったり、大声を上げたりする奴は案外小心者が多く、一度『ガーン』と一発かませると、おとなしくなるものだということを戦争中何度も体験している。」「局長と会うときは、いつも腹に小振りの短刀を忍ばせて、侮辱されたり、理不尽な事を言ったりしたら、心臓を一突きにしようと覚悟を決めていた。」谷川が短刀を懐に呑んでいることを、班員の誰もが知っている。その短刀について「短刀を見せなくても、こっちは血相を変えて乗り込むわけですから、殺気を感ずるんですよ。そしたら相手は、言いたいことも言えなくなる。そういうことがどっかから漏れて、『あいつは短刀持っとるから、用心しろ』なんて言われてるかもしれませんな。それは分かりません。」
谷川が扱う案件は、どれもが海自の将来に関わる重要なものばかりだった。防衛課だけではなく、各課から次々と持ち込まれる計画案を海原に提出した。時には辞を低くして説得し、時には頭から押さえ付け、海原という固い扉をこじ開け、海幕側の要望のほとんどを通すと同時に様々な改革案を検討して、組織の充実と発展に向けての道筋を作った。
手記で谷川は「旧海軍において特に充実した勤務は『戦艦陸奥』『駆逐艦嵐』と『兵学校教官』であった。」「海上自衛隊における実に充実した勤務の第一は『業務計画班長』の3年であった」と記している。
S42/1/16
付第三護衛隊群司令官以降、統合幕僚会議の第一、第二の幕僚室長を務め、練習艦隊司令官として戦後はじめて世界一周の遠洋航海に出る。
S461/1佐世保地方総監に就任S48/7/1退官57
 
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遍在と偏在

2月18日(木) 天気:曇りのち晴れ

 とあることがあり、総務省の「ICT推進事業」について色々調べていて、本質的なことと関係ないことで、新しい発見をしてしまった。

 「ICT」(Information and Communication Technology=情報通信技術)を「いつでも、どこでも、誰でも」が、その技術を意識せずに利用できるのが「ユビキタス社会」とか「ユビキタスコンピューティング」とか言うそうだが、問題はこの「ユビキタス」である。

「ユビキタス=ubiquitous」の語源はラテン語の「ubique」で「ubique=あまねく」と言う意味であり、

漢字で書くと「あまねく」は「遍く」となるんだそうだ。「お遍路さん」の「遍」である。

お遍路さんは「遍く路を歩く」から、お遍路さんなのだろうということからわかる通り、「あまねく」とは「いたるところ、すべての、くまなく」とかいった意味になる。

そこで、タイトルの2つの熟語であるが、私は、どれだけこの2つの言葉を意識して見分けてきただろうか?

 「しんにょう」と「にんべん」の違いだけで、読みはどちらも「へんざい」であるが、意味は正反対の意味である。

「遍在」=遍く存在すること、要するに「どこにでもある、いたるところにまんべんなくある」ということだ。

「偏在」=偏って存在すること。要するに「一部特定のところにだけたくさんあって、ないところには全くない」ということだ。

 47年間の人生で、読んだ文献において、「遍在」と「偏在」を取り違えて理解して来たことがあるかもしれないと思うと少々ゾっとした。

<余計なひと言>
 日本は今や格差社会と言われる。格差社会と言うのは富が「偏在」する社会である。世の為政者たちも案外私同様、誤解して来たんじゃないかと疑う。

 日本社会のあるべき姿として「富が遍在する社会を目指すべきところ」、うっかり「しんにょう」と「にんべん」を書き間違えちゃいました。なんてことはないですよね?
 うっかりミスじゃ済まされませんよ。日本のエスタブリッシュメントの皆さん。
2月13日(土) 天気:雨

 バンクーバーオリンピックがはじまったようだ。

 といっても、ニュースで見るくらいで、格別楽しみにもしていないので、夜テレビでは「ハンサムスーツ」とか見ていた。

 ここのところ、オリンピック関係で目にとまった記事やTVニュースはスノボーのハーフパイプに出場する予定の
「国母選手の服装問題」
である。

 選手団ユニフォームの襟をはだけ、スラックスをずらして所謂「腰パン」していて顰蹙買ったとかで、開会式出席を自粛するとかさせるとかいう話だ。

 この点については賛否両論あるところだろう。私の意見としては、
「そんなに目くじら立てなくても」
というところだが、どうなんだろう?

 そもそも、誰が、国母選手の身なりをみて怒っているのかがわからない。国民だろうか?

 どうせ、オリンピック委員会の一部の年寄り役員連中の不興を買った程度のことではないのか?

 あるいは、暇で変質的クレーマーから1本の電話がかかってきたといったところじゃないのか?

 ちょっと考えてみればいい。スノボーがうまい奴にまともな格好している奴がいるわけがない。

 大体、スノボーができる前に、スケボーがあり、その前にサーフィンがあったわけで、サーフィンやスケボーを雪山でもやってみたいといった、どうせアメリカあたりの能天気なバカ者が始めたスポーツである。

 サーフィンやスケボーを純粋にスポーツとしてその技術をを極めることに情熱を燃やす奴がどれだけいるだろうか?そんな物好きはかなりのオタクで少数派だろう。

 ほとんどの奴らが、そこそこうまくなって
女にモテたいからやってるに違いない
というのが、モテないブ男である私のやっかみ半分の確信である(こんな気持ちになるのも「ハンサムスーツ」とか観たからか?)。

 海パン一丁かウェットスーツに身を包んで、服装に選択肢がないマリンスポーツであるサーフィンはともかく、スケボーを例にとればわかりやすい。

 大体、アスファルト舗装された都市環境で人に迷惑かけながらやってたのがスケボーだ。

 やってる連中は、ステレオタイプ的にヒップホップ系ファッションをしている。ストリート系ファッションというのだろうか?街中の悪のスポーツだからスケボーやる者のユニフォームみたいなものだ。

 この流れを汲むスノボーである。スノボー用のウェアもヒップホップ系ファッションをベースにしているものがほとんどである。

 年寄りが考えるようなさわやかな格好で滑っている奴なんかまずいないし、そんなさわやかな奴はスノボーはやらない。

 乱暴な言い方をすれば、
ストリートギャングに憧れているかまたは共感している若者がやるスポーツがスノボーだ。

 スノボーというスポーツの創造と発展の過程においてまとわりついたストーリーも含めて一つの競技であるとすれば、
国母選手のドレッドヘアも、だらしがない襟元も腰パンも、更には、彼の小生意気でふて腐った態度も含めてスノボーなんじゃなかろうか?

 それが、気に入らないというのであれば、国母選手個人の問題でなく、スノボー競技自体に日本はエントリーしなければいい。

 さもなくば、オリンピックの選考基準に「服装規定」でも入れることだ。バンクーバーに行ってから騒ぐことじゃない。

 こういう報道を聞くと、相変わらず「日本という国は住みにくい国だな。」と思う。

 朝青龍問題を蒸し返すのも何だが、ここでもオリンピック選手の
「品格」
とかいうんだろうか?

「品格」
なんてものは人に求めるべきものじゃないだろう。自分自身の
「品格」
を磨けばいいことだ。

 あぁ、ここのブログもだんだん「市議会議員の品格」を貶めるものになってきたような気がする。

 開き直って、日本で最も品下ったブログにしてやろうか・・・・。

ニュース色々

2月12日(金) 天気:雨

 テレビニュースを見ていての感想。

 最近ニュースを見ていて、感じるのは、「マスコミが選択的に事件を取り上げているからだろう。」という気がする一方で、かつての「酒鬼薔薇事件」のような猟奇性はないものの、何とも不快な事件が多い。

 この不快感はどこから来るかというと、共通して言えるのは「何で未然に防げなかったのか?」ということである。

一つは、東京の7歳の少年が両親の暴行によって殺された事件。いま一つは宮城県の18歳と17歳の未成年男性による3人殺傷事件。

前者の暴行死に関しては、児童相談所、センターが児童虐待の事実を把握しており、小学校にも連絡を取っていたという。

 ここで「馬鹿じゃないのか?」と思うのは、小学校教諭が家庭訪問したんだか親を呼んだんだか知らないが、親の「もう二度としません。」という言葉を鵜呑みにしていることだ。

 DVなんてものは、精神病かさもなくば倒錯した精神嗜好の発露なんであって、自己制御できないからDVになるんであって、「もう二度としません。」などと言ったところで、それが、仮に本人も本気で言っていたとしても、絶対に守られない約束であることは、わかりきったことである。

 そんなことは、素人の私ですらわかる。

 2つ目の宮城県の殺傷事件にしたって、警察が何度も関わっていて、犯人を説諭しているとのことだが、同じことだ。

 DVはある種の精神疾患であって、暴力を振るう本人がコントロールできないから起きるんであって、言葉で説諭したって、何の意味もない。

 何度、こんなことが繰り返されてきているんだろうか?

GoogleでもYahooでもいいから「児童虐待」とか「DV」とかいったキーワードで検索してみるといい。とんでもない数のニュースが検索される。

 DVというものについて、もっと認識を変えていく必要がある。

 今の世の中ドメスティックな環境ほど暴力的な行為が起きやすいんだと思う。

 例えば、会社で、上司や同僚の発言や態度が気に入らないと言って、暴力をふるうサラリーマンがいたとしたら、警察沙汰にもなるだろうし、警察沙汰にならない場合でも、解雇は間違いないし、仮に非常に寛容な会社であったとして、その従業員を病院送りにすることは間違いないだろう。

 ところが、これが家庭内になると、何故か、家庭内の問題として、警察に相談しようが、学校に相談しようが、放置されているのが現状だ。

 核家族化が進んでいる現在、一家庭が助けを求める先はご近所さんや親戚なんかでなく、ダイレクトに行政組織だ。ましてや被害者が子供である場合等どこに助けを求めればいいのだ?

 しかも、今回の事件等、助けを求めたのに7歳の少年は殺されてしまった。

 児童相談所や学校の先生たちはこのことをどういう風に受け止めているのだろうか?

 結局、ありきたりの弁解しか聞かれない。加害者の反省の言葉を「信じた。」とか必ず言うのだ。

 はっきり言おう。

「信じたお前がバカなんだ!少年を殺したのはあんたも同然だ。」

 というか、こんなことを信じるなんてことは普通あり得ないわけで、結局警官にしろ、相談員にしろ教師にしろ、

面倒くさいから「信じられないけど信じたい。」だけなのだ。結局自分の都合でしかない。

 別に正義漢ぶるつもりはないが、こういう連中が私は最も許せない。

 時代が時代なら、叩き斬ってやりたいぐらいの怒りを感じる。

 再三にわたりSOSを発信していた被害者を助けられなかった警察官、児童相談員、教師は全員解雇されるべきだろう。この人たちには、職務を全うする能力が全くないのだから当然である。

 更に言えば、これらの人たちは罰せられるべきだと思う。なぜなら、彼らの不作為によって少年少女が殺されてしまったのであるから。殺人を幇助したも同然ではないか。共犯といってもいい。

 警官や教師に限らず、公務員という存在は、民間ではできない非営利的活動を担うことで、市民に奉仕することを業務とする人たちである。

 市民の命を守り、育むことに自分の命をかけられる覚悟がなければやってはいけない仕事だと思う。

 もう、何度同じことが繰り返されて来たことか。何故改善されないのだろうか?児童相談所なんて全国にいくつあるのか分からないくらいの数があるだろう。

 その中で、暴行事件や殺人事件が起きるような相談所が何件あるか?少なくとも繰り返し経験しているところはないだろう。1施設当たりでみれば、希有なケースなのだろう。結局、他人事なのだ。

 どういう経緯で、そういう事件が起きるのかケーススタディが行われておらず、情報共有されていない証拠である。職務怠慢も甚だしい。

 発生率や件数等の統計数値の問題じゃない。もっと人間一人を大切にする心を行政は持ってほしい。
 

2222

平成22年2月2日(火) 天気曇りのち晴れ

 日付を敢えて元号から書いてみたが今日は2が並ぶ日である。

 日付と言うのは面白いもので、1999年11月19日を最後に今後西暦3111年1月1日を迎えるまで、並んでいる全ての数字が奇数で構成される日は来ないことに一昔前に気付き、1999年11月19日に一人感慨深く酒を飲んで、生涯最後の奇数の日を惜しんだのを思い出した。

 多分、今日あたりは、午前2時22分22秒、午後2時22分22秒、そして、つい先ほど22時22分22秒に時計を見つめてあるいは、117に電話して、ほくそ笑んだ人が、全国に何人かいるのではないだろうか?
 ちなみに、全ての数字が偶数になる日も2020年2月2日まで訪れないので、結構先の話になるが、事故や病気がなければ、こちらは何とか体験できそうである。

 時の執権北条泰時は1234年5月6日に何をしていただろうか?御成敗式目の制定(?)からおよそ2年後である。自らの治世に満足していたのであろうか?って西暦なんてそもそも西欧で普及したのも15世紀以降の話らしいから、日本人が知るわきゃないか。残念でしたね・・・泰時さん。

って下らない話を済みませんでした。

ちなみに、今日は西小学校に行って、学校施設の状況視察・学童保育の実際等を視察、夜は「team伊豆」の会合に出席し、伊豆を元気にしたい老若男女のお話を色々聞いて帰宅は午後10時過ぎ。
 下らないこと考えているだけでなく、ちゃんとお仕事もしてますので・・・ヨロシク。

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