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先日の朝日新聞の報道で、最高裁が憲法の「思想・良心の自由」に違反するとして訴えていた人の裁判で、「君が代」の起立命令は合憲だ、という判決を下したというのがあった。行政書士の友人に「どう思う?」と感想を訊くと、「くだらない判決」という。彼は日の丸と君が代が嫌い。どうしても第二次戦時中の日本を思い出してしまうらしい。そんなものを連想させるものを受け入れたくないと彼は言う。なるほど。僕はここまでなら彼の気持ちがわかる。でも彼は「国旗」と「国歌」は必要だと言う。彼は君が代の代わりに、「さくら」を国歌として認めるべきと主張する。ここが僕にはわからない。
僕も今回の最高裁の判決はくだらないなと思う。そこは彼と同じ。でも僕は友人と違って、日の丸と君が代が嫌いと言うわけではない。僕は「国旗」と「国歌」自体が嫌い。「日の丸」「君が代」でなければ、、、などというレベルではない。どちらも国民国家のイデオロギーの象徴でしかない。ナショナリズムという近代が産んだ汚物を受け入れたくはない。自己の存在と国家を同一視するのは止めようと言うのが、僕が歴史から学んだこと。自分のどこかの国の国民として認識するよりも、自分らしく、人間らしく生きたい。僕の友人で在日韓国人がいるが、彼のように「ナショナリズムの隙間」に生まれた人々に対する差別や偏見は、国民意識や愛国心教育が続く限り決して消えないだろうと思う。僕は「国」を愛するより、「人」を愛したいといつも思う。
国旗と国歌を許容しない僕と、単に日の丸と君が代を認めない友人との意見の違いは、「ラディカル」と「リベラル」の違いなのかなぁと思った。
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