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今日、JR各社より、春の臨時列車が発表されましたね。 今季の臨時列車は旧型客車が多く運用に入った気がします。もしかして、そろそろ使えなくなり始めたから、今のうちに酷使しておこう、なんて目論見では・・・・・なんて。 さて、桜や梅の臨時列車も良いのですが、特に目を引いたのは、“ムーンライト”が臨時列車の仲間に入っていたこと。ああ、3月のダイヤ改正で、本当に臨時化されるんだ、と。 私は過去、18きっぷで旅行したのは数える程度なのですが、名古屋出張の際など、好んで“ムーンライトながら”を使いました。名古屋は朝早くても十分楽しめる街ですね〜。乗り過ごしても終点が大垣だから安心!! 逆に、えちごになると乗ったことも無いかも知れません。新潟に行くときはバスが多かったような。 さて、今回は大垣夜行時代の画像でも、と、考えていたのですが、興味深い写真が出てきたので、急いで友達の家でスキャンしてもらいました。 存在は知っていたのですが、写真が手許にあるとは。誰が撮影したのかも分からない写真です。 さて、ちょっとwikipediaで見てみると、修学旅行列車こまどりのスジで走ったそうです。 1960年6月1日 153系で東京〜大垣間に臨時準急長良設定。 1961年3月 159系に変更。 1961年10月1日 漢字表記を平仮名表記に改める。 1965年10月1日 ながら廃止。 結構短命列車だったそうで。平仮名表記の時代だけだと4年だけですね。 しかしwikipediaの情報量は凄い!!私だったら153系と159系って見分けられませんし(苦笑) しかし、考えてみれば、もともと臨時だった列車が臨時に戻るだけなんですね。準急から快速に格下げのオマケつきで。 と、思ったら、こんな記述を発見。 1957年(昭和32年)12月23日〜1958年(昭和33年)1月15日 下り東京駅〜名古屋駅、上り大垣駅〜東京駅間に愛称なしの臨時夜行準急1往復を運転。この列車は現在の「ムーンライトながら」の元祖ともいえる列車であった。 考えてみれば、この“ながら”は昼行でしたね。まぁ、どっちにしても臨時準急だったそうですが。 出典:wikipedia 東海(列車)項及び、修学旅行列車項
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国鉄
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夢にまで見たビジネス特急こだま!!遂に!遂に!乗れるときが北ぁ!! 夢じゃないよね?夢じゃないよね?夢じゃぁないよねぇぇぇ?!?!?!?!?!? と、言う夢を見ました。これが夢オチって奴なんですね?身を以って理解しました。 さて、ビジネス特急こだま。日本初の電車特急で、当時の私は本当に虜になっていました。 遥か遠く、未知の世界“OSAKA”とTOKYOをなんと日帰りで利用できるダイヤで走りきるその姿は、当時数少なかった鉄ちゃん達の目にはカッコよく写ったものと思います。 私も休みの度に東京駅やら横浜駅へ足を向け、ただ一心に、外国を思わせる(当時は外国なんて知らないけども)トレンデーな(意味知らないし、当時はディーの発音が出来なかった)風貌に魅了され、カメラを向け続けたものでした。あんなにいっぱい撮り、現像したくせに、今手許にあるのは僅か数枚。しかも過半数がカビとか言う不吉な物体に遣られているものの、当時を思い出させるカッコいい姿がそこには残っています。過半数がかびてるけど。 私が撮ったのは大体が午後発の第2こだま。未知の世界OSAKAには21:00くらいに到着するダイヤだったはずです。第1こだまは朝早かったので全然撮っていません。 こだまに乗り込むオジサン達を、私は相当睨んでいたと思います。多分。 OSAKAには急行でも十二分に行けるのに、態態特急で行くなんて、どんだけ〜って感じで。 とにかく憧れ中の憧れでしたが、新幹線が開業して結局は乗らずじまい。1度は乗ってみたい電車でした。 以上、昨日のエンタの神様でのだいたひかるさんのネタ、 “電車でYO〜、一番前で景色見てる奴はYO〜、だいたいリュック背負ってんだYO〜!!” と、言うネタがツボに嵌り、しばらく笑いっぱなしだったかずじーの昔話でした。しかし・・・・面白かったなぁ。 そういえば、折角1000hit達成したのに、これということを全くしませんでしたね。
TOPの画像もただの気まぐれで何の関係も無い東武8000系。ヴ、これでいいのか?これでいいのだ! |
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12月6日、EF55に乗ったのに、記事を全く書いていないことにようやく気付きました。 あんなにルンルン気分で乗りに行ったにも関わらず・・・・です。 さて、それでは早速前回乗りに行ったときの画像を――― と、先日までは考えておりました。 しかし、それは他のブログさんもやっていることですのでつまらない。なにか面白いことはないだろうか・・・・・ おお!そうだ!と言う事でこちら。 引退以前、田端機関区(現田端運転所)でお休み中のEF55-3です。 この3号機は、製造された3両の中で一番早く、昭和37年にED30-1に部品を流用されました。このED30、模型でしか見たことありません。実物の写真すらも見たことありません。写真をお持ちのかた、是非!! 本当は沼津機関区時代、「つばめ」や「富士」、「荷47」を牽いて東海道線を駆け抜ける画像なんかを掲載したかったのですが、そうなると戦争終了直後や戦中、下手すると戦前じゃないと撮影できないので。 撮影の記録によると、撮影は昭和29年の5月。私、実に4歳のときのものであります。 昭和29年に生きていたのか。改めて古い人間だ・・・・・ 昭和27年には高崎第二機関区に転属していますので、何かの用で東京に上がってきたものだと思います。 そしてお隣に写っている機関車に注目! ネガの関係からEF53であることが判明しました。(ほら、私は形式とか苦手だから、見た目で判断は出来ないのです。) このEF53-1、EF55と殆ど同じ道を歩んでいます。 造られてから東京〜沼津間(当時は沼津以西は非電化だった為)の「富士」「つばめ」などの牽引に当たり、太平洋戦争後は高崎方面に転属となりました。 私が持っている写真の中で、EF53が写っているのはこれ1枚だけで、これからも大切に保存したいと思います。 さて、それでは前回の写真に入ります。 水上駅は、ご存知の通りターンテーブルがあります。水上到着後はこのターンテーブルを使用して進行方向を変えました。 そのときの賑わいと言ったらそれはもう大変なもので、いい写真は撮れませんでした。 しかし――――昔はこのターンテーブルを使わなければ進行方向を変えることの出来ない車体が災いして 、廃車への道を早めてしまったというのに、60年ほど経った今ではその光景に人が群がる。中々皮肉なもんですね。 この日は本当に良い天気でした。 さて、今度は乗車証明書です。高崎支社の乗車証明書はD型の硬券と昔から相場が決まっていて、今回もそうだろうと思っていたら、やっぱりそうでした。 この乗車証明書、裏面の番号「5501」ですよね。私は最初、これは通し番号になっていて、偶々「5501」が私の許にやって来たと勘違いして、前に座っていて、すっかり仲良くなった人に大騒ぎしながら見せたら、「あ、私も。これ皆同じなんですね。」。。。。。 私は恥ずかしくて顔から血が出るかと思いました。(顔から火が出る:とても恥ずかしいの意。顔から血が出る:もう死ぬくらい恥ずかしいの意) EF55の引退は確かに嫌ですが、ここまで実に昭和11年から途中休憩を挟んだものの、ずっと走ったと考えると凄いですよね。これ以上走らすのは無理な相談って奴です。 だって私より14歳も年上なんですよ?!ううむ、最近私より年上の方とお話をしただろうか?少なくとも私の周りには同級生か、年下しかいませんね・・・・・ そう考えるとやっと引退かって感じです。 ―――――――――――――――――――――― まつしまさんのブログにて、広島機関区で休息を取るEF55-2を拝見しました。
奇跡的(?)にも、私の手持ちにも広島機関区で休息を取る、EF55-2が発見されましたので、ここに追記とします。 当初は載せない予定でしたが、色々弄ってみると、結構キレイになったので載せることにしました。 撮影が広島電化の時代ですので、実地研修などに使用されたようです。 このまま廃車まで休車扱いになっていたのかなんなのか解りませんが、比較的長い期間ここに置かれていたようです。 |
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まだまだ続けます。ブルトレ関連の記事。しかし今回は、ブルトレの画像があるわけではありません。どうせ私は大した文を書けないので画像を載せます。
下関駅での1枚。あさかぜがまだ、旧型客車で運行されていた時代のものです。あさかぜが“走るホテル”でお馴染みの20系客車に変わったのは昭和33年のこと。当時私は8歳前後と言う事で、これは兄若しくは父が撮影したものと言う事になります。しかし・・・・・ どうしてEF10が写ってないのでしょうか?撮影地は間違いなく下関なので、ここで関門用のEF10に付け替えられたと思うのですが・・・・。 あさかぜと言えばこの列車“さちかぜ” あさかぜの続行ダイヤで運転された上、名前が似ているという事から誤乗が多発したため、1年と3ヶ月で“平和”に名称が変更になった短命な列車。これでも一応由緒正しい、言うならばお嬢様列車なんです。 それに驚くなかれ、“平和”の次は、あの有名な“さくら”に名称が変更になりました。いわばさくらの御婆ちゃんなんですな。 ついでに父曰く、戦後二番目の寝台特急で、まさに戦後復興の光となった列車・・・・だそうです。その復興の光となった列車名が漢字表記で“幸風” 幸せをもたらす風だったってことですかね。国鉄にその気があったかは知りませんが、中々粋なことを♪ 今の暗い経済も、“幸風”で明るくなってもらいたいものです。 それにほら、これはちゃんとEF10が写ってる。良かった良かった。 |
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今日で正式に0系引退ですね。東海道新幹線開業44年にして、やっと引退か。という思いです。このブログでも何回か書いたのでソロソロ身を引いたほうが・・・と思いましたが、ここは敢えて踏み込むのが私の性格。しかし0系に関する思い出は書いても面白くないし何か良い材料は無いものか・・・・と探していたところありました!!面白い材料が。どれも友人が撮影したもので詳しいことは分かりかねますが、鴨宮モデル線区のものと思われます。思われるというより略確信しています。説明なしでババーンといきたいと思います。
多分4両編成のB編成かと思われます。先頭車は有名な1000形だとしても、最後尾についているのはなんなんでしょう?明らかに先頭の1000形と形が違います。試験列車などは(試験車だけではありませんが)疎くて・・・・。ちょっと調べてみたのですが、出てきませんでした。これも1000形の一部と言うことになるんでしょうか?知っている方はご教授願います。 |





