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延喜式内社:尾張國中嶋郡 眞墨田神社 (名神大) 尾張国一の宮、旧国幣中社、別表神社 神紋:竹の輪に九枚笹 祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと) 今回は愛知県一宮市の「真清田神社」(ますみだじんじゃ)を紹介します。 真清田神社は尾張国一の宮で延喜式の名神大社で旧国幣中社、また神社本庁の別表神社にもなっていて、昔は真墨田神社とも呼ばれていたそうです。 祭神は天照大神の孫、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祀っています。 ここでは天火明命と書いていますが、 正式には「天照国照彦天火明櫛玉饒芸速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」という立派な名前があります。 単に饒速日命(にぎはやひのみこと)と言われることもあって、弟の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曾孫が神武天皇になります。 天火明命と神武天皇は神武東征の時お互い敵同士で、神武天皇の敵だった「長髄彦(ながすねひこ)」が仕えていたのが天火明命でした。 最初はお互い天孫(親族)と知らず戦っていたのですが、身の上が分かると天照大神の神勅である東征を認めて兵を引いて神武天皇に仕えることにします。 ですが自分の兵力が衰えるのを恐れた長髄彦が従わずに戦おうとしたので、やむなく長髄彦を殺害。 そして東征に協力して神武天皇に仕えることになります。 駅から東に歩いて本町アーケードを北に歩いていくと真清田神社の楼門が見えてきます。 昭和36年に完成した立派な楼門です。 真清田神社の社殿は、昭和20年7月28日の一宮空襲で社殿はおろか一宮市街の8割が焼失してしまい、現在の社殿は昭和32年に再建されたものです。 創建は神武天皇33年(紀元前549年)に祭神である天火明命の御子である天香具山命(あまのかぐやまのみこと、又の名を高倉下命(たかくらじのみこと))が大和国葛城高尾張邑(恐らく現在の奈良県御所市の高鴨神社周辺)からこの場所に移って、父である天火明命を祀ったのが始まりだと言われています。。 尾張という国名は天火明命の故郷「高尾張」に由来しています。 ちなみに一宮市には尾張一の宮が2つあって、ここ真清田神社ともう一ヶ所、「大神神社」が一の宮になっています。 ちょうど参拝した日に摂社・三八稲荷神社の例祭が行われていて、ちょっと混んでました。 あと、事前情報なしで車で行ったので駐車場を探すのに困りました。 神社の西側に駐車場があったようなのですが、一周して神社の北側に路駐しました。例祭だったせいか結構路駐が多かったです。 朱印のほうは、朱印の線がかすれたような感じでちょっと見難いですね。 右上の朱印には「尾張一ノ宮」。真ん中の朱印は「眞清田神社」です。
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寺社仏閣・愛知県(12)




先日、同じ一宮市の大神神社に行った帰りにちょっと寄りました。七五三の参拝客でいっぱいでした。ご朱印は私がアップしたときに、kazukiさんがコメントしてくれたように多少ましですネ。でも、及第点には遠く及ばずって感じ^^。文字はわたしのより、かっこよく見えます。
2006/11/11(土) 午後 11:10
一宮市は繊維の町で有名ですが、立派な神社があったんですね。
2006/11/12(日) 午前 1:33
「天照国照彦天火明櫛玉饒芸速日命」・・・これの発音はすごいです。どういうルールで決めるでしょう。今回もまた勉強になりました。日本語能力試験に、もし、「この文字はどのように読みますか?」って出ましたら、正しく答えるのは私だけですよ(笑)
2006/11/12(日) 午後 6:28
トオルさん。一宮ですから七五三の時は混むでしょうね。書く神職さんによって違うと思いますので、行かれたときは是非。
2006/11/12(日) 午後 9:08
NORIさん。そう、楼門の前は織物街になってるようですね。やはり一宮と名前が付くくらいなので大きい神社ですよ。聞いた話では「一宮」と名前が付く自治体で市制が敷かれているのは愛知・一宮のみだそうですね。(宇都宮も語源は一宮ですが…)
2006/11/12(日) 午後 9:13
KKさん。これは漢字の読みが得意な人でも読めませんよ。読めて最初の5文字までですね。これが日本語能力検定に出たら怒ってもいいと思います(笑
2006/11/12(日) 午後 9:32
自分も熱田神宮に参拝した時には、一の宮ですので参拝する神社です。確かこの前は2000円の銅板奉納をしました。
久しぶりにまたこのサイトにも参上してしまいました。
[ 御垣内 ]
2008/1/24(木) 午前 0:03
御垣内さん、銅板奉納ですか。よく見ますが実際奉納したことは無いですね…。熱田から一宮までだと距離ありますからちょっと大変ですね。またお越しください。
2008/1/24(木) 午後 1:39