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旧内務省指定護國神社、別表神社 祭神:愛知県に関係する殉国の英霊93,101柱(昭和53年正月現在) 愛知縣護國神社は名古屋城の南、官庁街の真ん中に鎮座しています。 明治元年(1869年)12月に尾張藩主 徳川慶勝が現在の東区布池町にあった練武場で戊辰戦争の戦没者25名の招魂祭を行い、 翌明治2年(1969年)5月に現在の昭和区川名山に「旌忠社(せいちゅうしゃ)」という名前の祠を建てて祀ったのが始まりです。 その後、明治8年に「招魂社」となり、明治34年には「官祭招魂社」、大正7年に当時陸軍練兵場があった北区名城公園に遷座。昭和10年に現社地に遷座され、昭和14年には「愛知縣護國神社」と改称。戦時中、昭和20年3月19日の空襲で社殿を焼失、戦後の一時期「愛知神社」と改称されましたが、昭和30年に再び現社名に復称しました。 昭和33年11月には社殿が復興、同57年10月に社務所、平成10年3月には神門・舞殿・廻廊が竣工し、完全に復興しました。 現在明治維新以来の諸事変・戦役における愛知県に関係する殉国の英霊93,101柱(昭和53年正月現在)が祀られています。 社殿東側の林の中にはいろいろな石碑が立っていますが、中でも戦艦大和記念碑は軍艦や先の大戦に興味のある人は必見かもしれません。 というのも、石碑の上に大和の主砲、46センチ徹甲弾の実物が乗っています。 これは全国に3発(呉海兵団、靖国神社、当社)しかない大和の砲弾のうちの一発です。 やはり旧字体の「縣」や「國」を使っていただけるのはありがたいですね。 神門の写真はちょうど撮影時に結婚式が行われていて、まともに正面から撮る事ができなかったため影からこそっと撮りました。 通常参拝の場合、神門の前に賽銭箱がおいてあり、神門から中には入ることができません。 参道の両脇は桜並木になっています。護国神社の桜は哀愁を誘いますね・・・。
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寺社仏閣・愛知県(12)




確かに、「縣」と「國」は旧字体ですね。旧字体を見慣れたので、言われないと気が付かないですよ。今回のご朱印、個性的な字ではないですが、落ち着く感じでいいと思います。
2006/12/25(月) 午後 1:39
旧字体って何か個人的に大好きなので会社以外では微妙に使ってますが、知らない人が見ると「何、この字」って言われることもしばしばです。
2006/12/26(火) 午後 9:36
近くの名古屋地裁にボランティアに行きますので、これまで3回参拝しました。
2006/12/26(火) 午後 11:58
地裁にボランティアですか。護國神社は裁判所の近くですもんね。
2006/12/28(木) 午後 10:45
この神社の前は相当通っているけど、まだ参拝してないんですよねー。来年そうそうにでも参拝に行こうかな。
2006/12/29(金) 午後 1:22
意外と街中の神社って参拝しづらいんですよね。来年には是非。
2006/12/30(土) 午前 0:36