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旧官幣大社、別表神社 神紋:十六八重菊 祭神:後鳥羽天皇(ごとばてんのう - 第82代)、土御門天皇(つちみかどてんのう - 第83代)、順徳天皇(じゅんとくてんのう - 第84代) 水無瀬神宮は京都府と大阪府との県境の大阪府島本町に鎮座しています。 近くには淀川が流れていて、京都と大阪の中間に位置しているため交通の要所でもありました。 現在、水無瀬神宮が鎮座している場所は後鳥羽上皇が造営した「水無瀬離宮」のあった場所で、たびたび京から船で行幸され、歌の会や狩り、刀の鍛造などを行われました。 鎌倉時代初期、壇ノ浦で亡くなった安徳天皇の次の天皇として擁立されたのが後鳥羽天皇です。 時代はちょうど鎌倉幕府 3代将軍 源実朝が暗殺され北条家が執権政治を行い幅を利かせていた頃で、後鳥羽天皇は承久3年(1221)「承久の乱」を起こし倒幕の兵を挙げますが破れ、後鳥羽上皇は隠岐に配流され18年後の延応元年2月22日(1239年3月28日)に崩御されます。 後鳥羽上皇の第一皇子の土御門上皇は佐渡、第三皇子の順徳上皇は土佐、その後に阿波に流されその地で崩御します。 後鳥羽上皇は崩御される14日前に、当時水無瀬離宮を管理していた水無瀬信成、親成に「御手印御置文(国宝)」といわれる朱肉の御手印が押された遺言状を送り「後生の菩提を弔って欲しい」といわれ、以来およそ600年間「水無瀬御影堂」として仏式で後鳥羽上皇を祀り慰霊を行ってきましたが、明治6年に「水無瀬宮」という神社になり官幣中社に列格されて、土御門天皇と順徳天皇が合祀されました。 昭和14年には後鳥羽天皇700年になるため、神宮号を賜り「水無瀬神宮」と改称され、社格も官幣大社に昇格しました。 現在、大阪府で唯一の神宮です。 境内左手には「客殿」と呼ばれる建物がありますが、これは福島正則公が造営し、太閤秀吉が献納された桃山時代末期の建築物です。 また、境内に入る神門の右側の柱には石川五右衛門の手形が写真では見にくいですがうっすら残っています。 手水舎の横にはこれも大阪府で唯一の名水百選に指定された「離宮の水」があります。 参拝した時もポリタンク持ったひとが数人並んで汲んでいました。 近くに豊臣秀吉と明智光秀が戦った「山崎の戦い」の天王山がありますが、離宮の水はそこから流れる水無瀬川の伏流水です。 その天王山麓にはサントリーのウィスキー工場の山崎蒸留所があります。銘柄で「山崎」と名前が付いたものもありますが、当然名水を使っているのだから味も申し分ないのでしょう。(酒が飲めないのでコメントのしようがありませんが…) そして御朱印 |
寺社仏閣・大阪府(8)





写真を見る限り神宮というわりにコンパクトにまとまっている感じがしますネ。石川五右衛門も神の前ではなすすべがなかったようですね。ご朱印はまさに神宮共通だ〜^^。
2007/6/19(火) 午後 5:50
トオルさん、こんばんは。その通りなんですよ。神宮の割には小さな神社です。住宅街の中にあるので駐車場も狭いですし道も狭いです。御朱印はまさに神宮のパターンですね。ちょっとぶれちゃってますが…。
2007/6/19(火) 午後 10:52
石川五右衛門はやはり、神のものまで手を出すひとではないでしょう。
木造の門に手形をちゃんと残るのがすごいですね(石川五右衛門は右利き?)
ところで、手の大きさは、どれぐらいでしょうね。
2007/6/23(土) 午後 10:59
KKさん、実際に石川五右衛門の手形かどうかは分かりませんが、簡単に残るものでは無いと思います。大きさは少し大きめだったような…。あまり覚えてないです。
2007/6/24(日) 午後 11:28
あちこち行かれているのですね。そのパワー、凄いですね。
2012/7/24(火) 午後 2:31
みなせさん、はじめまして。出張で名古屋に行ってたりしてたのもありまして関西方面はその時にある程度めぐりましたね。
2012/7/26(木) 午前 4:06