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旧村社、南朝皇居、役行者霊蹟札所、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』構成資産 神紋:十六八重菊、剣片喰(こちらは未確認) 祭神:[主祭神]後醍醐天皇 :[配祀]楠木正成、吉水宗信法印 例祭日:9月27日 最寄りの交通機関:近鉄吉野線「吉野駅」下車、吉野ロープウェイ終点より徒歩15分 吉水神社は奈良県吉野町の金峯山寺のある吉野山に鎮座する神社で、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の「霊場「吉野・大峯」」の構成資産になっています。 「参道入口」 「社号標」 元々は役行者によって白鳳年間(650〜654年)に創建されたと伝わり、金峯山寺寺僧派の僧坊であった「吉水院」(よしみずいん)が現在の吉水神社の元となっています。 文治元年(1185年)に後白河法皇から義経追討の院宣が出た後、源義経一行が吉野へ逃れた際にしばらく立ち寄られたと言われていて(「吾妻鏡」によれば5日間逗留したらしい。)、「義経潜居の間」として今も残っています。 他にも静御前が着たと伝えられる着物や弁慶が使っていたという七つ道具などいろいろ展示されており、境内には「義経馬蹄跡」とか「弁慶の力釘」というのもあります。 「神社入口の門」 「書院(左)と拝殿(右)」 「拝殿」 元弘3年(1333年)閏2月1日、大塔宮護良親王が籠もる吉野城に二階堂貞藤の大軍が攻め寄せ、金峯山寺の僧坊と共に焼失。 延元元年(1336年)12月28日、足利尊氏に京を追われた後醍醐天皇が吉野山に御潜幸の際に、院主の宗信穴生が天皇を自坊に迎え、南朝の皇居(行宮・仮の皇居)として使われ、書院に約10ヶ月滞在。この吉水院がこの後56年間にわたる南朝(吉野朝廷)の始まりとなった場所です。
その後、延元4年(1339年)に後醍醐天皇が崩御され、後を継いだ皇子の第97代・後村上天皇は自ら彫り上げた後醍醐天皇の御宸像(木像)を吉水院に安置し、明治にいたるまで祭祀が行われていました。(明治23年に吉野神宮の御神体として遷座) 今も後醍醐天皇の玉座の間のほか、後醍醐天皇に関係した古文書や文房具・楽器・武具などが多数展示されています。 戦国時代末期の文禄3年(1594年)には太閤・豊臣秀吉が徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・伊達政宗などの武将や茶人・連歌師など5000人を引き連れ、ここ吉野に花見に訪れた際に、秀吉は吉水院を本陣とした盛大な花見を催します。 その後、明治元年の大政奉還により再び統治権が天皇に戻り、後醍醐天皇が行おうとしていた理想が成就されたとして、明治7年(1874年)に「後醍醐天皇社」として創建が許可され、それまで仏式で後醍醐天皇を供養していた吉水院が明治8年(1875年)3月5日に廃寺となり、後醍醐天皇を祀る「吉水神社」と改称され、村社に列格されました。 後村上天皇により吉水神社に安置されていた後醍醐天皇の木像は、新たに後醍醐天皇を祀る神社として創建された吉野宮(吉野神宮)に遷されました。 「義経潜居の間」 「後醍醐天皇玉座の間」 吉水神社・本殿は寺院当時の護摩堂で、隣接した書院の中に後醍醐天皇の玉座の間や義経潜居の間、伝源義経所用の「色々威腹巻」や「消息紙本墨書」と呼ばれる女房奉書形式で天皇身辺の消息を記したものなどがあり、いずれも重要文化財に指定されている他、義経家臣所用の鎧兜、南朝君臣の遺品など沢山の文化財が所蔵展示されています。 「消息紙本墨書(伝後醍醐天皇宸翰)」 「佐藤忠信所用の兜」 さて… 吉水神社には2005年と2013年に参拝しているわけですが、1回目は大河ドラマ『義経』の放送、かつ花見シーズンということで境内はかなり混み合っていました。 2013年の2回目の参拝で大きく変わっている部分がありました。 それは吉野が『咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A』の舞台となっており、吉水神社は新子憧の実家という事になっていて、宮司さんも公認どころかブログで「娘」と言う程の歓迎ぶり。(以前「喰霊零」がオススメと言っていたので宮司さんはアニメも結構見るようである。) 境内には前に無かった阿知賀専用の絵馬掛け所(下の写真の右側)も設けられていました。 実は絵馬掛け所の裏側の岩に「義経の馬蹄跡」という義経由来の跡があるのだが、その前に絵馬掛け所を設けたというのが宮司さんの本気度が現れているように感じる…。 ちなみに他にも「弁慶の力釘」という釘が2本刺さっている岩などもあったりする。 「弁慶の力釘」 御朱印は2回目の参拝で吉水神社の御朱印帳に佐藤一彦宮司の御朱印をいただくことができたので画像を追加しました。前回のと墨書と朱印が違うのが分かるでしょうか… 2005年に参拝時は宮司さんはまだ黒髪だったのが、今回の参拝時は白髪で髭を生やしていた事もあって、実は境内で一度すれ違った時に分からずw 今のほうが貫禄が増してカッコいいです。 元々宮司さんとは同じヤフーブログということでブログにお邪魔して少しコメントをしたこともあったり、個人的に知っていました。 その他に、前回花見のシーズンに吉野を観光した時に兼務社である焼失した勝手神社の再建協賛の寄付をさせていただきたかったというのと、『咲 -Saki- 阿知賀編』の関係でも再訪したかったので2013年10月に参拝しました。 その際、宮司さんより著書の「わが祖国日本への戀文」を戴き、吉野から家に帰るまで旅行中寝る前とかに読みながら帰りました。感想を書かなきゃと思いつつ1年が…。
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「吉野の宮司」さんの神社ですネ。1枚目の写真を見て、神社らしくないな〜っと思ったらそういう歴史があったのですねー。
ご朱印は◎!菊の御紋がイイ!!しかし月日まで書いてあって日付を忘れるなんて・・・(・・?)ナゼ?不可解だ〜^^。
2007/9/14(金) 午後 10:58
詳しい吉水神社の歴史の勉強になりました。ポチ!
2007/9/14(金) 午後 11:02
吉水神社が南朝の皇居とは知りませんでした
2007/9/15(土) 午前 0:10
トオルさん、こんにちは。
そうです。「吉野の宮司」さんの神社です。生の宮司さんも見ましたよ。
御朱印書いてた人は宮司さんじゃなかったけど、同時に勝手神社の御朱印も頂いたんですがそっちには日付が入っているので不可解ですね。
2007/9/15(土) 午前 8:02
熱田北条さん、こんにちは。ポチありがとうございます。
文章が苦手なので、うまく纏められてると良いのですが。
2007/9/15(土) 午後 4:34
ヒロ爺さん、こんにちは。吉水神社が南朝の最初の皇居のようです。他にも何箇所かあるみたいですね。
2007/9/15(土) 午後 5:43
おぉお〜〜!吉水神社さんだぁ!!o(`・∀・´)o
実は私もここは行っているんです。でもまだ神社ファンとほどじゃなくって歴史探訪旅行みたいな感じだった・・・ずいぶんと昔の話ですけど。だから、またここには参拝にぜひ行かないとなぁーって思っています。宮司様にもお会いしたいし・・・
2007/9/16(日) 午後 8:15
Keiさん、こんばんは。
歴史探訪の時と神社ファンの今では大分違って見えるかも。
次回は花見ではない時期を狙えば宮司さんとゆっくり話せるかもしれませんね。
2007/9/17(月) 午後 10:23