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延喜式内社:河内國河内郡 石切劔箭命神社 2座 (小) 旧村社 神紋:下り藤に石切 祭神:饒速日尊(にぎはやひのみこと)、可美真手命(うましまでのみこと) 例祭日:10月21日 最寄の交通機関:近鉄奈良線「額田駅」徒歩、近鉄奈良線「石切駅」徒歩、近鉄けいはんな線「新石切駅」徒歩 前回の枚岡神社を参拝した後、車を枚岡神社にそのまま置いて電車に乗って石切劒箭神社に行くことにしました。 でも、地図を車に置いたままにしてたのではっきりとした場所が分かりません。来た事ない場所だけど枚岡神社からの方向と距離感覚を頼りに、電車に乗って、多分この「額田駅」が近いだろうと予想して降りて、大体の方向にてくてく歩いていたら、ありました。一の鳥居が。 石切劒箭神社は東大阪市に鎮座していて、「石切神社」や「石切さん」と呼ばれることもあります。 拝殿から入り口にある百度石を往復して文字通り100回参拝する「百度参り」が有名で、デンボ(腫物)の神様として信仰されています。 創建は室町時代に兵火により社殿と宝庫が焼失したためきちんとした記録が残っていませんが、代々宮司を務める木積氏の祖先の藤原行春大人の『遺書伝来記』には神武天皇2年(西暦前659年)に宮山に「上之社」が建てられ、崇神天皇の時代に「下之社」に可美真手命が祀られたと書かれています。 延喜式神名帳には小社、朝廷からも崇敬を受けていて、貞観7年(865年)に正六位から従五位に昇格したという記録があります。 元々、上之社が本社でしたが、明治5年(1872年)6月に上之社を合祀して、下之社が本社となります。同年12月に上之社を分離して村社に列格されます。 明治40年(1907年)11月に再び上之社は本社に合祀され、一時廃祀しましたが、昭和47年(1972年)3月に跡地に上之社を再建したそうです。 代々宮司を務める木積氏の「木積」は元々「穂積」で、饒速日尊の7代目・伊香色雄命(いかしこおのみこと)が穂積姓を名乗ったのが始まりで、物部氏の氏族として大和地方に広がって行き、石切の地で祖先の饒速日尊と御子の可美真手命を代々祀ってきたそうです。 参拝日は4月10日。特に祭りがあるわけでもないんですが、参道には出店がたくさんあるし、人もかなり多かったです。 百度参りが有名ということでみんなぐるぐる拝殿と百度石の間を回っています。 写真では左手に何か持っているように見えますが、多分100本分の「こより」を持っているんでしょうね。一度参拝するごとに拝殿に一本ずつ置いていくんでしょう。 なんというかここは独特な雰囲気を持った神社です。 パンフレットを見たら分社が東京に1社、北海道に2社、山形に1社、大阪にもう1社あって、その他に観音様を祀っている所や、霊園も経営してたりするので、神社のようで神社でない(ベンベン)感じがしました。 まぁ、れっきとした神社なんですけどね。 他の神社と比べて珍しい御朱印のレイアウトです。 「敬神崇祖」 (H21/12/21追記) あと、先日TOPCATから発売された「アトリの空と真鍮の月」の砌(みぎり)というキャラクターが、TOPCATのサイト内で
「砌の名前もそのまま石切様ですね、神様の名前となっています。」 と語られていることから関連性があると思われます。 |
寺社仏閣・大阪府(8)





この一の鳥居の形はなんなんでしょう?初めて見ました。どの部類の鳥居にも属さないような感じですが・・・。村社にしてはとても立派ですねー。普段でこれだけの参拝者がいるなんて信じられませ〜ん。ご朱印もホント神社らしくないです、かといってお寺のご朱印に近いって訳でもないですよねー。
2008/1/14(月) 午後 5:19
トオルさん、なんか特殊な鳥居ですよね。でも、鉄骨製だとカウントに加えていいものかと考えてしまいます。
人はやたら多かったです。休日とはいえ祭りではないのに車が停めれないくらいですから、やっぱり特殊なんでしょうね。
2008/1/14(月) 午後 9:27
饒速日尊の神社ですか、此処も行かねばならぬな。屋根の上にある劒箭は避雷針になってるんでしょうかね。
2008/1/14(月) 午後 11:44
こんばんは!ご無沙汰してます。ヾ(;´▽`Aアセアセ
石切神社さんは多分、古代史を解く重要な鍵になる神社かも知れませんね。古墳時代からの「倭」の称号が「日本」に変ったキッカケはここが関係ある・・・って説があったと思う。
2008/1/15(火) 午前 0:11
ヒロ爺さん、是非参拝されてみてください。神社もそうですが、石切駅から神社までは参道沿いに色々お店が出ているようですから、色々楽しめるかもしれません。
避雷針なら一石二鳥ですよね。
2008/1/15(火) 午前 0:40
Keiさん、お久しぶりでした〜。ブログのほうではまだ本調子じゃないということでしたが、もう声が聞けてなにより。一同安心しております。
その説、興味ありますね。
創建は神武天皇の時代で、神社の資料は焼失してしまったそうですから、きっとその中に重要な鍵が残されていたのかもしれませんね!
2008/1/15(火) 午前 0:49
『石切劒箭神社』は特に行事や祭りがなくても
こんな参拝者の賑わいがありますね。
人が沢山御参りしているので、
人の写らない「社殿」だけの写真が撮れません。
大阪では人気の神社なのでしょう。
“敬神 崇祖”は神道で大切にされる考えですよね。
2008/1/17(木) 午前 0:37
慈眼さん、やっぱりいつも混んでるんですか…。
やっぱり神社めぐりしてると人の写らない社殿が撮りたいですよね。
敬神崇祖はよく聞きます。うちのご先祖様は自分から5代前までしか遡れません…。
2008/1/17(木) 午後 10:28
朝早くこの地に行くと、神々しい気持ちに浸ることができました。
この近くに住んでいることは、幸せの一つであります。
[ akisan700 ]
2009/3/23(月) 午後 11:01
>akisan700
はじめまして。
返信が大変遅れてしまい申し訳ありませんでした。
石切さんの氏子さんの特権ですね。
気持ちのいい一日を迎えることができそうですね
2010/8/8(日) 午後 6:11