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アイエエエエ! ジンジャ!? ジンジャナンデ!?
旧・クモノカケラのブログです。道南から神社・お寺の御朱印情報などを二次元も絡めて発信します。

書庫戊辰戦争

峠下の戦い

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峠下の戦い (とうげしたのたたかい)







 人見・本多率いる幕府軍の先遣隊30名は、明治元年(旧暦)10月21日(12月4日)に鷲ノ木を出発。その日は宿野部の雪中で野営をし、本道を一路箱館へ向い進軍しました。

 今でこそきちんと道路が整備され、大沼からトンネルを抜け、ゆるやかな坂を下ってきて峠下へ出てくることができますが、当時の道は峠下村の裏山の峠越えをするルートで道は険しく、くねくねと曲がりくねった道だったようです。(箱館戦記麦叢録には「険岨ナル峠」と記されていて、現在は古峠と呼ばれる。)

 峠から下りてくると峠下村の集落があり、当時は宿舎や駅逓が立ち並んでいました。

 鷲ノ木を出発してからの雪中行軍による寒さと疲労でかなり体力を消耗していた先遣隊は22日(5日)の夜に峠下村(現在の七飯町峠下)に到着し、すぐに集落の北の外れにある宿舎の二階に泊まります。



 10月23日(12月6日)午前0時頃、突然集落の中に大砲の音が響き渡ります。

 「箱館戦争勃発。」

 砲声は新政府軍による大砲のもので、その砲声により峠下で散開し待ち伏せしていた新政府軍が攻撃する手はずになっていたらしい。(双方の記録ではお互いに相手が先と書いているが、新政府軍側の記録には「申し合わせの通り、合図の大砲を打ち出す」という記録がある。実際、使者として送られた先遣隊のほうから手を出したとは考えられない。)

 箱館府での軍議では、峠下の北側の山には津軽藩2小隊・箱館府半小隊。正面から松前藩1小隊・箱館府1小隊半。市ノ渡方面から津軽藩2小隊が攻撃することになっていた。


 峠下で待ち構えていた新政府軍の突然の襲撃に先遣隊は混乱しますが、後続の伝習歩兵隊長・大川正次郎と伝習士官隊長・滝川充太郎率いる隊が砲撃の音を聞き駆けつけ、暗闇の中、小高い丘に登って陣を構え一気に反撃に転じます。

 新政府軍は不意の反撃に多数の死傷者を出し、たまらず潰走。それを藤城まで追撃しますが、一度峠下へ戻り戦死者の埋葬や負傷者の手当てをします。




 榎本が先遣隊に託した「蝦夷地の事は、徳川家より兼ねて朝廷へ願い出ていたことなので、しばらく同家への元で預け置いて頂きたい。もしそれが許されないならば、新政府軍への抗敵止む無し」という嘆願書は、結局函館府総督の清水谷公考の元には届けられることはなく、開戦の火蓋が切って落とされた。


 峠下の戦いから明けて23日の夕方、本道を進軍していた大鳥隊が峠下に到着。

 斥候の報告によれば新政府軍は七重(七飯)と大野に布陣し幕府軍を迎撃するつもりでいるらしい。

 そこで、軍を二つに分け、大野方面へ大鳥が率いる伝習隊。七重方面へは人見と佐久間悌二の率いる遊撃隊と新撰組を向かわせることになった。

 大鳥さんと一緒に大野方面へ行ってみる。
 [ やっぱり新撰組ということで七重方面へ。]







 現在の峠下は、とても当時戦争が起こった場所だとは想像できないほど静かな場所です。

 国道5号線を札幌方面に向かうと左手に「昆布館」があり、そこの信号を右に曲がります。まっすぐ行くと左手に発電所がありますが、右手に舗装されていない道路と説明板があります。


https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/4b/b1/kazuki133/folder/1571478/img_1571478_39664156_1?1200666269
「直進すると先遣隊や本隊が越えた古峠と台場が、右に曲がると新政府軍兵士の墓がある。(夏に撮影)」

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/4b/b1/kazuki133/folder/1571478/img_1571478_39664156_2?1200666269
「直進すると同じく古峠。左側が発電所」


 その右側の道を走ると、新政府軍の戦死者を埋葬した墓と小さな箱館戦争勃発地の碑、その裏手には明治期にあった一行院という寺の跡と、旧幕府軍として戦い、戦後は峠下にあった塾を継いで子供たちに勉強を教えた平山金十郎の墓があります。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/4b/b1/kazuki133/folder/1571478/img_1571478_39664156_0?1200666269

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/4b/b1/kazuki133/folder/1571478/img_1571478_39664156_3?1200666269

 墓は全部で5基あり、箱館府・松前藩・津軽藩・備後福山藩などの藩士が葬られています。



 古峠方面に行くと途中から車が進めないように車止めがあり、そこから先に進むと「七稜郭」とも呼べるような台場跡があり、南側には七飯・藤城方面への旧道があり、この旧道沿いが戦場になったと考えられます。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/4b/b1/kazuki133/folder/1571478/img_1571478_39664156_4?1200666269
「左側が古峠方面。右側が藤城方面への旧道(夏に撮影)」

 上の写真で、右側の突き当りに庚申塚があります。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/4b/b1/kazuki133/folder/1571478/img_1571478_39664156_5?1200666269
「峠下庚申塚」

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/4b/b1/kazuki133/folder/1571478/img_1571478_39664156_6?1200666269
「庚申塚のところから峠下を撮った写真」

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    あ〜〜〜〜っ!

    行きました行きましたよ〜〜〜っ!

    懐かしい〜〜。
    自分のところにも乗せていますが(箱館戦争史跡探訪=平定=にて)
    こういう感じにも写せるんだな〜〜と思ってしまいます。


    あ〜〜〜〜行きたくなってきたぁぁぁ〜〜!!!

    ごりょう

    2008/1/19(土) 午前 11:29

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    ごりょうさん、逆にごりょうさんのブログ見て、あ〜っ!ここにも来てたんだ〜!って思ってました。

    本当は峠のほうにある台場も見たいところなんですが、熊が出るそうなんで行きませんでした。うちの保存会の会長さんにも危ないから止めたほうがいいよと言われていたので、行くとしたら熊の対応できる人と行ったほうがいいですね。

    高倉伽月

    2008/1/19(土) 午前 11:52

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    函館はず〜と以前に仕事で滞在したことがありますが、歴史についての知識が無く、函館戦争も詳しく知りませんでした。ありがとうございます。

    NORI

    2008/1/20(日) 午後 11:05

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    NORIさん、箱館戦争に関しては地元住民でも興味が無い限りは五稜郭くらいの認識しかありません。
    最近、詳しく調べてみたくなって記事として載せています。そのほうが知識として身につくんですよね。

    高倉伽月

    2008/1/21(月) 午前 2:05

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    かって、豊前でも戦がありましたが、そういうこを知っていることすら、今は、少数です。寂しいことですね。

    kir*ra3*43

    2008/1/24(木) 午後 4:59

高倉伽月
高倉伽月
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