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延喜式内社:美濃國不破郡 仲山金山彦神社 (名神大) 旧國幣大社、美濃國一宮、別表神社 神紋:十六八重菊、三つ巴 祭神:金山彦命(かなやまひこのみこと)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、見野命(みののみこと) 例祭日:5月5日 最寄の交通機関:JR東海道本線「垂井駅」 南宮大社は岐阜県南西部、関ヶ原の近く、不破郡垂井町に鎮座していて、美濃国一宮です。 祭神は金山彦命。伊弉冉命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を産んだ際に陰部を火で焼かれ、病の床で苦しみの余り吐いた「へど」から生まれたのが金山彦命と金山姫命で、「へど」が溶けた鉄に似ていることから鉄を司る神、鉱山の神、金物の神とされていて、南宮大社は金属加工業や製鉄業関係からの崇敬が篤い神社です。 「楼門」 創建は神武天皇元年(西暦前660年)に祀られたのが始まり。もしくは天武天皇の白鳳年間(673〜685年)とも言われます。 古くは「仲山金山彦神社」とも呼ばれていましたが、崇神天皇5年に美濃国府から現在地に移されからは美濃国府の南側にある事から「南宮神社」とも呼ばれるようになります。 神階は承和13年(846年)に正五位下に列格されてから、貞観元年(856年)に正三位、貞観6年(861年)に従二位、貞観15年(870年)正二位。 延喜式神名帳には「仲山金山彦神社」として名神大社に列格され、美濃国一宮として篤い崇敬を受けていました。 朱雀天皇の天慶3年(940年)には朝敵退治の勅祷があり勲一等に。また、後冷泉天皇の康平年間(1058〜1064年)には安倍貞任・宗任の征伐祈願があり、その霊験から神階を正一位に列格されました。 蒙古襲来のあった弘安4年(1281年)にも調伏の勅祷が行われました。 「拝殿」 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは社殿や宝物・文書を焼失しましたが、その後、徳川家光が美濃国奉行・岡田善政に命じて、寛永17年(1640年)に再建が開始され、寛永19年(1642年)に完成しました。 現在の社殿はこの時のもので、本殿や拝殿・楼門などが重要文化財に指定されてます。 明治4年(1871年)5月14日に「南宮神社」として国幣中社に列格され、大正14年(1925年)10月31日には国幣大社へ昇格しました。 戦後、現在の「南宮大社」と改称し、神社本庁の別表神社に指定されています。 祭神が金属の神様ということで、毎年11月8日には、刀匠による鍛錬を奉納する「鍛錬式」が行われます。 |
寺社仏閣・岐阜県(2)



きれいに撮影されましたね!TBポチ!
2008/2/3(日) 午前 0:03
ここは、名古屋ー彦根ー多賀大社に行く途中にある神社でJR垂水で途中下車し歩いて南宮大社まで行きました。コミュニティバスも廃止され、鉄道参拝組には、参拝しずらくなったお社です。面白いのは、
社務所のお昼は12:00−13:00までお休みだということです。さすがに帰りはJRの駅までタクシーにしました。(*^_^*)
[ 御垣内 ]
2008/2/3(日) 午前 2:41
熱田北条さん、TBポチありがとうございます。
ご縁のある神社ですよね。金属業界が発展していきますように。
2008/2/3(日) 午後 0:00
御垣内さん、大体歩いて20分くらいですか?距離ありますからね。
実はこの次紹介するのがお多賀さんなんです。
きっちり休むというのも珍しいですね。
2008/2/3(日) 午後 0:04
地元の方に途中で道を尋ねながらで40分かかりました。知っている方なら30分ぐらいでしょうか? 休憩がきっちりしてましたので、お札を買うのに少し待ちましたが、地元の方は車で来てますので休憩時間がおわる15分前ごろから集合という感じでした。
[ 御垣内 ]
2008/2/3(日) 午後 4:37
お多賀さんは、南宮大社のあとJRに乗り近江鉄道に乗換ました。当時は屋根か何かの修復中でした。お土産におしゃもじを買ってそれを今でも使っています。18年の秋でした。
[ 御垣内 ]
2008/2/3(日) 午後 4:45
大きな神社ですね。階段の先に車とは、境内の奥まで車が行けるんですね。
2008/2/3(日) 午後 9:16
御垣内さん、結構かかったんですね。
お多賀さんは、私が参拝したときも神門と本殿の修復中でした。
しゃもじ有名ですよね。
2008/2/3(日) 午後 9:27
ヒロ爺さん、写真の右側も駐車場になっていて結構停めれるようになっていますが、写真に写りこむのでアングルに苦労しました。
2008/2/3(日) 午後 9:27
私が参拝したときは、通り雨に会い、しばらく車で雨が行過ぎるのを待ちました。四方が囲まれている感じですよね。
ご朱印は私のほうが上手だネ^^。TBしま〜す。
2008/2/3(日) 午後 9:29
トオルさん、TBありがとうございます。
そうです。神門をくぐるとぐるっと囲まれた庭のようになっていて奥に拝殿がある感じですね。
2008/2/3(日) 午後 9:42
ここは凄い立派ですね!ぜひ、参拝したいです!この規模で国幣中社というのだから、官国幣社の基準って難しいなぁ。やっぱり歴史と由緒とご祭神なんだろうけど・・・
やっぱり場所が場所だけに、関が原の合戦などでは燃えてしまうんですね・・・合戦の時って、神職さんは急いで貴重な史料を持ち出したりしないのかなぁ?
2008/2/15(金) 午前 1:08
Keiさん、結構官国幣社や別表神社の基準って難しいです。ここはもっと高くても良いんじゃないかなという神社や、このくらいの規模の別表神社だったらもっと大きな神社もあるのに…。と言う所もしばしば見かけます。
貴重な資料は戦乱で焼失したりしてますから、非常時には持ち出して欲しいと思いますよね。
2008/2/15(金) 午後 5:12