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延喜式内社:近江國犬上郡 多何神社 二座 (小) 旧國幣大社、別表神社、多賀神社総本宮、近江國三宮 神紋:左三つ巴、虫くい折れ柏 祭神:伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ) 例祭日:4月22日 最寄の交通機関:近江鉄道「多賀大社前駅」 多賀大社は滋賀県東部の多賀町にある神社で、「お多賀さん」として親しまれている有名な神社です。 他にもシャモジをお守りとして授けることでも有名です。 祭神は国生みの二柱、伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祀っています。 創始ははっきりしていませんが、和銅5年(712年)に撰上された『古事記』には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」とあり、ここで初めて多賀が登場します。 (古事記の写本によっては「淡路の多賀」と「淡海の多賀」の2通りの記載があり、「淡路の多賀」には伊弉諾神宮が、「淡海の多賀」に多賀大社が鎮座する。また、淡路島と琵琶湖は形が似ており、大阪の吹田市あたりを基点に点対称で考えると2つの「多賀」がほぼ同じ場所になる。) 多賀大社は古来から延命に霊験があると言われています。 皇室や武門の崇敬も篤く、元正天皇の病気平癒の祈願が行われてから明治に至るまで皇室の勅願所でした。 延喜式神名帳では小社に列格され、元寇の際には亀山天皇が賊徒平定の祈願をされました。 明応3年(1494年)には神宮寺として不動院が建立され、神宮寺の坊人の活動により全国に命の神として信仰が広がり、「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」、「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」といった歌が生まれました。 治承4年(1180年)の平重衡の焼き討ちにあった東大寺再建のための勧進職(布教や寄付を集める職)に就いていた当時60を過ぎていた俊乗坊 重源が、復興が成就するために多賀大社に17日間参籠して延命を願ったところ、1枚の柏の葉が舞い落ち、見ると「莚」という字の虫が食った跡がありました。 草冠は十を二つ並べて書くことから「二十」と読むことができます。重源上人は20年の寿命を授かったと喜び、20年後、重源は東大寺再建事業を成し遂げ、建永元年(1206年)6月5日、当社へのお礼参りの時に、境内の「寿命石」と呼ばれる石に座り込むと、そのまま眠るように亡くなったといわれます。83歳、61歳から亡くなるまでの22年間を東大寺の復興に捧げた人生でした。 戦国時代には豊臣秀吉の崇敬が篤く、生母・大政所の病気平癒祈願が行われ、「尚以命之儀、三ヶ年、不成者二年、実実不成者、三十日にても延命候様に被頼思召候」(3年もしくは2年、そうでなければ30日でも長生きできるように)という祈願文が残っています。 その後、秀吉は願いが叶ったお礼ということで1万石を寄進し社殿を造営しました。入り口にある太鼓橋は通称「太閤橋」とも呼ばれます。 江戸時代には色々不運が重なり、元和元年(1615年)に社殿が焼失。寛永10年(1633年)に造営工事が始まり、寛永15年(1638年)に完了しますが、安永2年(1773年)にまた社殿が焼失。天明2年(1782年)にも火災に遭い、寛永3年には暴風により再建した社殿が倒壊するという不運な神社です。 明治10年(1877年)に県社兼郷社、明治18年(1885年)に官幣中社となり、大正3年(1914年)に官幣大社に昇格しました。 戦後の昭和22年(1947年)には、それまでの「多賀神社」という名称から「多賀大社」に改称され、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。 尚、平成14年(2002年)から行われた「平成の大造営」が平成19年(2007年)10月14日に完了しました。 御朱印の日付は本当は4月なんですが神職さんが間違ってしまったらしいです。 こちらにも刺繍がされた御朱印帳があるそうですが、まだ使ってる御朱印帳に空きがあったため今回は見送り。 多賀大社のお土産としては有名なシャモジと、参道前にある『糸切餅』が有名です。 もちろん買いました。糸切餅に関してはまた別記事で。
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寺社仏閣・滋賀県(15)




お多賀さん。天候がよければ休憩もしやすい神社ですね!
近江鉄道の多賀駅から約15分でしょうか?付近には寺社も多く
懐かしい感じがする門前町となっていますね!!
御祈祷は少し高額な感じがしてしなかった思い出があるお社です。
[ 御垣内 ]
2008/2/5(火) 午後 8:23
ヒロ爺さん、元々広いのと大造営中でとても綺麗になっていました。
まだ、この頃は神社のことよりも御朱印貰うのがメインの頃ですから境内もろくに散策してません。今思えばもっとゆっくりしていけばよかったのにと思います。
2008/2/5(火) 午後 8:33
御垣内さん、歩いてそれくらいでしょうかね。ここは駅から歩いて参拝したほうが雰囲気を味わえて良いかもしれません。門前町の風景も写真に収めておけばよかった…。
2008/2/5(火) 午後 8:36
まず、先ほどのシステムの件は安心して今後も訪問させて頂きたいと思います。(*^_^*)
さて、鉄道の情報ですが、本数が大変少ないのでお急ぎの参拝の方はやはりお車での参拝が便利ですよ!
[ 御垣内 ]
2008/2/5(火) 午後 9:20
確かにここだけ路線分かれてますからね・・・。
多賀大社だけならいいかもしれないけど、近くのほかの場所に行くなら車のほうが便利ですかね…。
2008/2/5(火) 午後 9:43
一の宮 イザナギ神宮の雰囲気になんとなく似ているような?イザナギ イザナミはやさしい神様という感じがします。
2008/2/6(水) 午後 0:15
私の好きな神社第3位の多賀大社^^。来週末参拝にいく予定をしてます。平成の大造営が終わり、キレイになってるだろうな〜。正式参拝してくるつもりです。
2008/2/6(水) 午後 5:25
伊勢に参らば、○○に参れ、片方である多賀大社が、天照大御神の父を祀る神社ですが、元伊勢と称されるのは、自分的には、やはり、京都府にあるお伊勢(外宮)の故郷である籠神社だと思っています。そして、天橋立も観光スポットとしても有名ですね!
[ 御垣内 ]
2008/2/6(水) 午後 8:44
熱田北条さん、行ったことが無いので分かりませんが祭神が同じなので雰囲気も似てるのでしょうか。
結局、伊弉諾・伊弉冉は仲直りできたんでしょうか…。
2008/2/6(水) 午後 11:17
トオルさん、来週正式参拝ですか。いいですね〜。とっても綺麗になってますよきっと。
2008/2/7(木) 午前 0:23
御垣内さん、籠神社、行きたかったんですよね〜。結局行けませんでした…。元伊勢巡拝というのもしてみたいです。
天橋立も行ってみたい…。
2008/2/7(木) 午前 0:32
以前、お話に出た 三輪大社の元伊勢説ですが、朝廷は、太陽神である天照大御神様でなく、三輪山の神を5世紀まで祀っていた後に6世紀の初頭に太陽神の祭祀が整えられゆきます。この時代に斎宮が任命され、それまで小規模な太陽神祭祀が三輪山近くの笠縫邑=桧原神社であります。太陽神が祀られた事実からすれば元伊勢ですね1
[ 御垣内 ]
2008/2/7(木) 午後 7:25
御垣内さん、檜原神社から籠神社でしたよね。
一応公式的(?)には檜原神社が元伊勢の最初ですが、元伊勢として一番知られてるのって籠神社ですよね。
2008/2/8(金) 午前 0:19
はい!そうですね! 一の宮の称号を得ている元伊勢はここになります。しかし、お伊勢様が現在の内宮に鎮座した経路だけではなく、最も長く鎮座された間に発生した神様のエネルギーを残留を考えると三重の一の宮である伊雑宮が元伊勢としたいところです。
[ 御垣内 ]
2008/2/8(金) 午後 11:06
御垣内さん、伊雜宮は元伊勢とはいえ建物とか雰囲気が伊勢神宮ですよね。(内宮の別宮だから当たり前と言えば当たり前ですが…)
2008/2/9(土) 午後 3:30
静かな雰囲気で少人数でそっとじっくりお伊勢様に祈りたい!そんな方にお勧めしたいのが、内宮の荒祭宮と伊雑宮です。
御垣内参拝では、どうしても短い時間になりやすく、いざお白砂の前では威圧感がありますので時間があれば伊雑宮も参拝したいお社です。
[ 御垣内 ]
2008/2/9(土) 午後 5:40
去年の11月に多賀大社に参拝しました。かなりの人の多さにびっくりしました。
多賀大社のすぐ近くに私のお気に入りのお蕎麦屋さんがあり、多賀にはよく出かけます。
2008/2/11(月) 午前 2:10
橙さん、蕎麦屋さんですか。よく蕎麦は食べるので要チェックですね。
2008/2/12(火) 午前 0:21
【大阪の吹田市あたりを基点に点対称で考えると2つの「多賀」がほぼ同じ場所になる。】・・・
へぇーへぇーへぇー( ・∀・)つ凸 凄っごい発見!!さっき地図見たけど、確かにそうかも!延命に霊験があるのは知らなかった。いつかお参りしたら、ここのお守りを親にプレゼントしよっと!
でも本殿の修理は何時終るのかな?
2008/2/15(金) 午前 1:14
Keiさん、厳密に考えれば伊弉諾神宮を基準に考えれば多賀大社は琵琶湖の中になりますし、多賀大社を基準に考えれば伊弉諾神宮は海の中になってしまいますが、淡路島と琵琶湖の関係でおおよそ似たような位置になります。違うブロガーさんが紹介されてたのでこちらでも紹介しました。
一応、去年に造営は終わっているようなので新しい多賀大社が見られますよ。
2008/2/15(金) 午後 5:29