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仙台城 (せんだいじょう) 別名:青葉城、五城楼 形式:連郭式平山城 築城年:慶長5年(1601年) 築城者:伊達政宗 歴代城主:伊達氏 廃城年:明治4年(1871年) 遺構:復元大手門櫓、移築城門、石垣、堀、空堀、門跡 備考:日本100名城(8番)、国史跡 『荒城の月』のモデルにもなった城です。 青葉山から青葉城とも言われますが、仙台城といえばこの人。
『青葉城恋歌』で有名な歌手ですね。 良い歌ですよね〜。 Youtubeのリンク貼っておきますから、BGMとして聞きながら解説ご覧下さい。 「青葉城恋歌」 仙台城は、独眼龍といわれた伊達政宗が江戸時代初期の慶長年間に築城してから、仙台藩62万石の居城として、明治の廃藩置県までのおよそ270年間、藩の政庁として使われ続けました。 またの名を青葉城ともいい、一般的には仙台城ではなく青葉城と呼ばれることが多い。 「大手門櫓(復元)」 秀吉の奥州仕置により米沢72万石から岩出山58万石に減転封されていた伊達政宗は、岩出山城が現在の宮城県全域・岩手県南部から福島県北部までの伊達領から見ると、場所が北西に偏り、街道から外れた位置にあり、また城下町も狭く統治に向かないことから新たな城を築くことにしました。 新城の候補地として、「千代」「榴ヶ丘」「大年寺山」「石巻・日和山」の4箇所を選び、家康からは築城地として「千代」が許可され、慶長5年(1600年)12月24日に普請の縄張を開始。 翌年の慶長6年(1601年)4月には居城としていた北目城(太白区)から千代に移動しました。 城地の青葉山には、かつて千体仏が安置され、島津、結城、国分氏が「千体城」として居城にしていたことがあります。 その後、「千代」と名前が改められ、政宗によって「仙臺初見五城樓」という唐詩にちなんで、「千代」から「仙臺」に名前が改められました。(現在は常用漢字の仙台になっている。) 仙台城の別名としてこの唐詩から「五城楼」と呼ばれることもあります。 ちなみに、数年前まで力士として活躍していた五城楼勝洋は仙台市青葉区の出身で、四股名の由来は同じです。 「本丸北側の石垣(修理されたばかりなので綺麗)」 仙台城は東側に広瀬川が流れ絶壁になっていて、西側背後は原始林が茂り、谷が続く丘陵地で、南側は高さ70〜90mにも及ぶ龍ノ口沢の峡谷が絶壁に囲まれた天然の要害に作られた。 慶長16年(1611年)に仙台を訪れたイスパニアの使節、セバスティアン・ビスカイノは、 「城は彼の国の最も勝れ、また最も堅固なるものの一つにして、水深き川に囲まれ、断崖百身長を超えたる巌山に築かれ、入り口は唯一にして、大きさ江戸と同じうして、家屋の構造はこれに勝りたる町をを見下ろし…」と書いています。 本丸の北麓にあった大手門は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に本営として築いた肥前名護屋城の大手門を移築したものらしい。 また、将軍家に配慮してか天守台はあるものの結局天守閣は造られませんでしたが、本丸には桃山風書院建築の技術の粋を集めた大広間が造られました。 この造営のため、当時最高といわれた大工や絵師などが招かれ、後に大崎八幡宮や松島の瑞巌寺もこの匠たちによって造営されました。 城下町は、大手門の東の広瀬川に橋を架け、森林と湿地を開拓して侍屋敷街、町人街、職人街を、その外側の要地には寺町を造り、慶長6年(1601年)2月から5月にかけて、以前の居城だった岩出山から武士と庶民を仙台に移住させました。 仙台城の築城は、その城下から1世帯から1人、15歳から75歳までの男子が動員され、慶長15年(1610年)に仙台城はひとまず完成しました。 この時の仙台城は本丸部分のみで構成されていて、前述のように天然の要害に築かれた山城でしたが、山の上にあるため日常生活に不便なことから、政宗は幕府の許可を得て、寛永5年(1628年)に平城の若林城(現在の宮城刑務所)を築城して移り住みました。 仙台藩2代藩主・伊達忠宗は若林城を廃城にして、寛永16年(1639年)に新たに仙台城本丸の北西の麓に二の丸・三の丸を造り、城門や書院を移築し、それまで山城だった仙台城が平山城に生まれ変わりました。 それから火災や地震によって建物が焼失したり石垣が崩れたりしましたが、何度か造営しなおされました。 明治になり、廃藩置県・廃城令によって仙台城は廃城。 明治4年(1871年)から翌5年にかけて本丸建物が取り壊され、明治15年(1882年)9月7日には西南の役戦没者招魂祭で打ち上げられた花火が不発のまま落ち、その火災で二の丸遺構はほとんど焼失。 明治37年(1904年)には本丸跡に「招魂社」、後の「宮城県護國神社」が建てられました。 残っていた大手門と大手門櫓は昭和6年(1931年)に国宝に指定されていましたが、昭和20年(1945年)7月10日の仙台空襲により焼失してしまい、唯一建造物として残っていた三の丸巽門もアメリカ軍の進駐により破壊されてしまい、建造物は全て失われてしまいました。 その後、昭和42年(1967年)に大手門櫓が寄付により復元され、これが仙台城で唯一復元された建造物です。 ただ移築された建造物が残っており、寅の門が知事公舎の門(県指定有形文化財)として、また、本丸搦手の辰ノ口門が満興寺山門、藩校養賢堂正門が泰心院山門として現存しています。 戦災で焼失した大手門も後々復元の予定があるそうで、色々整備されて古城の雰囲気は失われつつありますが、いろいろ楽しみな面もありますね。 「今なお仙台市街を望む政宗公」 「本丸からの仙台市外の眺め」 |
城郭




伽月さん私の町をキレイに紹介してくださってありがとう〜
お城というので、ここまで来てみて「石垣しかない!」と、よく言われてしまいますw
でも
>本丸跡に「招魂社」、後の「宮城県護國神社」が建てられました。
そうなのよ、ここにくると今の町が見渡せ、ゆっくり歩きこの神社などで昔の時代を少し感じることが出来る
ここからの夜景は函館の夜景に並ぶ夜景だと私は思っているわ
そうそうここまでは駅から20分おきに出ている、市内観光巡回小型バス「るーぷる仙台」が便利なのよね。
2008/3/26(水) 午後 11:44
あらら果実さん、いえいえ。ホントはもうちょっと画像も多く分かりやすくまとめたかったんですが…。
確かに城といえば天守閣っていうイメージを持ってる人が多いのでそう言われてしまうかもしれませんが、城の持つ面白さというのはそういうところじゃないですからね。
縄張(城の設計)を考えると結構これが面白いんですよ。
本丸からの景色はとっても綺麗ですよね。あそこは夜でも入っていけるんですか?きっとかなり綺麗なんでしょうね〜。
個人的に仙台には思い入れがあるんです。一度ゆっくり観光したいですね。小型バスが使えるんですか。情報ありがとうございます。
2008/3/27(木) 午前 0:37
青葉城恋歌,いい歌ですね。
青葉城一度いきました。改修工事かなにかしていましたが。
大手門、九州から移築ですか、どうやって運んだのですかね。
お〜仙台市内も高層マンション?建ってますね。
[ pre*wo*ina*a ]
2008/3/27(木) 午前 10:52
もんたさん、大手門は恐らく建材レベルに一度解体してから運んだんだと思います。しかし九州からとは、今のレベルでもかなり大変ですよね。
東北・北海道は不景気ですけど、都市部は活気がありますからね。
2008/3/27(木) 午前 11:58
近くの温泉に行きました。名前、度忘れです!
仙台〜いいところですね。
2008/3/27(木) 午後 6:05
熱田北条さん、たぶん秋保(あきう)温泉じゃないですか?有名ですからね。
観光地は多いし食べ物は旨いし良いところです。
2008/3/27(木) 午後 6:17
こんばんは。
関連記事から来ました。
雪の青葉城がいいですね。ポチ
2013/6/4(火) 午後 6:59
〉あるくさん、はじめましてm(_ _)m
なかなか雪と石垣がモノトーンのコントラストで、普段とは違う美しさでしたよ。
2013/6/8(土) 午後 9:54