|
蝦夷国(渡島国)一宮、旧県社 神紋:州浜鱗、丸に武田菱 祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)、住吉大神(すみよしおおかみ、底筒男命、中筒男命、表筒男命の3柱)、春日大神(かすがおおかみ、天児屋根命) 例祭日:8月5日 最寄の交通機関:JR江差線「江差駅」 姥神大神宮は北海道南部の日本海側にある江差(えさし)という歴史の古い町に鎮座しています。 北前船の終着点。民謡の江差追分や幕府軍艦の『開陽丸』が座礁沈没した所としても知られています。 創建は鎌倉時代の建保4年(1216年)、現在の鎮座地より海側の津花町に鎮座していました。 当時、この津花に「折居様」と呼ばれていた老婆が住んでいて、ある夜に、神島(カムイシリ、現在の鴎島)から光が発せられているのを見て不思議に思いながら島に渡った所、老翁に会い、その老翁から瓶子(へいし)を授けられ、「瓶の中の水を海に撒けばニシンが群来する」と教えられた。 老婆はその事を住民に告げて、網を作らせて瓶の中の水を海に撒いた所、海水がたちまち白く米のとぎ汁のようになり、ニシンが押し寄せ大漁になり飢えを救ったという。 その後、老婆は忽然と姿を消しますが、老婆の草庵に残された御神像を「姥が祀っていた神」=「姥神」として祀ったのが始まりと言われています。 その水を入れていた瓶子が岩になったといわれているのが鴎島にある瓶子岩(へいしいわ)です。 「瓶子岩」 また神社の右側にある折居社はこの折居姥を祀ったものです。 「折居社」 正保元年(1644年)に神職の藤原永武(初代)が現在地に遷座しました。 また、松前藩主であった松前家からも篤く崇敬され、松前藩8代藩主・松前道廣からは寛政11年(1799年)「降福孔夷」(福を降すこと孔夷なり)と書いた額を奉納しました。 しかし、当時蝦夷地にロシア船がよく出没しており、文化4年(1807年)に幕府の役人から「孔夷」という文字を「紅夷」(顔が赤い夷=ロシア人)、すなわちロシアと松前藩が接近しているとと受け取られ、一時期陸奥国梁川藩(福島県伊達市柳川町)に転封されるという事件が起きます。 これは草書で書いたため「孔」が「紅」に見えてしまったということが分かり、文政4年(1821年)に再び旧領に復帰。 問題の「降福孔夷」の額は、「隆民殿」という額に替えられました。(現在は江差町指定文化財) また、鳥居の前には箱館府総督の清水谷公考(しみずだにきんなる)が詠んだ、「この浦のたみを そだてし姥神に 猶ゆくすへを 祝ぎまつる」という歌が掲示されています。 社格は、文化14年(1817年)に朝廷から正一位の神階を贈られ、明治4年12月に郷社、明治17年4月に県社に列格されました。 毎年8月9日から11日には『姥神大神宮渡御祭』が執り行われます。 9日に宵宮、10日と11日に本祭が行われ、13台の山車(ヤマ)による巡行と、夜には3基の神輿が神社へ一気に駆け込み、1度では入らず、まず7回、5回、3回と松明に迎え送られながら往復し神社へ入御します。 「渡御祭の山車(3分の1の大きさ)」 「境内には山車の模型が展示されている」 御朱印は時期ごとに3回いただいています。それぞれ微妙に違う。 御朱印は珍しく瓶子の形をしたものです。 ただ、よく見るとそれぞれの御朱印の形と中の文字が微妙に「一之宮」と「勅宣正一位」で違います。というか記事を作ってて気付きました…。
|
全体表示





鳥居と拝殿までが結構近いですねー。
瓶子岩に目が行きます。すごい存在感だよねー。
いつまでも倒れることなく存在し続けてほしい^^
ご朱印は同じ人の手によるもののようですが、ご朱印自体は現在のほうが私は好きですね。
ご朱印も進化するんだ〜^^
2008/8/12(火) 午後 5:44
こういう神社に参拝したいです。北海道では北海道神宮と函館八幡のみです。ポチ!
2008/8/12(火) 午後 11:07
大名家が崇拝していた神社にはおおむね神様がいるという神社が
多い噂を良く耳にします。渡島国の一之宮、明治時代の國名なので
知る人ぞ知る一之宮様ですね! 神階正一位は、お稲荷さんのように勝手に名乗っているのではなく、朝廷から授けられたものであるという誇りを感じます。 新一之宮=北海道神宮との区別からあえてご朱印を変えたものが社務所にあるのかもしれませんね?
[ 御垣内 ]
2008/8/15(金) 午後 11:27
トオルさん、この鳥居が一の鳥居なので大きさ的には非常に小さい神社です。
この瓶子岩、見るたびにもうすぐ倒れるんじゃないかとハラハラします。結構前に奥尻という所で津波を伴う大きな地震があったんですが、一応その時にも倒れなかったのでそれなりに耐久性はあるようですが…。
うちも新しい御朱印のほうが好きですね。
2008/8/16(土) 午後 6:29
熱田北条さん、ポチありがとうございます。
今度北海道に来られた時に時間があれば是非。
北海道の神社は内地と違う時代背景があるので中々調べてると面白いです。
2008/8/16(土) 午後 6:31
御垣内さん、そうなんですか〜!そしたら姥神大神宮は北海道では最古とも言われている神社なので神様がきちんと坐しているんでしょうね。
でも一の宮と認識してる人はあまり居ないかもしれません…。
えっ!お稲荷さんは勝手に正一位名乗ってるんですか…。
伏見稲荷の御分霊が多い関係でしょうか。
2008/8/16(土) 午後 9:52
少し補足をしますが、伏見稲荷の祭神を稲荷勧請したので稲荷の分祀したことを示し、伏見稲荷が正一位だから稲荷の分社も同じということで、各地に広まった慣習の1つでございます。もちろん、きちんと朝廷からの勅許を受けている稲荷神社もありますが、(例、笠間稲荷神社(3大稲荷の1つ)は別表神社の1つですし、鎌倉の正一位稲荷は勅許を受けたお稲荷さんです。)ほとんどは、慣習で正一位でございます。
[ 御垣内 ]
2008/8/17(日) 午後 9:03
勉強不足でした。
蝦夷地は江戸時代の松前藩からと思っていました、古くから拓らかれていたんですね。
2008/8/18(月) 午後 4:13
御垣内さん、なるほど…。よく分かりました。
よくお稲荷さんののぼりで「正一位」と書かれたのをよく見ますがそういう事なのですね。ありがとうございました。
2008/8/19(火) 午後 4:52
ヒロ爺さん、結構北海道も歴史が古いんですよ。
中でも道南は鎌倉時代に安東家が幕府から蝦夷地(夷島)を治める代官に任じられていて、江差の南にある上ノ国が当時の北海道の中心地だったんですよ。交易で結構栄えていたようです。
2008/8/19(火) 午後 4:57
草書で書いて間違われるってあるでしょうね。そういう誤解ってなんだか、怖いなぁー。遠いから余計にいろいろな誤解もあるのかもなぁー。赤い瓦屋根の神社さんって面白い!初めて見ました!
傑作( ^∇^)ノ凸ポンッ
2008/10/10(金) 午後 11:44
Keiさん、まぁ実際のところ陰では裏取引をしていたようなのでそう思われても仕方がないのかなと後から調べて思いました。
赤い瓦の神社って確かに珍しいですよね。ポチありがとうございました。
2008/11/16(日) 午後 7:43