|
旧内務大臣指定護国神社、別表神社 神紋:十六八重菊に桜 祭神:長崎県出身の護国の英霊 60,810柱 例祭日:4月22日、10月26日 最寄の交通機関:長崎電鉄「松山町駅」 長崎縣護國神社は長崎市に鎮座する、戊辰戦争から大東亜戦争までの国に殉じた護国の英霊を祀る神社です。 平和公園を望む城山に建つ護國神社 明治2年(1869年)12月、初代長崎府知事・沢宣嘉により長崎市梅ヶ崎に社殿を創建し、戊辰戦争において戦死した長崎府振遠隊・鬼塚麟之助以下43柱の英霊を祀った「梅ヶ崎招魂社」。 そして台湾の役の戦没者、陸軍少尉・相良長賢以下536柱を長崎市西小島に「佐古招魂社」として祀ったのが始まり。 昭和14年(1939年)3月に、それぞれ「梅ヶ崎護國神社」「佐古護國神社」となった後に、社殿と境内拡張整備の声から、昭和17年(1942年)3月21日に両社を合併して「長崎縣護國神社」と改称して、昭和19年(1944年)10月に現在地の城山に社殿を造営した。 しかし、翌年の昭和20年(1945年)8月9日の原爆投下によって、爆心地から700m程しか離れていない護國神社は本殿をはじめ全て灰燼に帰してしまうものの御霊代は無事で、岩淵神社(長崎県西彼杵郡長与町斉藤郷77)に、そして大崎神社(市内本石灰町6番17号)に遷された後、昭和24年(1949年)1月22日に梅ヶ崎護国神社跡(梅ヶ崎天満宮)に仮遷座。 昭和37年4月に起工、翌38年10月25日に本殿遷座祭が執り行われました。 昭和41年7月には神社本庁の別表神社に指定、現在に至ります。 長崎原爆資料館には表面が黒く焦げてしまった護國神社の石が展示されています。 車だと神社の前まで行くことが出来るんですが、徒歩だと住宅街の中の長い階段を登っていくことになります。 神社の前からは、眼下に平和公園や浦上天主堂を望むことが出来ます。 御朱印いただくときに「からいも飴」を頂きました〜。 |
寺社仏閣・長崎県(2)




こんばんは!(* ^ー゚)ノ-☆
いつも思うけど、長崎も廣島も小さな神社さんが全て無くなっているんですよね。ネットで知り合った陰陽師さんが記事にしていたけど、原爆によって霊魂も一緒に溶けてしまったとかも知れない・・・とか。なんだか判るような気がします。でも街中の小高い丘の上に護国神社があるって、素敵だと思う。原爆が落ちたのに木々もちゃんと復活してて普通の森に回復しているのが凄いし。まぁ、できればもう少し参道が広いといいんだけどね。
2009/6/15(月) 午後 7:03
Keiさん、どうもご無沙汰しておりました。
原爆落とされたら神霊や霊魂ってどうなるんだろうと確かに思いました。やっぱり消えてしまうんでしょうかね…。
参道は確かに狭いです。車用の参道はもうちょっと広いはずなんですけどね。もしかして裏参道だったとか…
2009/6/15(月) 午後 9:23
被爆地の護国神社は特別な感慨がありますよね
戦争嫌ですよね
2009/6/18(木) 午後 11:54
私の護国神社に対するイメージのとおり、ちゃんと芝生がありますねー^^
落ち着いたいい神社だと思います。
2009/6/20(土) 午前 9:09
ヒロ爺さん、60年経っても祖母の口からは戦争の頃の話がたまに出てきます。
戦争の傷跡というのはそう簡単に癒える物ではありませんよね。
戦争は嫌です。でも平和にかまけて堕落している日本人も嫌です。
2009/6/23(火) 午後 9:59
トオルさん、本当に護國神社って感じの神社でした。
ただ、若干小さい印象を受けましたね。
2009/6/23(火) 午後 10:06