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旧村社、熊野九十九王子、五体王子 通称:滝尻王子 神紋:(未確認) 祭神:[主祭神]:皇大神 [配祀]:日子火能迩迩芸命、天忍穂耳命、日子穂穂手見命、鵜茅葺不合命 例祭日:10月10日(秋季例祭) 最寄の交通機関:JR紀伊田辺駅から龍神バス 栗栖川・熊野本宮行き「滝尻」バス停下車 熊野九十九王子の中で最も格式が高いとされる「五体王子」の一つに数えられている滝尻王子は、和歌山県田辺市中辺路町の石船川(いしぶりがわ)が富田川(岩田川)に合流する地点、滝尻橋がある所に鎮座しています。 中辺路町内の王子跡は国指定史跡「熊野参詣道」として登録されていて、祭神は皇大神、本地仏は不空羂索菩薩と言われています。 田辺から本宮・那智に至る中辺路の中で、稲葉根王子から滝尻王子までの古道は、今ではその跡を探すことは難しく、岩田川の右岸をしばらく遡ったあと、向越(むかいごし)付近で川を渡ってそこから左岸を進み、山を越して滝尻へ出るという、何度も川を渡らなければいけない難所でした。 滝尻という地名は、川がこの付近で急流になり、石に触れたりして音高く流れることからきています。 滝尻王子の創建は不明ですが、天仁2年(1109)に藤原宗忠の日記『中右記』の滝尻の項に、「初めて御山の内に入る」と記されていることから、それ以前には滝尻王子が成立していたことが分かります。 和歌山県田辺市から熊野本宮大社まで至る道を「中辺路」(なかへち)と言い、かつては滝尻から本宮まで至る山々を聖域としていて、滝尻王子はその聖域への入口にあたる重要な場所でした。 この熊野の聖域に入る際には岩田川、石船川の2つの川で水垢離(祓)をしてから入ることになっていて、仁和寺所蔵『熊野縁起』では、 「滝尻で水浴する事は、右河は観音を念じて浴す、左河は薬師を念じて沐す」 「滝尻両方河に、橋より上には千手浄土御座、又、丑寅より流れたる河には、薬師浄土御座す、彼水は偏に浄刹より落ち水なり、是以て無垢無終の罪滅す」 とあり、右の川(岩田川)は千手観音、左の川(石船川)は薬師如来の居る浄土から流れてくる水だと考えられ、その水で身体を清めることで罪を洗い流すと考えられていました。 平安時代には、ここで水垢離が行われ滝尻王子に奉幣する他に、経供養や里神楽が奉納され、後鳥羽上皇の和歌会が開かれることもありました。 その和歌会に詠まれた歌が書かれた懐紙を「熊野懐紙」と呼ばれて、歌人に珍重された他、都では高値で売買されていました。 室町時代に入ってからは徐々に上層階級の熊野信仰は衰え、熊野参詣道も何度も川を渡る滝尻・剣ノ山経由ではなく、潮見峠越えにルートが変わったため荒廃が進み、寛喜元年(1229)に熊野詣をした藤原頼資の日記『民経記』によれば、 「路次の王子、皆以て破壊顛倒し実なし、もっとも以て歎かるべき事なり、法皇の行宮ことごとく壊れ取られ地あり、滝尻並びに御山のうちの御所は残れり、後白河院の御時の御所は、その後修理云々、当時虎狼の栖の如し」 と当時の荒廃の様子が記されています。 明治になってからは社格が村社になって、栗栖川村10地区の神社がここへ合祀され、十郷神社(とごうじんじゃ)と称し、社殿も改築されたものの、戦後は各地区で神体を持ち帰ったため、元の滝尻王子に戻り、厳密に言えば「十郷神社」ではありませんが、「滝尻王子宮 十郷神社」と呼ばれ現在に至っています。 滝尻王子の脇の古道を進んで、急な山道を登っていくと、まず「胎内くぐり」と呼ばれている穴の開いた大岩があり、その上に藤原秀衡にまつわる伝説が残る「乳岩」と呼ばれる岩屋があります。 まず、胎内くぐりは熊野参詣道が潮見峠越えのルートに変わって、室町時代からはこの滝尻から剣ノ山を経由する参詣者がいなくなったものの、その土地の人間は春秋の彼岸に滝尻王子に参り、そこで竹杖を持って山道を登り、この岩穴をくぐって山の上にあった亀石という石塔に参ってきたといわれ、この岩穴を抜けるのを胎内くぐりと言い、女性がここをくぐれば安産するという俗信が残っています。 「乳岩」 その胎内くぐりの上の乳岩は、奥州藤原三代の藤原秀衡夫妻が懐妊のお礼にと熊野詣をしたとき、ここで急に産気づき、この岩屋で出産したと言われ、秀衡夫妻は赤ん坊をここに残して熊野本宮へ参詣。 急いで戻ると、赤ん坊は岩から落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったという伝説が残っていて、その時の子供が藤原秀衡の三男、忠衡と言われています。 滝尻王子には藤原秀衡が寄進したと言われる七堂伽藍が建立されていた他、秀衡が奉納したといわれる「黒漆小太刀」(国重文)が神宝として伝わっていますが、一説には鳥羽上皇の奉納したものとも言われています。 乳岩からさらに山道を登っていくと、次の熊野九十九王子・「不寝(ねず)王子跡」があります。 御朱印は、滝尻王子の休憩所の中に書置きのものがあり、購入すると店員の方が日付を書き込んでくれます。 なお、店員のオジさん曰く、滝尻王子から不寝王子までの400mの登りは熊野古道・中辺路の中で一番の難所だそうで、実際距離に騙された私はふらふらになりながら不寝王子まで登って帰ってきました。 途中にある「胎内くぐり」を自分も試そうかと思ったんですが、これは服が汚れるという狭さだったので諦めて帰ってきました。(まぁ、安産といっても自分は男だし…) 滝尻王子の前を流れる石船川を挟んで向かいには熊野古道館という熊野古道関係の資料を展示している施設があって、また、滝尻王子は熊野本宮大社まで熊野古道を踏破する人たちの出発点になっています。 滝尻王子には結構広い駐車場があって、そこで車中泊をしていましたが、ここから熊野古道を歩いて行ったと思われる人の車もありました。 いつか中辺路を踏破してみたいと思います。 実は滝尻王子に参拝した大きな理由が、「Air」や「CLANNAD」というゲームを作った「Key」というメーカーが、西牟婁地域観光地「熊野参詣道」のPRとして、滝尻王子に参拝している伊吹風子(CLANNADに登場)を描いたポスターがありまして、是非参拝したいという思いから参拝させていただきました。 詳しくはこちら
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寺社仏閣・和歌山県(4)





お早う御座います
ご来訪、ご支援頂き感謝申し上げます。
「胎内くぐり」・・・
妊婦さんになる前に行かねば駄目ですね!
傑作・村クリ○です。
2009/8/9(日) 午前 7:31
愛国さん、ポチありがとうございます。
「胎内くぐり」、このままだと自分にとって意味が無いんですよね…
もう細胞分裂するしか…
2009/8/10(月) 午前 1:17
中辺路、完全踏破ですか、私はもう年ですから駄目ですが、若い伽月
さんなら叶うでしょうね。
2009/8/10(月) 午後 9:54
ヒロ爺さん、実は地元の郷土史の会の会員の方で、MTBやキャリアでかつての歴史関係の史跡や古道などを巡られている方がいて、中辺路もMTBで踏破したそうです。もう60歳過ぎているのですが、足や腕の太さが凄いです。
年齢だけは若いですが、この人に追いつく自信がありません…
2009/8/10(月) 午後 10:13
稲葉根王子は上富田町岩田王子谷の入口にあり、熊野九十九王子の中でも社格の高い准五体王子でした。
天仁2年(1109年)の「中右記」にもその名が見え、社歴も古く、格別に崇敬されていました。 この王子の神は熊野本地曼陀羅に稲を背負う翁の姿で描かれ、別名稲荷王子と呼ばれ、稲荷信仰に深い関係を持っています。
熊野街道中辺路の重要な水垢離場とされた岩田川(富田川)の渡渉地点に近く、この王子から川で水垢離を取り対岸の一ノ瀬王子へ渡ったと伝えられています。
江戸時代は産土神とされていたが、大正15年(1916年)、現在の岩田神社へ合祀されました。現在は再び分霊を遷し、稲葉根王子として再興されています。
[ 環境歴史観光防災カメラマン ]
2012/8/26(日) 午後 2:10
>環境歴史観光防災復興プロジェクトXさん、せめて五体王子には参拝したいなと思っているのですがなかなか…。野中の清水にも牛馬童子像も見てないですし中辺路リベンジしたいですね。
2012/9/14(金) 午後 8:17