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旧別格官幣社、建武中興十五社、別表神社 神紋:割菱(伊勢北畠氏の家紋と言われる。北畠氏の家紋は笹竜胆) 祭神:[主祭神]北畠顕能(きたばたけあきよし) :[配祀]北畠親房(きたばたけちかふさ)、北畠顕家(きたばたけあきいえ) 例祭日:5月5日、10月13日 最寄の交通機関: 北畠神社は三重県中部、三重県と奈良県の県境にほど近い津市美杉町(旧美杉村)にある神社。 南北朝時代に南朝方として活躍した北畠顕能公とその父である北畠親房公、兄である北畠顕家公を祀っている。 この地は南北朝時代から天正4年(1576年)に織田信長に滅ぼされるまでの約230年間、伊勢国司である北畠氏の本拠が置かれた場所で、神社が鎮座しているのは北畠氏館跡、神社の裏山には霧山城跡がある。 「拝殿の上に何故か天狗の面が…」 祭神の北畠顕能公は、北畠親房公の三男として正中2年(1325)に誕生。 若干14歳で従四位上に叙され、伊勢守に任官し、足利との戦いで楠木正成をはじめとする南朝方の武将が相次いで戦死する中、兄である北畠顕家公も、延元3年(1338年)に阿倍野(現大阪市阿倍野区)で戦死する。 興国3年(1342年)には、戦略上の拠点としてこの地に霧山城を築き、伊勢国司に任ぜられ、南朝の武将として北朝方と戦い、文和元年(1352)には京都まで進攻した。 永徳3年(1383年)7月28日に多気にて死去。 それ以後、伊勢北畠家は9代230年にわたって伊勢国司として一志、飯南、渡会、志摩の南部五郡と、紀伊、伊賀、大和に及ぶ領域を治めたものの、天正4年(1576年)11月に織田信長によって北畠具教が謀殺され北畠氏は滅亡した。 ちなみに北畠親房公は福島県の霊山神社、北畠顕家公は大阪府の阿部野神社に祀られていて、それぞれ別格官幣社に列格されている。 神社は、寛永20年(1643年)に北畠一族の末裔の鈴木孫兵衛家次が、この北畠氏館跡に祠を建てて「北畠八幡宮」という社号にしたのが始まり。 昭和3年(1928年)11月の天皇御即位の大礼の日に別格官幣社に列格され、戦後は神社本庁の別表神社になり現在に至る。 境内には池と築山、立派な石組みで構成された北畠氏館跡庭園が残され、室町時代の相阿弥の手による代表的な名園として国の名勝にも指定されています。 「国道368号線。実際は対向車とすれ違うのも困難な山道である。」 奈良県県境の御杖村からとても国道とは名ばかりの伊勢本街道・国道368号線を東に抜け、三重県に入ると旧美杉村。 かつて北畠神社のある上多気は、大和国の神末宿(御杖村)を出て国境を越え伊勢国に入ると奥津宿、そして上多気宿という宿場町があり栄えていたそうで、現在も当時の建物が保存されていたりする。 |
寺社仏閣・三重県(11)





旧三杉町ですね〜現在は、津市に合併になりましたね〜
旧津市の仏閣でも、北畠姓の寺院が多くありますので
懐かしく感じます。
[ 御垣内 ]
2009/12/19(土) 午前 1:51
御垣内さん、結局合併は良かったのかどうだかわかりませんが津市になっちゃいましたね。
もしや出身は津なんですか?
2009/12/19(土) 午後 10:25
内緒さま、織田・北畠の鎮魂の事ですね。北畠神社では出席されてなかったんですか。
ありがとうございます。名古屋近辺に行く際はご連絡させていただきますね。
2009/12/27(日) 午後 0:32