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旧村社 延喜式内社:山城国綴喜郡 甘南備神社 (小) 祭神:天照大神(あまてらすおおかみ)、葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと) 例祭日:10月15日 最寄の交通機関:JR「京田辺駅」下車、甘南備山登山口まで30分、登山口から神社まで30分 神南備神社は、京都府南部の京田辺市にある甘南備山山頂に鎮座する延喜式内社(式内小社)。 説明板などでは「神奈備神社」と記載されているが、ここでは神社本庁の資料の通り「神南備神社」とした。古く平安時代に編纂された延喜式では甘南備神社と記されている。 恐らく「神奈備」の名前から、奈良の三輪山と同じように山そのものが御神体とされていたのだろう。 現在は天照大神・天児屋根命・鵜葦葺不合尊・大国主命の4柱を祭神としているが、他に祭神として甘南備眞人祖歟と『神社覈録』という文献には記されているらしい。 甘南備眞人祖歟が誰のことを指しているかは分からないが、甘南備真人(かんなびのまひと)とは敏達天皇の後裔といわれ、751(天平勝宝3)年10月、伊香王・高城王・池辺王が甘南備真人の姓を賜ったという。 ちなみに甘南備真人伊香は万葉歌人で万葉集には4首の歌が載っている。 「甘南備山登山道」 神南備神社へは、JR京田辺駅から一休寺に向かうようにして歩いて、一休寺の横を通り、薪神社の境内を抜けると交差点にぶつかり、ひたすら川を横に見ながらまっすぐ進んでいくと、甘南備山の登山口がある。 登山道は舗装された新しい登山道と旧道がある。 距離的には旧道の方が近いが道が悪いため、登りは舗装された新登山道を登ることをおすすめする。 結構上まで行くと旧道との合流地点があって、少し登ると左手に神社への登り口があり、左に行くと展望台、右に行くと神社がある。 「神南備神社 鳥居」 社殿のある甘南備山(標高217.5m)は京都市から見るとちょうど南にあり、平安京造営の際に京都の船岡山と甘南備山との線が京の中軸線(朱雀大路)の目印になったといわれている。 三角点の50m東側には白い石があり、平安京建設当時に白石が太陽の光に反射して、遠く船岡山からでも見ることができたのではないかともいわれている。 地元の薪地区では「かんなべやま(間鍋山)」またはみんなの山、村山という意味で「そうやま(惣山)」とも呼ばれている。 明治6年(1873)に村社に列格。もしかしたらこの明治時代に祭神を上記の4柱とした可能性があるのではないだろうか。 現在、その4柱の名が記された神名札が神社の神櫃の中に安置されている。 昭和34年(1959)から毎年1月3日は、新春甘南備山初登りが行われ山頂はにぎわいをみせる。 ちなみに現在の社殿は昭和52年(1977)に修築されたもの。 「神南備神社」 神社から南東に下がった薬師谷には『今昔物語集』にその名がみえる甘南備寺の跡がある。 「甘南備寺跡」 甘南備寺は、奈良時代の天平年間(729〜748)に行基が創建、またはそれ以前に役小角がここで柴灯護摩(さいとうごま)の秘法を修めたとも伝えられている。 甘南備寺の名前は、平安時代中期の『本朝法華験記』や、これを元にした『今昔物語集』に「加美奈井寺」「神奈比寺」とある。 その今昔物語に「山城国の神奈比寺の聖人、法華を誦して前世の報いを知りたる語」という説話が、巻14の第25に記されている。 綴喜郡の飯の岳(飯岡)の西北に甘奈比寺という山寺あり、一人の僧が住んでいた。この僧は日頃からこの寺を去って、都の大寺に行きたいと思っていた。ついに行こうと決心した夜の夢に、この寺の薬師如来が老僧となって現れ、 「汝の前世は、この寺の土中に住んでいたミミズで、法華経を毎日聞いた功徳によって、人間に生まれ変わってこの寺で法華経を誦している。この寺に縁のある身であるから、他へ行ってはならない」ことをさとされた。 そこでこの僧は生涯この寺に留まったという。 これらの話や今も残る平安時代作の薬師如来像から、この寺は神の鎮座する霊山に造られた天台宗系の寺院であったことがわかり、平安京の真南に位置した護国のための寺院であったと想像される。 当時の建物のあった平坦面が多数見られる。 中世にはすっかり荒廃したようで、元禄2年(1689)に麓の薪山垣外に移転され、現在は黄檗宗に属している。 ・参考文献(ネットも含む) 阜嵐健さんのサイト「延喜式神社の調査」の神奈備神社の項
瀬藤禎祥さんのサイト「神奈備へようこそ」の神奈備神社の項 戸原さん?のサイト「戸原のトップページ」の神奈備神社の項 京田辺市教育委員会、京田辺市文化財保護委員会「神奈備神社の説明板」 |
寺社仏閣・京都府(9)




