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旧府社、京都十六社 神紋:十六八重菊、松毬付き左三階松 祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと) 例祭日:10月9日 朱印帳:3種(今宮神社、神仏霊場会、全国清々会) 最寄の交通機関:地下鉄烏丸線「北大路駅」下車、市バス「船岡山」下車、徒歩7分 今宮神社は京都の洛北七野の一つ、紫野に鎮座する神社。 古くは今宮、紫野社、紫野明神ともいわれ、元々は疫神(素盞雄命)が祀られていたらしい。 「一の鳥居」 「楼門」 元々、この地には平安遷都以前に疫神(えきしん)を祀る社があったといわれ、『日本記略』には正暦5年(994)6月27日に疫神の為に御輿を2基造り、船岡山の上に安置し御霊会が営まれ悪疫退散を祈願したのが『紫野御霊会・今宮祭』の起源で、これが今宮神社の始まりとされている。 今宮祭りは別名『夜須礼祭』とも言われ、京中の老若男女が「やすらいはなや、やすらいはなや」と唱えながら笛や鼓を打ち鳴らして踊り、船岡山上にあった今宮神社へ参詣して病魔のよれる人形を難波江に流すという祭りが行われた。 その後、夜須礼祭があまりに騒がしかったために、久寿元年(1154)4月に禁止されたが、順徳天皇の御代(1210〜1221)に再興された。 神社は正暦5年(994)年に船岡山に遷されたあと、長保3年(1001)に霊夢により再び現在地に遷座され、新たに設けられた神殿三宇とともに今宮社と名づけられた。 朝廷や幕府からの崇敬も厚く、神階は、弘安2年(1279)に従三位。弘安7年(1284)に正一位に昇格。 室町幕府将軍・足利義晴が社殿を修復したほか、聚楽第が今宮神社の産土地ということから豊臣秀吉が秀頼の誕生にあたって御幸道を改修し、神輿を寄進。 江戸時代になってからは、徳川綱吉公の生母・桂昌院からの崇敬が厚く、元禄7年(1694)には荒廃していた社殿の大規模な造営が行われ、祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられる。 明治14年(1881)に府社に列格。明治29年(1896)に本社殿を焼失したが、同35年(1902)に再建され現在に至る。 「拝殿」 「本社」 「疫社」 「織姫社」 今宮神社は北大路通りを挟んで北側に鎮座していて、逆に南に行くと旧鎮座地の船岡山がある。 北大路通りに面して鳥居が建っていて、北へ向かうと朱塗りの楼門がある。 楼門をくぐってまっすぐ行くと拝殿、その奥に本社があり、本社の西隣には疫社がある。 疫社の真向かいには『阿呆賢さん』と呼ばれる石が置いてある。 これはいわゆる「おびんずるさま」のようなもので、病気平癒を祈って、手のひらで石を撫でて、身体の悪い所を擦ると病気の回復が早まるというもの。 また重軽石とも言われていて、手のひらで石を三度打ってから持ち上げ、願い事をこめてから三度手のひらで撫でてから持ち上げた時に軽く感じれば願い事が叶うといわれているらしい。 「阿呆賢さん」 境内の東側には今宮神社名物の『あぶり餅』を売っている店が2件、向かい合うように建っている。 あぶり餅は、きな粉をまぶした餅を竹串に刺して炭火であぶった後に甘い白味噌のタレをぬったもので、『一和』さんは一説によると1000年の歴史があるらしく、むかいの『かざりや』さんも創業400年とレベルが高い。 「右が『かざりや』、左が『一和』」 「『かざりや』さんのあぶり餅」 あぶり餅で使われる竹串は、今宮神社に奉納された斎串であることから、あぶり餅を食べることで病気・厄除けの御利益があるといわれている。 もしかしたら御朱印のイビツな円はあぶり餅を表したものだったりなんかして…
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寺社仏閣・京都府(9)





久々の神社UPですね
[ 御垣内* ]
2010/3/26(金) 午後 10:40
>御垣内さん
そういえばしばらく神社記事書いてませんでしたね…orz
2010/3/27(土) 午後 4:19
あぶり餅は本家と、元祖でいい競争をしてるようですよね。
餅は食べましたが、神社の参拝はしていません、おかしいですよね。
2010/4/12(月) 午後 10:09
>ヒロ爺さん
まぁ隣ですからねぇ…セットかなと思いますが。
本家と元祖ってどう違うんでしょうね…
2010/4/15(木) 午後 3:22