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アイエエエエ! ジンジャ!? ジンジャナンデ!?
旧・クモノカケラのブログです。道南から神社・お寺の御朱印情報などを二次元も絡めて発信します。

書庫寺社仏閣・奈良県(48)

丹生川上神社・上社 (にうかわかみじんじゃ・かみしゃ)




旧官幣大社、別表神社、二十二社、大和神社別宮、神仏霊場

延喜式内社:大和國吉野郡 丹生川上神社 (名神大 (月次・新甞)) 

神紋:十六八重菊、左三つ巴

祭神:[主祭神]高おかみ神(たかおかみのかみ)
  :[配祀]大山祇神(おおやまずみのかみ)、大雷神(おおいかづちのかみ)

例祭日:10月8日

最寄の交通機関:

御朱印帳の有無:不明




丹生川上神社・上社は、奈良県吉野郡川上村にある水神の高淤加美神を祀る神社。
(ちなみに「おかみ」は雨かんむりに龍)

丹生川上神社には上社・中社・下社の3社があり、別名・雨師明神、丹生明神と呼ばれ、いずれも延喜式内社(名神大社)で、旧官幣大社、二十二社、現在では神社本庁の別表神社に指定されており、最近制定された神仏霊場の一つにもなっている。

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創建は、天武天皇の治世の白鳳4年(675)の創祀と言われており、『類聚三代格』(るいじゅさんだいきゃく)には、
「人聲の聞えざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との御神託により祀られたのが始まりとある。

また京都・貴布禰神社と同じく、古来より祈雨の時には黒毛の馬を、止雨の時には白毛の馬を奉納するのが習わしになっており、『続日本紀』の天平宝字7年(763)5月庚午と、宝亀8年(777)5月・8月の項にその事が記載されている。

延喜式の神名帳では名神大社に列せられ、神階も弘仁9年(818)に従五位下、元慶元年(877)に正三位、寛平9年(897)に従二位。
祈雨祭85座のうちの1座でもあり、大和神社の神主が遣使に随行するなど、室町時代までは祈雨・止雨奉幣の遣使が記録されているだけでも数十回あったが以後は衰退し、神社の場所すら分からなくなった。

丹生川上神社・上社は、明治初期まで「高おかみ神社」という神社で、現在地よりも麓の方にある「宮の平」に鎮座していて、明治6年(1873)に郷社に列格された。

江戸時代から行われてきた延喜式内社の研究の結果、式内社と比定され朝廷からも崇敬されてきた下市町長谷の現在の下社が明治4年(1871)に官幣大社に列格されるが、『類聚三代格』寛平7年(895)の太政官符にある丹生川上神社の奉納神馬放牧の禁猟地が「東限塩匂、西限板波滝、南限大山峯、北限猪鼻滝」との記載から、高?轗神社の方が場所として合致するということで、明治7年(1874)に下市町の丹生川上神社を「口の宮」、川上村の高?轗神社を「奥の宮」、明治29年(1896)にそれぞれを官幣大社丹生川上神社「下社」「上社」として列格される。

その後、大正11年(1922)に東吉野村の蟻通神社が本来の丹生川上神社とされたことから、蟻通神社を「中社」として、3社とも官幣大社・丹生川上神社とされることになった。(中社が本社ということになる。)

上社は下流に大滝ダムが建設され社地が水没してしまうことから、平成10年(1998)3月に現在地に遷座された。
その際、旧社地の発掘調査を行った結果、旧本殿の下からは8世紀後半から9世紀の物と思われる人為的に石を集めた遺構と、その上に11世紀後半から12世紀と思われる敷石の遺構、その上には12世紀後半から13世紀頃の石垣の遺構が発見され、その頃に社殿が建立されたことが分かった他、周辺からは縄文期(4000年前)の環状列石が発見されたことから、縄文時代からこの場所では祭祀が行われてきたということが判明し、この遺跡は「宮の平遺跡」と命名されたが、平成15年(2003)5月に旧社地はダムに水没。

なお、明日香村の飛鳥坐神社の社殿は上社の旧社殿を移築したもの。

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2005年の名古屋出張時に参拝。
国道から分岐して舗装されたさほど広くない車道を登っていくとコンクリの石垣の上に鳥居が見え、その上に社殿がある。

この時は中社・上社・下社の順番で参拝したが、遷座されて間もなく社殿が新しいということと、中社と下社は拝殿があって屋根付きの階段を登った先に本殿があるのに対し、上社は拝殿と本殿が同じ高さにあって一緒になっているという違いがあるので、下社から順番に参拝すると違和感があるかもしれない。
よく整備されているのだが、新しいので木々に囲まれておらず古社という雰囲気はしないので、個人的にはもうちょっと木々で鎮守の森の鬱蒼とした雰囲気があると嬉しい。あと数十年後に期待。
今はダムの底の旧社地も見てみたかった…

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    ダム工事で、仕方なく此処に遷座してようですね。私が行ったときの宮司さんが、ぼやいていましたよ。でも立派なお社ですよね。

    Hirojii

    2010/5/24(月) 午後 5:26

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    >ヒロ爺さん
    行かれてましたか…。
    せっかくの古社なのにダムで水没とか、場所変えて建て替えればいいってモンじゃないだろうに行政は…
    確かに立派なのですが寂しい話ですよね。

    高倉伽月

    2010/5/25(火) 午後 9:52

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    私も参拝しました。上 中 下もです。さすがに山深い吉野の神社ですね〜。

    熱田北条

    2010/7/4(日) 午後 7:05

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    >熱田北条さん
    ご無沙汰しておりました。
    とりあえず現在は近くに人里も少しありますけど、それにしても山の中。人声の聞こえない深山吉野です。

    高倉伽月

    2010/7/4(日) 午後 11:10

  • 上社は私も参拝しましたよ〜o(*^▽^*)o~♪
    ダムの底に沈んでしまった社殿、見たかったなぁ・・・そういうのは仕方が無いんでしょうけど、でも、新しい社殿が日本のどこかで少しづつでも出来る必要はあるんですよね。そうでないと、宮大工が育たないし。

    keinoheart

    2010/8/8(日) 午前 1:55

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    >Keiさん
    そっか、宮大工を育てるという考え方もあるんですね。
    ダムの底の社殿も、水の神様だからそれも有りっちゃ有りなのかなぁ。

    高倉伽月

    2010/8/8(日) 午後 2:31

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