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旧県社 延喜式内社:豊後国速見郡 火男火賣神社2座 (並小) 神紋:向鶴、折敷波三文字 祭神:伊弉諾命、伊弉冊命、火之加具土神、大山祇神 例祭日:10月10日 最寄の交通機関: 火男火賣神社は大分県では数少ない延喜式内社の一社で、別府温泉の一つ、別府市内の鉄輪(かんなわ)にある。 鶴見権現や火売神社と呼ばれることもある。 火男火賣神社の創始は不明ですが、別府市の北、別府温泉の源となる鶴見山(1375m)の男嶽・女嶽の山そのものを神格化した火男・火賣の2柱を古から祀っていたようで、『続日本後紀』の嘉祥2年(849)6月1日項には、祭神である火男・火売の2神に対して朝廷から(仁明天皇)従五位下を授けられたとあり、それ以前から鎮座していたことが分かります。 貞観9(867)1月20日にその鶴見山が噴火し、噴火による鳴動は3日間続き、降灰は数里の間に積った。この事は太宰府から朝廷(清和天皇)に報告され、同年4月3日に朝廷は豊後国司に命じて、火男・火賣の2神の怒りをやわらげるために神前で大般若経を読経し、8月16日に正五位下に列格。 延長5年(927)に完成した延喜式神名帳には、「豊後国速見郡 火男火賣神社二座 並小」との記載がある。 大分県(豊後国)の式内社としては、湯布院市の宇奈岐日女神社、竹田市の健男霜凝日子神社、大分市の豊後国一宮・西寒多神社、佐賀関町の早吸日女神社しかなく、平安時代の豊後国(大分県)のトップ4入りしていた名社でもある。 建治2年(1276)に、時宗の開祖・一遍上人が鶴見権現の教えによって鉄輪の石風呂(蒸風呂)を開いたといわれ、その際に境内の楠木に爪ぼりの六字の名号を残したと伝えられる。この時に、豊後国守護・大友頼康は上人に帰依して、温泉山松寿寺(現在の永福寺)建立。 天正年間(1573-1591)に、大友宗麟により当社殿は焼かれ、古文書等もすべて焼失。 文禄2年(1593)、大友氏が滅亡し、慶長6年2月に来島康親が伊予から玖珠郡森に入城し来島領(森藩)となった。 寛文4年(1664)3月、久留島通清が社殿を新築、文政元年(1818)10月、領主久留島通嘉公が社殿を新築した。 明治7年11月8日、神殿以下全社殿が焼失し、明治12年7月6日、県社に列格。明治14年には神殿を新築、拝殿を改築した。 神紋の折敷に波三文字は、恐らく伊予から転封となった来島家(久留島家)の家紋と同じで、氏神としていた大山祇神社も同じ神紋を使っている。 別府には航海訓練所の練習船・海王丸の運動上陸で訪れました。 その時に、鉄輪までの遠足があって、現地解散だったため、その足で近くの火男火賣神社に参拝。 鎮守の森に囲まれた静かな神社でした。 ちょうど参拝中に宮司さんが戻ってこられ、暑い中、御朱印をいただきました。ありがとうございました。 私はというと、その後鉄輪温泉で汗を流して一路別府市内へ。 |

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伽月さん。良いお仕事就きましたよね。だって日本中の神社さんが見て回れるんだもん。良いなぁ〜。羨ましいぞぉー!!ヽ(`д´;)/うがぁ
ところで、ここの神社さん。お祭りの時用の紫の幕を日頃から掛けっ放しなんでしょうね。色があせちゃってるから。普段は白幕が普通なのに・・・
大友宗麟、罰当たりだよなぁー。神社潰すとどこかで罰が当たるよね。潰れて当然!!
2010/7/6(火) 午後 9:56
>Keiさん
残念ながら東京〜苫小牧の定期航路なので、神社参拝するどころか買い物行くのも微妙ですよ〜。
なかなか目ざといですね!幕には気づきませんでした。
普段からこうなのかもしれないですね。
やっぱキリシタン大名は他の宗教には厳しいんですかね〜
2010/7/6(火) 午後 10:37
もう九州に行かれたのかと思いましたら、昨年でしたか。旧県社に相応しい立派な神社ですね。神社名の響きが不思議な響きですね。
2010/7/6(火) 午後 11:50
>ヒロ爺さん
去年は練習船で九州に行く機会が何度かあったので。
「ほのおほのめ」って読めないですが、なかなかいい響きです。
2010/7/7(水) 午後 4:40