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旧官幣大社、別表神社、二十二社、大和神社別宮、神仏霊場 延喜式内社:大和國吉野郡 丹生川上神社 (名神大 (月次・新甞)) 神紋:十六八重菊 祭神:闇?轗神(くらおかみのかみ) 例祭日:6月1日 最寄の交通機関: 御朱印帳の有無:不明 丹生川上神社・中社は、奈良県吉野郡東吉野村にある神社。 丹生川上神社には上社・中社・下社の3社があり、別名・雨師明神、丹生明神と呼ばれ、いずれも延喜式内社(名神大社)で、旧官幣大社、二十二社、現在では神社本庁の別表神社に指定されており、最近制定された神仏霊場の一つにもなっている。 創建は、天武天皇の治世の白鳳4年(675)の創祀と言われており、『類聚三代格』(るいじゅさんだいきゃく)には、 「人聲の聞えざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との御神託により祀られたのが始まりとある。 また京都・貴布禰神社と同じく、古来より祈雨の時には黒毛の馬を、止雨の時には白毛の馬を奉納するのが習わしになっており、『続日本紀』の天平宝字7年(763)5月庚午と、宝亀8年(777)5月・8月の項にその事が記載されている。 延喜式の神名帳では名神大社に列せられ、神階も弘仁9年(818)に従五位下、元慶元年(877)に正三位、寛平9年(897)に従二位。 祈雨祭85座のうちの1座でもあり、大和神社の神主が遣使に随行するなど、室町時代までは祈雨・止雨奉幣の遣使が記録されているだけでも数十回あったが以後は衰退し、神社の場所すら分からなくなった。 丹生川上神社・下社は江戸時代前期から「丹生大明神」と称しており、延喜式内社の研究の結果、式内社と比定されたことで、宝永7年(1710)には中御門天皇からの勅使が派遣されたり、嘉永7年には孝明天皇からの宣旨で国家安泰を祈願したり、文久2年(1862)には攘夷を祈願するなど、丹生川上神社3社の中では古くから二十二社の一社として崇敬されてきた。 文久3年(1863)に天誅組の変で、下社の社家の人間が参画したために討伐軍によって社殿などが焼失。 明治4年(1871)に官幣大社に列格されるが、『類聚三代格』寛平7年(895)の太政官符にある丹生川上神社の奉納神馬放牧の禁猟地が「東限塩匂、西限板波滝、南限大山峯、北限猪鼻滝」との記載から、現在の上社である高?轗神社の方が場所として合致するということで、明治7年(1874)に下市町の丹生川上神社を「口の宮」、川上村の高?轗神社を「奥の宮」、明治29年(1896)にそれぞれを官幣大社丹生川上神社「下社」「上社」として列格される。 その後、大正11年(1922)に東吉野村の蟻通神社が本来の丹生川上神社とされたことから、蟻通神社を「中社」、中心の社として、3社とも官幣大社・丹生川上神社とされることになった。 2005年の名古屋出張時に中社と上社の後に参拝。 他の参拝者がほとんどいないし、周りが木々に囲まれててとても静か。とても良い雰囲気の神社です。 神社も社務所も境内の雰囲気も、川上神社3社の中では一番古い感じがする。 授与所というか古い家の居間の窓が授与所という感じの社務所で宮司さんかと思われる男性に御朱印をお願いする。 下社では一般の参拝客でも拝殿へ登っての参拝が可能で、個人的にはかなり満足。 確かこの後、大淀の道の駅で車中泊をしたような気がする。
鄙びた旅館とかに泊まるのも良いけど、車中泊は旅行をしてるって感じがとてもして一人でも楽しいです。 |
寺社仏閣・奈良県(48)





天川に行くときに何回も参拝したことがあります。
2010/9/3(金) 午後 6:05
22222番目のコメントは伽月さまです。ありがとうございます。記念記事をUPしました。TBポチさせてください。
2010/9/4(土) 午前 1:02
>熱田北条さん
なんとキリ番でしたか!
こちらこそありがとうございます。
天川とか行ってみたいです。
2010/9/4(土) 午後 2:12
私も天河神社へ行く際は途中で参拝させていただいています。
拝殿から本殿へ昇る階段を見上げる眺めは素晴らしいです。
本殿から爽やかな風が吹き渡り、こちらが聖域だということが心から感じられますね。
2010/9/14(火) 午後 11:10