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住所:京都府宇治市木幡東中1番地 (N34°55'35"、E135°47'55" ) 旧郷社 延喜式内社:山城國宇治郡 許波多神社三座 (並名神大 月次新嘗) 神紋:左三つ巴 祭神:正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、天照大御神、天津日子根命 例祭日: 最寄の交通機関:JR奈良線「木幡駅」下車、京阪宇治線「木幡駅」下車、徒歩10分 許波多神社は京都府宇治市木幡、JR木幡駅の北側に鎮座する神社で、通称「柳明神」、一部からは「あずにゃん神社」と呼ばれ、延喜式内の許波多神社に比定されている。 同じ「許波多神社」が当社から南の五ケ庄にも鎮座しているが、由緒はそれぞれ違う。 許波多神社の創建は皇極天皇の御代(642-645)、天皇は夢の中で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」との大神の御告げを受けて、藤原鎌足に命じて木幡荘に神殿を造営し、大化元年(645)9月16日に奉遷したのが始まり。 天智天皇10年(672)10月、大海人皇子(後の天武天皇)は天智天皇と意見の相違が生じて、大津宮から吉野へ向かわれる途中、当神社前で馬が進まず、鞭として使っていた柳の枝を瑞垣の土に挿しこみ、神明の助けを祈願したところ、馬が急に進み無事に吉野に到着することができた。 その後、大海人皇子は「壬申の乱」に勝利し、天武天皇2年(673)2月に飛鳥浄御原宮で即位。 瑞垣に挿した柳の枝もそのまま大きくなり、これもひとえに神の御加護として正一位の神階を与え、「柳大明神」と称するようになった。 以後代々の天皇より勅使参向、奉幣や官幣など度々あり、社殿の造営、修理も数度にわたり行われた。 明治41年(1908)1月、田中神社を合祀して今日に至る。 参道はクランク状になっているのだけれど、ちょうど社殿の正面に宇治陵・第36号墳墓がある。 被葬者は最初の関白・藤原基経と言われている。 参拝時は年の瀬で境内を地元の方々が掃除をしていた。 社務所はあるけれど、授与所という感じではなかったので御朱印は頂かなかった。 ちなみに、この許波多神社は京都アニメーション「けいおん!!」22話でも登場する。 京都アニメーション本社はJR木幡駅前、第1スタジオは京阪木幡駅のすぐ近くにある。
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寺社仏閣・京都府(9)





静かで落ち着いて参拝が出来そうですね。
2011/2/7(月) 午後 0:56
私が参拝した許波多神社とは違う神社さんですね。
こっちのほうが立派に見える〜^^
2011/2/9(水) 午前 10:24
>ヒロ爺さん
この時は氏子さん達なのか皆さんで掃除をされていたのでゆっくり参拝はしなかったんですが、人通りも少ないので普段であれば落ち着いて参拝できるところですね。
2011/2/9(水) 午後 6:20
>トオルさん
五ケ庄の許波多神社ですね。そちらもまとめましたので御覧ください。向こうは重文だから立派だと思うんですがなんでだろ…御朱印が原因とか…orz
2011/2/9(水) 午後 6:21
高倉伽月様、五ヶ庄・許波多神社の記事では、丁寧なお返事有難う御座います。
こちらでも、許波多神社自体の分祀問題から始まり、
合祀された、田中神社の存在と、その正確な時期・・・。
鉄道用地や、引込み線との関わり、
更には、狛犬の無かった問題(謎)など、
簡単には、記事に仕切れない課題・疑問も有ります。
でも、本来同じ神社が、二箇所に別れ、しかも、御旅所では無い。
面白いでしょ。
然程、本家争いは反目に至らず、社家・宮司も別々におられます。
宇治は、五ヶ庄・許波多神社の記事でコメントさせて頂いたとおり、
中世以降、御由緒・ご一族・領主〜相給問題から、近代ですら、茶師問屋に対して、茶園問屋など、宇治茶の利害・利権も絡みます。
領有権を、所有と取るか、施政権と解釈するか?
史料を観た専門家の解釈論もあるのです。
調べれば、有る意味、面白いですが、しんどい事は事実です。
邪魔臭がらずに、これからも、よろしくお願いします。
2012/3/4(日) 午後 7:00
木幡と五ケ庄、どっちが分祀されたのか、それとも可能性は薄いかもですが、それぞれ同じ名前の神社が独立して創建されたのか…。わかんないこといっぱいですよね。
2012/3/6(火) 午後 1:02