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旧村社 神紋:水野沢瀉 祭神:[主祭神]水野忠元 :[合祀]水野忠邦、大山祇命、素盞雄命、明治維新殉難者24柱、倉稲魂姫命 例祭日:10月6日 最寄の交通手段:JR「山形駅」下車、徒歩10分 豊烈神社は山形県山形市の桜町に鎮座する神社で、山形藩水野家の藩祖・水野忠元(みずのただもと)を祀る。 元々、この豊烈神社は文政4年(1821)年に、天保の改革で有名な老中・水野忠邦が藩祖である水野忠元を領地であった遠江国浜松城内に祀り、朝廷から豊烈霊神の称号を賜ったのが起源です。 その後、失脚した忠邦は減封され、家督を長男の水野忠精(みずのただきよ)に譲ったすぐあとに出羽国山形藩へ転封となり、弘化5年(1848)、山形城二の丸に豊烈神社も遷座しました。これが現在の豊烈神社の創祀です。 戊辰戦争の時に山形藩は当初新政府側に付いていましたが、会津救済の嘆願を握りつぶし「奥州皆敵」と武力討伐しようとした薩長軍の参謀・世良修蔵に憤慨した仙台・米沢両藩に呼応して奥羽列藩同盟に加盟し新政府軍と戦うも奥羽列藩の相次ぐ降伏により山形藩も降伏。その責任を取り、筆頭家老・水野元宣が刑死。 藩主・水野忠弘も明治3年(1870)に、近江国朝日山藩(滋賀県長浜市湖北町)へ移封となり、豊烈神社は下総国山川藩(茨城県結城市)に遷座しました。 ちなみにこの山川藩は祭神である水野忠元が初代藩主で、水野家代々の墓所(11代・忠邦まで)もこの地にあるという関係があります。 明治13年(1880)、水野家の旧藩士が豊烈神社の御分霊を勧請し、現在地に豊烈神社を建立して香澄町(旧三の丸内)の氏神となります。 明治35年(1902)、戊辰戦争の際に藩主の代わりに藩政を取り仕切り、新政府から反逆罪で刑死した首席家老・水野元宣の銅像を建立。 明治41年(1908)、神社庁令により、香澄町地内各所に鎮座していた八坂神社・稲荷神社・山神社を合祀。 大正2年(1913)、茨城県結城市山川にあった本社を山形の豊烈神社へ遷座併合する。 大正10年(1921)、中興の祖・水野忠邦(英烈霊神)を合祀する。 昭和3年(1928)、神輿を新調し、昭和5年神輿蔵建設。 昭和18年(1943)、水野元宣銅像は戦争のため供出、昭和21年に現在の塑像建立。 昭和30年(1955)、明治維新に際し山形市を戦火から救った水野元信、山形防衛戦で戦死した大久保知敬以下23柱を合祀。 昭和33年(1958)、香澄稲荷神社を境内に建立、本殿から分祀する。 昭和56年(1981)、本殿改築工事落成し現在に至る。 参道入口にある銅像は山形藩の首席家老・水野元宣の像です。 以下、説明文。 水野元宣は天保14年(1843)遠州浜松で生まれ、藩主の国替えにより弘化3年、4歳の時に山形に移住し、22歳で家老職、明治維新の際には若干26歳で首席家老を務め、藩主が京都で不在のため山形藩の藩政は元宣の腕にかかっていました。 慶応4年の春、薩長軍が仙台から山形に進入し、山形藩は官軍の命を受けて庄内征伐のため長崎口まで進撃したが、庄内軍の不意の襲撃に合い損害を受けて敗走、戦火は山形市街地の目前に迫った。元宣は領民を救うための苦心惨憺身を挺して奔走し山形市民を兵火の災害から救った。 山形藩は当初官軍に付いたが薩長軍の参謀・世良修蔵の横暴さに憤慨した仙台・米沢両藩の呼びかけに応じ、東北各藩とともに奥羽同盟を結成し官軍に反抗することとなった。しかしまもなく各藩相次いて降伏することとなり、新政府から反逆の罪に問われた際、元宣は「山形藩の責任はすべて自分一人にあり、他の者には寛容の御処置を」との嘆願書を提出し、他に犠牲者を出さないよう努力した。 翌明治2年5月20日、藩の責任を一身に負い27歳を最後に長源寺庭において刑死した。 明治維新当時の山形藩は5万石であったが財政は苦しく充分な武器の備えもない状況の中で官軍と隣接大藩との板挟みにあい山形藩をいかに保全するか元宣の苦悩は大変なものであった。 明治維新改革後、山形市が米沢・新庄の大藩をさしおいて県庁所在地となり今日の繁栄あるのは元宣が身をもって難に殉じ、山形の街を兵火の荒廃から救ったためであり、まさに山形市民の大恩人と称すべきである。 元宣の遺徳を後世に伝えるため旧藩士を始め市民有志により明治34年銅像を建立したのであるが、昭和18年、第二次世界大戦完遂のため供出されたので、昭和21年に郷土の彫刻家・服部午山の作による現在の塑像が再建されたのである。 神社としては珍しく、拝殿の中に授与所がある神社で、ちょうど参拝した時は運悪く御朱印が修理中ということで頂けなかった…。 ちなみにこの豊烈神社は山形藩最後の藩主である水野家ゆかりの神社だけど、山形は元はといえば最上家の領地。 その後は幕府直轄地になったり幕府要人の左遷地だったり(水野家もその一例)したわけだけど、山形藩初代の最上義光を祀る神社は全くないという…。 江戸時代初期の東北地方の大名では多分唯一祭神になってないのではないかなと…。(津軽為信・南部信直・佐竹・伊達とか祭神になっている神社はある)
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寺社仏閣・山形県(5)




遠江が起源ですか。
改革はいつの時代も難しいですよね。
2011/7/30(土) 午後 9:29
戦国武将や大名が御祭神の神社には全く興味がないのです。
1枚目の写真で、鳥居に屋根があるように見えますが、どうですか?
そうだったら、珍しいですね。
2011/7/30(土) 午後 10:48
>かみながらさん、確かに信長・秀吉・家康とか祀られてますけど、実際神として祀られるべきなのか…っていうのはありますね。とりあえず死んだら神になるのだということにしていますが。屋根は多分鳥居じゃないですね。
2011/8/1(月) 午後 9:22