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旧別格官幣社、建武中興十五社、別表神社 神紋:左三つ巴 祭神:[主祭神]結城宗広(ゆうきむねひろ) :[配祀]結城親光(ゆうきちかみつ)以下殉難戦没将士 例祭日:5月1~3日 最寄の交通機関: 結城神社は三重県津市にある旧別格官幣社で、南朝の忠臣・結城宗広、結城親光と一族殉難将士を祀る神社。 現在は神社本庁の別表神社に指定されています。 祭神の結城宗広(文永3年(1266)〜延元3年(1338))は陸奥国白河(現在の福島県白河市)の城主で、元弘3年、大塔宮護良親王(後の後村上天皇)の令旨・綸旨を受けて南朝に忠誠を尽くし、鎌倉幕府を倒し建武中興の大業を助けたことでも知られています。 延元元年(1336)、足利尊氏が再び京都へ侵攻したことを受けて、義良親王を奉じて北畠顕家公と共に船で西へ向かうものの、遠州灘にて台風のため難破、伊勢に漂着し、延元3年(1338)10月5日に73歳でこの地において病没した。 結城神社は宗広公の没後、通称・結城塚、または入道塚と呼ばれる墓の上に地蔵が6体安置してあり、地方民が墓の側に小さな祠を建て「結城明神」と称して、春秋の祭典を執り行なった事に始まり、人々がこの祠に祈願して病気が治ったことから「結城医王大明神」とも呼ばれた。 寛永9年(1632)、津藩主・藤堂高次が千歳山からこの地に八幡神社を遷座した後も古社八幡宮と称して産土神と同様に崇敬され、文政7年(1824)、領主・藤堂高兌は社殿の改築や、湊川神社の楠木正成公の碑に倣って「結城神君之墓」と刻むなど、墳墓の修造や祭典等の費用を藩費より支出させた。 明治13年(1880)、明治天皇が三重県御巡行の折に勅使を墳墓・神社に参向させ幣帛料の御下賜があり、明治15年1月24日に別格官幣社に列せられ社殿が建立され、昭和12年には宗広公六百年祭斎行に当たって境内の整備社殿の改築が行われましたが、昭和20年7月28日に戦災により本殿をはじめ諸建物が焼失。 戦後、昭和31年、33年に再建工事が行われ社殿などが整備されました。 参道に建つ大きな狛犬は、青銅製の物としては日本一の大きさを誇ります。 参拝したとき、とっても梅がキレイだったんですが、参拝する直前、車を運転中に前の会社の上司から「なに勝手にお前休んでるんだ!」とお怒りの電話が来ましてテンションがた落ちの状態で参拝したので、すごく落ち着かなかった記憶があります。 まぁ私事ですが出向先の会社が慰安旅行で休みで、その慰安旅行は出欠席どちらでも良かったので行かなかったんですけど、まぁいいや。長くなるし…。 そんなこんなで呼び出すかもしれないからアパートにもどれと連絡が来まして、本当は伊勢まで行く予定だったのを結城神社と三重県護國神社で切り上げて名古屋まで帰ってきたことが…。 |
寺社仏閣・三重県(11)





自宅から1時間ちょっとで参拝できるところですが、
梅の時期にお参りしたことがないです。
美しい梅を見ながらの参拝に邪魔が入りましたね。
2011/8/23(火) 午後 2:14
また名古屋から津って意外と距離ありますからね…。神社参拝してないのに帰れるか!って感じでした。せめてもの2社…。
でも他にも津には有名な神社あるのに、結城神社と護国神社しか参拝してないんですよね。
2011/8/25(木) 午後 10:18