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被葬者:第35・37代・斉明・皇極天皇と間人皇女の合葬墓(と思われる) 陵形:八角 最寄の交通機関:近鉄吉野線「飛鳥駅」下車、徒歩15分 牽牛子塚古墳は、奈良県は明日香村の越にある古墳で、個人的には2005年に訪れた。当時は石舞台のレンタサイクル屋さんから自転車を借りて明日香村を大体3日間かけて回ったのだけれど、その時に牽牛子塚、真弓鑵子塚、岩屋山古墳、益田岩船とか周りました。 この古墳は珍しい2つに別れた石槨を持つ古墳で、中に入ることはできないけど鉄柵ごしに中を覗くことができる。 真ん中を石の壁で仕切ったような石室の形をしている。この形から同じ丘陵にある謎の巨石・益田岩船もこの系統の石室を造るために掘られたのではないかと考えている学者もいるらしい。 ちなみに最近の平成21年、22年の発掘調査で、この牽牛子塚古墳が天武持統天皇陵と同じ八角墳であることが判明して、斉明天皇の真陵だという可能性が強まった。 ちなみに、宮内庁が治定している現在の斉明天皇陵は牽牛子塚古墳から西南西2.5kmのところにある、車木ケンノウ古墳が斉明天皇陵とされているが、こちらは現在の学説では古墳ですらないと考えられているらしい。 第35代・斉明天皇は飛鳥時代の女性天皇で、舒明天皇の皇后。天智天皇や天武天皇の母君。第36代・孝徳天皇の崩御後、践祚して第37代・皇極天皇として即位した。 「2つの石槨を持つ古墳」と最初に書いたけれど、「日本書紀」の記述から斉明天皇の皇女で孝徳天皇の皇后・間人皇女(はしひとのひめみこ)との合葬墓だと現在では考えられている。 この発掘調査では周辺からもう一つの石槨が出土して、越塚御門古墳という名前が付けられた。 自分が訪れた時はまだ発掘前だったのでその存在を知らなかったけど、これが斉明天皇の孫・大田皇女の墓と考えられ、「日本書紀」には斉明天皇陵のすぐ近くに大田皇女も葬られているという記述があるので、記紀の内容と一致する。
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天皇陵・陵墓



昨年行っています。発掘後で、斉明天皇の陵墓と騒がれた喧騒は無く静かでした。その後宮内庁指定の斉明陵にも行きましたよ。
2012/3/2(金) 午前 8:06
ごめんなさい。
こちらの方が、遠方なんですね。
相応に調べながら、実地踏査と取材をされている。
とても、感心します。
あたしは、近隣ですら、なかなか実地踏査を出来ません。
反省ですね。
2012/3/4(日) 午後 7:10
ヒロ爺さん、どうも明日香村教育委員会は宮内庁を気にしてなのか、斉明天皇陵と認めたくない部分があるようですね。学者の間ではだいぶ世紀の発見というように騒がれたようですが、周りは冷ややかだったとか。
2012/3/6(火) 午後 0:32
結構参拝した後に調べるって事がほとんどなので、あとで「見忘れた!」って場所が多くてですね…。
ですのできちんとした記事は2回目に参拝した時とかそんな感じです。あとは他のブロガーさんの記事とか参考にしてたりします。
まぁ、なんというか寺社仏閣は正直北海道よりも関西のほうが歴史も格段に古くて魅力的ですからね。北海道はそういう面で魅力に欠けます。
2012/3/6(火) 午後 1:13
はじめまして
益田岩船を9メートルの高さから撮影してみました。
よろしかったらご覧下さい。
[ 上から目線 ]
2014/10/13(月) 午前 1:25
>上から目線樣 コメントありがとうございます。益田岩船にも行きましたが、なかなかあそこは上からの撮影が難しい所ですよね。
2014/10/16(木) 午後 10:43
さっそくのご訪問とコメント、ありがとうございました。
みなさん苦心して益田岩船を撮影されているんですね。
[ 上から目線 ]
2014/10/16(木) 午後 11:57